見出し画像

雨の日には冷えたスプーンを

※お立ち寄り時間…10分

ーミルクティーが冷たくなる前にー

 高校3年生の時、大学受験に失敗した。

高校1年生の時から目標にしていた大学にどうしても行きたくて、我武者羅に走り続けていた。毎朝、熱々のミルクティーと一緒に、分厚い参考書をボロボロになるまで解いた。
今は、まだ努力と覚悟が足りなかったと穏やかに思い返すことができる。

結局のところ、目標にしていた大学には行けなかった。北にある国立大学に進学した。地元を離れる日、悔しくて一粒も涙が出なかった。ただただ、ひどく惨めで、その時は、人生の底にいると本気で思っていた。

程なくして、毎日3時間しか寝ずに勉強して、合格した人がいると聞かされる。負けたなと心の底から痛感した。本当に努力不足だった。

と同時に、この「行き場をなくした」熱は、一体いつ報われるのだろうかと思った。

それから、行きたくなかった大学に、何故か真面目に通った。講義も風邪以外一度も休まずに通った。周りからは、優等生みたいに扱われていた。表面的に「意識高いね」とか「頑張ってるね」と言われた。全然嬉しくなかった。

そんな言葉が欲しいんじゃない。結果を認めて欲しいんじゃない。ただ、一緒に頑張ってくれる人が欲しかった。頑張ってきた過程を共有したかった。

高校3年生の時に、ゴールを見失った「熱」を受け止めてくれる「人」や「場所」を熱望していたのだ。ただ、「自分で探そう」とはしなかった。声をかけられるのをじっと待っていた。

それから、適当にサークルに入って、何となくの恋人を作った。欲しい味はしなかった。けれども、行動はまだしなかった。

徐々にミルクティーは熱を失っていく。

それは、そんなに頑張らなくてもやっていける「日常」の心地よさがあったからだ。ぬるま湯に肌がふにゃふにゃになるまで、浸かりっぱなしだった。

頭のどこかで、「まずい」と感じていたのだと思う。

転機は、就職活動だった。会話が合わないと距離を取っていた同じ学部の子が、大手から内定を貰ったのである。心のどこかで「見下して」いたのだと思う。

本当に「見下さなければ」ならなかったのは、「何も変えようとしなかった」自分自身だった。

漠然とした焦燥感が体中を駆け巡った。あれ、私の夢って何だっけ?私のやりたいことって何だっけ?自分の褒め方すら忘れていた。

ある日のホームルームで、些細なことがきっかけで、夢が言えなくなった。言っちゃいけないんだと、自分で自分の夢を心の奥底に閉じ込めた。だから、夢のある人が羨ましかった。ずっとずっと「素敵な夢だね」って言ってもらいたかった。

ぬるいミルクティーほど、後味の悪いものはない。甘ったるくてベタベタと気持ち悪い。気が付いたときにはもう遅かった。私は、前も後ろも分からないまま、ただ、焦燥感から我武者羅に走り続けて、体を壊した。20才になるかならないかの時だった。

そして、程なくして私は人生で1度目の「死」に直面する。

人生で、2度死にかけたことがある。


1度目は、20才になるかならない時。
2度目は、22才になるかならない時。

目覚めたら、両手をチューブで繋がれていた。手術が上手くいかなかったのだ。左手からは輸血の血が、右手からは、止血剤と点滴が。両親が、ずっと手を握ってくれていた。ああ、私生きてたんだ、と不思議と笑えた。

そして、もう何があっても大丈夫だと、強く実感した。

死は、すぐ隣にある。いつもは、隣すぎて見えないけれど、ほんの少し近づけば、あっという間に飲み込まれる。

今までは、何才まで何をしようかと考えて居たけれど、何才まで生きれたらこれをする、という考え方にシフトされた。今まで、根拠もなく生きられると思っていたけど、そうじゃないのだ。あっという間に、すっからかんに目の前にある道をシャットアウトされる。

周りが着々と内定を貰っていくなか、「優等生」の私は、ようやく「やりたいこと」を見つける準備をしていた。


「21才」まで生きられたら、本当にやりたかったことをしよう。



「21才」の誕生日を迎えた日、両親に本当にやりたかったことを伝えた。

こうして、私は、「日本人が全くいない」場所への留学を決意したのだ。

留学をして良かったことは、自分の価値観を全部リセットできたことだ。丸裸になった私は、洗い立てのシーツのように真っ新だった。

人生で初めて、「外国人」として扱われて。
人生で初めて、「言葉の通じない」営みに触れて。
人生で初めて、「テロ」に直面して。

あと、何度、おはようと言えるのだろう。
あと、何度、親孝行ができるのだろう。
あと、何度、人を愛することができるのだろう。

あの時、大学受験に失敗していなかったら。
あの時、妥協せずに行きたい大学に通えていたら。
あの時、手術が失敗していなかったら。

それは、それで「理想の」「素敵な」人生だったかもしれない。

しかし、私は、もう一度人生をやり直せるとしても、きっと同じ「選択」をする。「失敗」の多い人生のほうが、「熱」を多く帯びているからだ。


淹れたてのミルクティーは、この世のものとは思えないほどに、幸福を運んでくる。

いま、私は「失敗」で滾ってしまうほどの人生を、渇望している。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?