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雨の日には冷えたスプーンを一横断歩道の前で夢を書き上げて一

※お立ち寄り時間…8分

「作家って、売れなきゃニートだよな」


思春期に、何気なく投げかけられた言葉に、心の琴線が鮮やかに音を立てた。その琴線は、きっと生涯『鳴らなくてもいい』音だったと思う。

それ以来、『作家になりたい』は、他人が喜ぶような、夢に形を変えていった。まるで、他人の家に飾られている、額縁に入った絵画のように。

歳を重ねていくうちに、その絵画は
額縁が外れ、
壁にピン留めされ、
最後は、
くるくる丸められたものになった。

生きるために、働く。

そんな日々が続いた。
そう、『生活する』という
逃げられない理由をつけて
夢を閉まった。

溢れ出す水を無理やり止めるかのように。

丸められた夢も悪くはなかった。
足場がきちんとあったし、自分の手で勝ち取った入社だったから。けれど、ボリュームをいくら上げても、体に染み入る詩はひとつも見つけられなかった。

感情は、徐々に平坦になっていった。
大人になるってなんだかつまらないなと思った。
もちろん、素敵な経験もたくさんあった。かけがえのない友人とも出会えた。

幾つか恋もして、家庭を持った。
そして、ひとつの小さな命が会いにきてくれた。
その時は、この世の全ての喜びをギュッと凝縮したくらい嬉しくて、愛おしくて、天にも昇る心地になった。

命を育む、それは、想像を絶するものだった。
手放しで楽しかった、とは未だ言えない。

体に起こる変化、小さな命への心配、心労が祟って、また、鳴らしてはいけない琴線を奏でてしまった。

ゴミ箱には、飲み終わった薬の抜け殻が溜まっていった。涙が沸るように流れ出て、心に大きな深い水たまりを作った。

自分で泣き止む方法を知らない我が子が自分を見ているみたいで悶えた。

何よりも、自分が自分じゃないみたいで
憂い、心細く、焼け爛れる思いだった。
震慄し、逃げ出したかった。

車が絶え間なく走り抜ける横断歩道が
目の前に見えた。

非常に美しい眺めだった。

消えたい

心の底から、そう思った。
ふと、音がパチン、と耳元で鳴った。

夢を殺したまま、終わるの?


家族と一緒にオーロラを見にいく約束は?
素敵なお家で犬と家族と一緒に暮らすんでしょ?
ファンキーなおばあちゃんになるんでしょ?

ねえ、夢を殺して、終わり?


自分の夢を他人の夢に都合よくすり替えたこと
ただ、挑戦するのが怖かったんだ。

将来、我が子に、仕事楽しい?って聞かれて
迷わずに、うん!って言えるのか?

将来挑戦もしなかった夢を持ったまま
息子が夢を持った時
がんばれ!って応援できるのか?

今度は、育児を理由に夢を諦めるのか?

自分に「見切り」をつける人間ほど卑怯

ふと、妊娠中に読んだ孔子の言葉が浮かんだ。

実行もしないうちから、自分の力不足を理由に自ら見切りをつけるのは自暴自棄である。
だって、賢者の道も未熟者の道も、同じ道であることに変わりはないのだから。

どうせ、人生に終止符を打つなら
前に進む努力をしてからにしよう。


自分の夢を他人の夢にすり替えたこと
あの時、無理やり夢を閉まったこと

『作家になる』


わたしは、今、挑戦している。
育児もするし、仕事もするし、作家にもなる。
歳なんか、見栄なんか、批評なんか。
ありふれた理由で、折り目をつけたくない。

生きるために、夢を生かす。


横断歩道の前で書き上げた夢を
私だけの額縁にいれるために。 

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