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雨の日には冷えたスプーンを一苦くて、甘い、みずたまり一

※お立ち寄り時間…5分

小さい頃、留守番をしていた時、寂しくないようにと、母がテレビをつけていってくれた。
好きなアニメが終わって、テレビを消そうとすると、白黒の切り絵の物語が始まろうとしていた。 

タイトルは、「パンを踏んだ娘」

お使いを頼まれた女の子。
その日は、お気に入りの靴を履いて出かける。
帰り道にたまたま大きな水たまりに遭遇する。 

道幅いっぱいに広がる水たまり。
どうやって帰ろうか、思案した結果、買ったばかりのパンを水たまりに浮かべて、それを踏んで水たまりを渡ろうとするのだ。
次の瞬間、その女の子は、パンと一緒に水たまりの中へ落ちてしまう。

ゆっくり、深く、冷たい水の中へ。

幼い頃の私は、それを見て、ワンワンと赤子のように泣いた。
得体の知らない恐怖が足先から広がって、呼吸ができなかった。
買い物から帰ってきた母が、慌てて抱きしめてくれたのを覚えている。

未だ「パンを踏んだ娘」はトラウマである。 

しょんぼりしている時なんかは、水たまりを見ると、落ちていくんじゃないかと不安になる。
今思えば、食べ物を粗末にしてはいけないよ、という教育番組だったのだろうが。

ついこの間、ジブリの描写に出てきそうなぐらいの大雨がざあざあと降った。
雨が上がると、たくさんの水たまりができていた。 

玄関で、履いて欲しそうな長靴と目があった。
早速、長靴を履いて、大きな水たまりから、小さな水たまりまで、童心に返ってバシャバシャと、ほんの少し遠慮しながら、遊んでみると、もう水たまりに入ることが怖く無くなっていた。

むしろ、色んな色の水があって、跳ねたり畝ったり、その表情に魅了された。
水面にキラキラと光が遊んで、嬉しい。

ふと、こんなことが頭に浮かんだ。 

雨上がり、もし、長靴を履いていなかったら。
雨上がり、一足の靴しか持っていなかったら。

雨上がり、帰路の途中には、大きな水たまりがある。
一足の靴を濡らすか、はたまた違う道を通って、濡らさない方法を取るか、どんなふうに進むのか考える。

まるで、人生の選択をしているみたいだな、と。

一足の靴だけを持ち続ける。

好きなことを仕事にできるのは、本当に幸せなことだ。けれど、好きなことをずっと仕事にするのは、気力のいることでもある。

一足の靴と濡れてもいいように予備の靴も持つ。 

二兎追うものは一兎も得ずという諺があるように、もしかしたらどっちつかずの結果になるかもしれない。

どんな人生の選択をするか。

水たまりひとつでも、十人十色の渡り方がある。 

そのまま突き進む人
飛び越えようとする人
何とか濡れるのを回避する人
そもそも渡らない人
そして、パンを踏む人

周の時代には、亡くなった際に諡をして名を変えたそうだ。
行いの良いものにはよい諡を、行いの悪いものには悪い諡を。

どんな結果になろうとも、「後悔」が残らなければ、人生丸儲けなんじゃないかと思う。
やらなかった後悔は、内出血みたいになかなか治らないし、痛い。傷も残る。

流石に、パンを踏んで水たまりを渡ったように、誰かを蔑ろにして渡れば、それなりのことになるだろうけど。

そんなことを言いつつも、まだまだ水たまりの渡りかたを思案中である。

けれどずっと変わらない目標がある。

ファンキーなおばあちゃんになりたい。

ただ、それだけ。


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