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【短編小説】あの日見上げた空を僕は忘れない

あらすじ
 幼稚園の頃の初恋。高校生になった倫吉は、忘れ得ぬ絵里奈ちゃんの面影を追って自転車を走らせる……。そして、10年ぶりの再会。しかし、その絵里奈ちゃんは、すでにこの世の人ではなかった…… 

 

   あの日見上げた空を僕は忘れない


  高校三年の春のことだ。買ってもらったばかりのロードバイクに乗って、あてずっぽうに走り回っていたいた時……倫吉はふと、懐かしいけしきに出くわした。

     「わすれなぐさ幼稚園」

 そう。倫吉がかって通園していた幼稚園であった。自宅からそれほど隔たってはいないのだけれど、思えばこの界隈に足を向けたことはめったにない。

 倫吉はバイクを止め、しばし正門から園内を覗き込んでみる。休日とあって園児の姿は不在ながらも、建物全体には確かに思い出があった。
 メロンパンの好きだった泣き虫の遠藤君のことや、お遊戯の輪からいつも食みだして、先生に注意ばかりされていたこと……

 実は、自宅近くには別の庶民的な幼稚園もあって、倫吉はなんとなくそっちに通いたかったのだが、ちょっと見栄っ張りな母上の意向で、山の手の、かなり豪華なバスで送迎してくれる「わすれなぐさ幼稚園」に入園させられたのだ。

 ……人の弁当にやたらちょっかいを出すいじめっ子のツネオ君を、シャレではないけど思い切りツネって、卒園式に日に泣かせたことなどが、変に鮮やかに浮かんでくる。

 しかし、一番記憶の残っているのは、「信吉君」絡みの思い出だろう。そう。倫吉は始終、この信吉君と間違われていたのだ。確かに、倫吉と信吉君とはちょっと似ているところがあったけれど……全てに於て、信吉君が優れていたのだ。
 似たような体つきながら信吉君は背丈もあり、ぼんやりとした倫吉の顔立ちとは違って目鼻立ちがくっきりとしていて、なによりもハキハキとした、まあ持てるタイプだったのだろう。

 ある日のことだ。

 たぶん卒園間近の頃……母上と二人幼稚園近くをぶらついていた折り……たぶん、貧乏人の僕の家とは違う高級住宅地に憧れを持っていた母上が散歩コースに選んだのだろうが、出し抜け、背後に声が上がったのだ。

「信吉君!」

 もとより自分の名前でなかったけれど、倫吉がつい振り返ると、一人の女の子が白い門扉の前に佇んでいる。
 倫吉が戸惑っていると、女の子は、「あっ!」……たぶん人違いを悟ったのだろう、照れ臭そうにすぐに門から続く庭の方に走ってゆく。

「倫吉……誰かと間違われたのね」

 母上が、いずらっぽく声を掛けてくる。

 そう。絵里菜ちゃん! 一度も口をきいたこともなく、声を掛けることを敢て拒絶していた絵里菜ちゃん。今にして思えば……倫吉の初恋だったのかも……

 絵里菜ちゃんに声を掛けられた嬉しさと同時、それが結局自分なんかじゃなかった屈辱に倫吉は幾分傷ついたものの……所詮ガキのこと、あれこれ悩むこともなく、淡い恋心も記憶の底におどんでしまったのだ……

         ※

 そして十年後……「わすれなぐさ幼稚園」を久しぶりに望んで、倫吉はあの時の絵里菜ちゃんのことを思い出す。もちろん、どんな顔立ちだったのかなどは今では皆目ながら、絶対に美少女なんだという確信があった。

 なぜだろう。変に胸がドキドキするのだ。

 渇いた喉を唾液で湿らせると、倫吉はバイクにまたがった。そう。自分を呼び止めた絵里菜ちゃんの家まで行ってみたくなったのだ。人違いだったということもすっかり失念して……なんだか物凄く大切な、忘れ得ぬ女の子のようにも思えるのだ。

 曖昧な記憶ながらも、あちこち路地を巡り……倫吉はようやく、記憶に残る白い門扉の家を見つけることが出来た。
 門からはかなり広い庭があったように記憶していたのだが、改めて見ると、そこには割り込んだけはいの建て売りが二棟ほど居座っていて、絵里菜ちゃんの家と思われる洋館をひた隠しているように窺えるのだ。何らかの事情で、土地を切り売りしたのだろうか?

 倫吉はバイクを止め、しばしその場に佇んでみる。目を閉じると、あの時の絵里菜ちゃんがほのかに見えるようだ。白いドレス……髪はちょっと長かったみたいだ……そう、色が白くて、眉が濃い……

 その時だ。

「信吉君!」

 背後に声があがる。慌てて振り向くと、まるで空想の中の女の子が十年の時空を超えて、ついそこに立っているようなのだ。
 白いドレス、やはり長い黒髪……色白の、濃い眉……薄い唇が照れ臭そうに微笑んでいる。もしかして……高校生になった絵里菜ちゃん!
          

 倫吉が、戸惑っていると、

「ごめんなさいね。あの時……信吉君なんて言って。恥ずかしかったのよ……」
「ど……どういうこと?」
「うん。高井倫吉君……しっかりと、本当はそう言いたかったのに……」
「……」
「実はね、あれからずっと倫吉君がここを通るのを待ってたの」
「……!」
「そうね。あの日の罪滅ぼし……ちょっと家に寄ってかない?」

 気がつくと、倫吉は門を潜り抜け……真っ白い勿忘草に埋もれた小道を、絵里菜ちゃんの後について歩いていた。

「あっ……もしかして、私のことなんて覚えてない?」

 ふと足を止めて頬を染めるのに、

「いや……そんな……ただ……」
「そうよね……一度も口をきいたことなかったし……」

 割り込んだみたいに建てられた新築の家屋を縫って、じきに奥まった絵里菜ちゃんの家の門扉の前に立つ。

 「さあ……入って……」

 誘われるままに扉を抜けた向こう……倫吉が思わず息を飲むも道理の……そこは、……かっての幼稚園の講堂だったのだ!
 まるで、ついさっきまで園児達がお遊戯でもしていたみたいに、円陣を作って十数脚もの椅子が並べられてある。

「ねえ、倫吉君……ここでのコト、覚えてる?」
「確か……うん。なんとなく覚えてる……」

 そう。たぶん「よい子ちゃん探し」とかいう、お遊戯だったはず。詳しくは記憶にないけど……確か、「よい子ちゃんを探しに、参りましょ」と歌いながら円陣の中で二人が組みになって踊り……次に、椅子にきちんと、つまり行儀良く座っている「よい子」を指名して、次のパートナーとするのだ。

「……思い出したよ。僕は……ワザと行儀の悪い座り方をしていたんだ!」
「そうよ。私は倫吉君を次のパートナーとしたかったのに、倫吉君ったら……身体捻って、変な座り方してたでしょ」

 イタズラっぽく笑って、絵里菜ちゃんが倫吉の顔を覗き込むのに、

「恥ずかしかったんだよ。君に指名されるのが……それに、僕は当時ちょっと孤立してたんで……仮に君と踊れても……次のパートナーには誰もなってくれそうもない気がして……」
「だったら、私がずっと……ずっと、倫吉君と踊ってあげたのに……」
「……!」
「私、ちょっと悔しかった。倫吉君は私のこと嫌いなのかなって……」
「そんなことはない。むしろ、その反対だったよ!」
「うん。今なら分かる気がする。そうね……許してあげるわ」
「ありがとう」
「でも、私も結構勝ち気だったんで……実はね……」
「実は?」
「誰も座ってない席に座っていた信吉君を、パートナーに選んだのよ」
「誰も座ってない席? ……そう、思い出した。君は確かに僕じゃなくて、信吉君をパートナーに選んで、楽しく踊っていたっけ……。でも、誰も座ってない席って……どういうこと?」
「バカね。信吉君なんて、いなかったのよ……」
「いなかった?」
「私か作ったのよ。倫吉君の形代として……」
「じゃ……信吉君って言うのは?」
「私とお友達になってくれる……もう一人の倫吉君よ」
「だったら僕は……いない筈の信吉君を……」

 思い返してみれば、……そうなんだ! 信吉君っていうのは、絵里菜ちゃんと仲良く出来る、理想の自分の見立てだったのかも……
 
 不意に講堂に音楽が鳴り渡る……

  ♬よい子ちゃんを探しに、参りましょ…… 

「さあ、あの日の続き。倫吉君……きちんと、行儀良くそこの椅子に腰かけるのよ」

 講堂にはいつのまにか、何十人もの園児達がどよめき、それぞれ行儀よく椅子に腰かけている。倫吉もすっかりと園児に戻る。ついそこの空いている椅子に腰かけると同時、そのままアニメになりそうなメガネっ子の先生が声を張り上げる。

「さあ、みんなよい子で座ってなきゃだめよ。そうじゃないとパートナーさんに選んでもらえませんよ」

 円陣の中では、何組かが楽しそうに踊っている。見ると……絵里菜ちゃんも、やはりアニメみたいに優しそうなお兄さん先生をパートナーにして踊っている。

「さあ、パートナーの交代よ。いいわね。よい子を選ぶのよ」

 倫吉は、絵里菜ちゃんに選んでもらうため……背筋を伸ばす。膝を揃える。
 とたん……目の前に絵里菜ちゃん。絵里菜ちゃんの手が倫吉に差し伸べられている……

 そう。もう、躊躇うことなんてないじゃないか!
 倫吉は絵里菜ちゃんの手を掴んで……

 音楽が高まる。二人は踊る。どこからともなく手拍子もわき起こる。二人は踊る。絵里菜ちゃんの笑顔がリズムに合わせて揺れる。二人は踊る。僕達は友達なんだ……
 一生離れない……友達なんだ!

 それから先、何があったのか倫吉はさっぱり分からない。明け方の夢みたいに、いっそ、ハサミでチョン切った雲みたいに頼りないのだ。

 講堂を離れて、真っ白な勿忘草を望む居間で、二人で紅茶を飲んだ気もする。なんかフワフワした甘い御菓子を食べた気もする。
 どんなお喋りをしたのだろうか?

 ……そうだった。絵里菜ちゃんが今、どこの高校に通っているのか訊いたはずなのに……なぜか首を振るだけで、……代わりに突拍子もなく、

「実はね……お母さんがトランプ占いに凝ってて……私と倫吉君の将来を占ってもらったことがあるのよ」
「興味津々だね……で?」
「幼稚園の頃のことだから……笑わないでね」
「うん……」
「将来……きっと、きっと……」

 絵里菜ちゃんの頬が真っ赤に染まって……
 それでも、会話はそこでプツンと、糸が切れたみたいに途切れてしまったはず。

 そして帰り際、絵里菜ちゃんがちょっと悲しそうに、
「もう、終わってしまうのね」
 そう言って空を見上げたこと……
 ……将来、きっと……
 ふと、空の彼方から、風に乗ってウェディングマーチが聞こえてくる気がした。ここって、お伽の国? 夢の国?
 ……今にも、今にも夢が千切れそうで、倫吉は衝動的に足下の小石を拾い上げた。なんの変哲もない白い小石だったけれど……倫吉はそれを、リングを飾る特大のダイヤモンドに見立てたかったのだ。
 絵里菜ちゃんは黙ったまま、倫吉の差し出すダイヤモンドを受け取ると、
「天まで届け! 私の住む天まで……」
 ちょっと声を張り上げると、光る宝玉を空に投げ上げる——   
 キラキラと輝きながら、じぎに光の穂先は蒼天の彼方に吸い込まれ……そこには、真から雲一つない青空だけが……
 
      ※

 バイクに乗って家に戻り……やっと日常が戻ってくる。晩ご飯はハンバーグとおでん……なんて組み合わせだよ。英語と、苦手な古文の復習をして……やけに疲れて眠りに落ちたはず……

 たぶん、全ては夢だったのだろう。

  味の消えたチューインガムみたいな泥の中から、イタズラ小僧が足を抜く……
 エッチの花園が、蠱惑の化粧で微笑む。大人になること……
 自転車のサドルも、ちょっと上げてみる……

 その後、倫吉は件の家に足を向けることもなく、今までと何一つ変わることの無い高校生活を送り、進路に悩み、夏季講習には無欠席……それでも気晴らしに好きなロックを大音量で聞き、……翌年、なんとか志望校を突破することも出来た。

 心はちょっとウキウキしている。これから楽しい大学生活が始まるのだし……俄然大人になった自分も実感出来るのだ。背丈も伸び、顔つきも締まってきた……たぶん、今ならあの信吉君と比べても遜色はないだろう。男子高ということもあって、女子との付き合いも皆無の情けない三年間よさようなら……

        ※

 大学入学の手続きも終えた春。
 
 勉強部屋を片づけていると、ふと本箱の裏側から一冊のアルバムが出てきたのだ。
見れば、「わすれなぐさ幼稚園」の卒園アルバムであった。
 思えば、「勿忘草」って言うのは、英語の「forget‐me‐not(私を忘れないで)」の和訳だったはず。英語の先生から聞いたことをふと思い出して……

  絵里菜ちゃん! 

 突然、夢の扉がけ破られたみたいな衝撃が走る。
 震える指先で、アルバムのページを繰る。まず、生真面目な座り方の自分を見つける。遠藤君もいる。ツネオ君はちょっとベソをかいている。おのずとにんまりしながら……視線ずらす。……どこにも見当たらない。そう。信吉君の姿が……
 なら……あの絵里菜ちゃんは? どこ? 何処?
 ……なんのことはない。倫吉のつい隣に、モジモジした絵里菜ちゃんが座っているのだ。

 その時、つい部屋に入ってきた母上が、

「倫吉、捨てるものがあるなら、ちゃんと紐とかで縛って出すのよ」
「分かってるよ。もう参考書ともおさらばだ」
「あら、何見てるの?」
「なんか懐かしいのが出てきたのさ。見て……幼稚園の頃の……」
「ああ、この頃の倫吉は可愛かったのにね」
「はっは、もう『ママ』なんて呼んでやらねーぞ」
「呼びたいなら歓迎よ。……あら、その倫吉の隣の子……確か、佐々木絵里菜ちゃんよね」
「お袋……知ってるの?」
「ええ、絵里菜ちゃんのお母さんとはちょっと知り合いで……」
「そうだったんだ……」
「実はね、絵里菜ちゃん、倫吉のことが好きだったみたいで……」
「まじ?」
「うん……でね、お母さんにトランプで、将来倫吉と結婚できるかって、占ってもらったんだって……」
「それで?」
「絵里菜ちゃんには、絶対に結婚出来るって答えたらしいけど……実際には……」
「実際には?」
「……最悪の卦が出てしまったらしくて……でも、どうせ占いなんだからって、お母さん笑ってたのに……まさか、あんな事になるなんて……可愛そうに……」
「何が?」
「倫吉は知らなかった? 卒園式の直後だったかしら……絵里菜ちゃんの家の近くで大きな火事があって、両親ともども絵里菜ちゃんも……」
「……!」

          ※

 倫吉は、居ても立ってもいられぬ心地で、夢の世界までロードバイクを走らせた。見上げる空は曇天だったけれど……走り行く先には、あの日見たマッサラなキャンバスみたいな青空が広がっている気がするのだ。
 
 迷うことも無く、倫吉は夢の世界の扉を前に……した、はずであった。

 確かに、この道、この路地に間違えはない。しかし、そこに思い描いていた白い門はなく、窮屈そうに居並んだ建て売りの向こうにも、あの日紅茶を飲んだはずの洋館も見当たらない。

 やはり、夢だったのだろうか? たぶん、思春期の亡霊ってやつだろう。倫吉はつい舌打をして、バイクのペダルに足をかける。
 が、走り出そうとした瞬間、前輪が何かを噛む。ふと視線を落とすところに……一個の白い小石が転がった。倫吉は慌てて車輪を引く。大切な、ものすごく大切なものを踏みつぶしているように思えたのだ。
 倫吉はバイクを降りると、その小石を拾い上げた。不意に切なくなって、その小石を宝玉のごとくそっと握りしめた、とたん……思い出のダイヤモンドは、 無言の叫びを上げて、脆くも砕け散った……
             了

 

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