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「喫煙」=「悪」

 
 

 煙草の値上げが続いていた頃、一度だけ禁煙を試みたことがあった。十本ほど残っていたラークの箱をゴミ箱に捨て、代わりにフリスクのようなミント系のお菓子を用意したものの、コーヒーとの相性は最低とあって、当初一月ほどはかなり辛かった。


 とりあえず半年ほどは禁煙を実行し、この分ならばと思い始めたところ……なんと、ストレス性の皮膚炎(たぶん)に襲われたのだ。
 結局、禁煙は即中断し、あっさりと煙草に火を点けてみれば……この時の感動は今でも忘れない!

 煙草がこれほど「美味い!」と実感したのも久しぶりのことであった。

 かてて加えて、一週間を待たずに皮膚炎は治まり、コーヒーも相棒を取り戻して本来の味わいが蘇ってくる。
 煙草の美味さのためには、時には禁煙も悪くないと悟ったしだいであった。

 思えば、いつから煙草を喫するようになったのだろう?

 そう。別に不良の真似をして、こっそりポケットに煙草を忍ばせトイレでおどおど吸わなくても、家に戻れば、同居していた小説家叔父2のピー缶がついそこに……さあどうぞと待ちかまえていたのである。
 お袋もたまにだが煙草を吸っていたし、我が家では煙草を「悪」とする考えは皆無であり……古本、インクと合わせて……文士のニオイという風潮があったのだ。

 だからこそ、こっそり吸うなんぞという卑屈とは無縁の、案外堂々と煙草を、いっそそれとなく進められて……中学の時にはすでに紫煙の輪を作っていたはずである。

 ただし……初めて煙草の煙を肺深く吸い込んだ時は、なんだか目が回り、吐き気に襲われた覚えがある。それでも一切懲りなかったのは、煙草を吸わずして何が大人か! ……という、まあ家訓とまでは言わないが、いっそ文士の嗜みという思いもあったわけだ。

 蓋し、昔は結構おおらかで、駅や公園の灰皿は言うに及ばず、大学の授業も教授、生徒そろって煙草を吸いながらの講義も見慣れたながめであった。

 これまでにも何度か書いてきた覚えがあるが、煙草が身体に良くないことは十分知ってはいるが……精神がこれを欲する以上、断じてやめるつもりはない。

 近頃はマンョョン等のベランダですら喫煙は非難されるらしく、近所にあるたばこ屋の横に設置された灰皿付近で、なんだか、こっそり麻薬を吸引するに似た人達を見かけることがある。

 やはり「同調圧力」なのだろうか? 

 今更この問題についてとやかく言ったところで、単なる「へ理屈」に堕するだろうが、どうしても気になる一点だけは指摘しておきたいのだ。

 確かに、「喫煙」=「悪」の単純な公式に準ずること事態、たいした問題でもないと……一般には認識されているだろう。
 受動喫煙という「印籠」は、愛煙家にして頭を垂れる他ないかも知れない。
しかし、これを敷延してゆけば、知らず「問答無用」に「喫煙」は「悪」という風潮にすら……いゃ、すでになりつつあるようにも思われるのだ。

 またぞろ……愛煙家の「へ理屈」だろう……

 そんな声も聞こえてくる。

 それでも、やはりこの風潮はどうしても気になってしかたがないのだ。

 ある日……「喫煙」=「悪」の公式の有効性を確認した権力が、「喫煙」の代わりに別の単語を組み込むことを、杞憂とはいえ……やはり気になってしかたがないのだが……

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