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【短編小説】原っぱの桃源郷(改訂版)

 

 塾からの帰り道、峻也(しゅんや)はふと住宅街の一画に足を止めて、その空き地に目を向けた。

 こういうのを「原っぱ」って言うのだろうか? 

 昨年亡くなった祖父が昔話に、当時は都会にも「原っぱ」という遊び場があって、ゲームなんかより素晴らしい世界が開けていたんだと、峻也に語ってくれたものであった。玩具などなかったけれど、そこらへんに落ちている石ころやガラクタを組み合わせ、時には秘密基地を作ったり、転んで怪我をしても、ひざ小僧の瘡蓋(かさぶた)はいっそ勲章なんだと、まさにワンパクの勧めであった。
 塾なんかより、自然の教室で学べという意見で、よく母上と言い争ったものだ。

 とはいえ、母上の意向もあったし、周囲に流されるタチもあって、峻也も小学三年の時から遊びたい時間帯を犠牲に、塾通いを始めたしだいである。
 それでも、祖父の話は峻也の頭にずっとこびりついていて、「原っぱ」での遊びを、どこか別世界への誘いと信じていたのだ。

 今、目の当たりにしているのは一年ほど前に取り壊された古い洋館の跡地で、戦前から続いていた小病院があったと塾の先生から聞かされていたのだ。なんでも二百坪ほどの広さで、いずれ建て売りが幾棟か建造されるとのことであった。

 あたりは薄暗くなりかけていたが、峻也はわずかに躊躇ったあと、囲ってある「立ち入り禁止」の表示を括り付けた針がねをくぐり抜け、「原っぱ」に足を踏み入れた。
 祖父の言葉が思い出されるのだ。

 いいか峻也……「立ち入り禁止」っていうのは、「さあ、入りなさい」っていう意味なんだぞ……
 
 雑草と、たぶん不法投棄のガラクタと、散乱するコンクリートの破片や石ころ……それらが、どんな玩具に変身するのかは皆目ながら、峻也はディズニーランドなんかでは感じことのない胸の高まりを押さえることはできない。
 何かが……何かが、待ちかまえている気がするのだ。

 じきに、日は暮れたが、あたりの街灯の煙る光が「原っぱ」をほんのりと浮かび上がらせ、あたかも憧れの別世界に闖入したふぜいであった。
 試しに、足下の黒光りしている小石を拾い上げてみると、これこそ宝玉じゃないかという気分にもなってくる。そしてもう一つ、一メートル近い枯れ枝を手に取れば、……素晴らしい、これって魔剣?

 妖怪でも出てきたら、こいつでやっつけてやる!

 つい、アニメのシーンを思い出していきりたった時、横手に声があがって、

「坊や……」
「えっ? ……」

 さすがに心臓がおどり、ついあたりを窺えども人の姿は見えない。幻聴だろうか。そう思ったとたん、

「坊や、こっちだよ……左手の木を見てごらん」

 身を引きながらもその方に顔を振ると、そこには一本の木……それでも、葉の一枚も残っていない朽木がそそり立っている。五、六メートルほど……実際はもっと高いはずが途中で裂けるるように欠損していて、なんの木とも判然とせぬ大木であった。

「坊や、目を凝らして、よおくご覧……」

 まさに、木が話しているとしか思えないのだ。声は穏やかな男性のもので、恐怖心を鎮めてくれる抑揚があった。
 峻也も魔剣を手に、幹を見据える。やがて……瘤状に盛り上がった表皮に、顔のようなものが浮き上がってくるのだ。
 目がある、鼻も……そして、ちょっと大きめの口もある。その口が、ぐにゃりと蠢くとみる間に、

「怖がらなくていいよ。こんな聖地に踏み込めるなんて、坊やはきっと野性の羅針盤を持ってるのさ」
「野性の羅針盤?」
「そうだよ、普通の人にとってここは単なる空き地だけど……実は、ここに桃源郷を作ろうと思ってるのさ。ま、その前に自己紹介くらいしなくてはね……聞いてくれるかい?」
「うん、分かったよ」

 よく見ると、男の人の顔はケーキのブッシュドノエルに描かれた漫画みたいに穏やかだし、手足がないのだから危険ということもないだろう。峻也も、アニメのヒーローを自らになぞえ、近くの木箱に腰を落とした。
 もちろん、恃みの魔剣だけはしっかりと握りしめて。

「実は私はね、名前は大杉恭一……ここにあった病院の院長だったんだ。ま、天才学者と言っておこうか。世間じゃキチガイ博士とも言われたけど、その実……一部の学会では不老不死の権威とも呼ばれていたんだから……」
「すごいね先生。不老不死なんて、アニメの世界だけと思ってた。本当に可能なの?」
「坊やには難しい話になるけど……遺伝子の組換えで、あと一歩の所まではこぎ着けたんだよ……」
「あと一歩?」
「そう。でも……私は、世界に絶望しちゃったのさ。実は、一般には公表されていないけど、世界中で、臓器移植を以て寿命を伸ばす技術が確立しているのさ。もちろん、その恩恵に預かれるのは、ほんの一つまみのエリートだけだけどね……」
「聞いたことないよ……」
「ネットなんかで調べたって出てこないよ。本当のことは、いつだって秘密にされるものなんだから……」
「そういえば、死んだおジィちゃんもそんなコト言ってたよ。ネットに載ってるのは、許可された情報だけだって……」
「ほう、素敵なおジィさんだったんだね」
「うん。でも、母上とはいつも喧嘩してたんだ……」
「話を戻すけど……考えてもご覧、坊や。人間って奴、いつまでも無限に生きられると思うと、どうなるか分かるかな?」
「たぶん、無限にお金が欲しくなるとか……」
「そのとおり。臓器交換には大変なお金もかかるわけだし……そのためなら貧乏人なんかどうでもいい……」
「つまり、お金持ちだけが不老不死になって、死ぬのは貧乏人だけって世界なの?」
「とんでもない世界を夢見たものだね。だから私は、不老不死の研究なんて、やめてしまったんだよ」
「でも、もったいなくないの? それって、絶対ノーベル賞だと思うけど……」
「……死神がそんなコト、許すわけがない!」

 大杉博士が声を荒げる。思わず身を引いた峻也に、

「ごめんごめん、つい興奮して……」
「大丈夫、お母様に比べたら……」
「……私はね、人類の行く末に絶望したのさ。今だって世界じゃ殺し合いを続けてる。本当に人類が進化したのか……私は信じられない……で、決心をしたのさ。金丹伝説にも賢者の石への崇拝も否定した、本当の桃源郷を作ろうと考えたんだよ……ちょっと難しいかな?」
「平気だよ……アニメでお馴染だし……」
「じゃ、続けるよ。私はね、不老不死の代わりに、人類の命を種子の中に封じ込める術を発見したのさ。種から生まれた人間、ま『花の子供』と言っておこうか……」
「花なんかになりたくないよ。動けないんでしょ?」
「そんなことはないよ。根が足に、茎が手に、花びらの中には、坊やみたいな可愛い顔が宿るんだ……」
「そうなんだ!」
「『花の子供』は、自由に野面(のもせ)を飛び回り……やがて成長して、恋もするようになる……」
「人間と同じじゃないか」
「少しばかり違うのは、ここからさ。恋をした男の人と女の人はね、身体を合体させて、一本の木に生まれ変わるんだよ……」
「じゃあ……赤ちゃんは産まれないの?」
「そんなことはないさ。木はやがて花を結び……種子を作る。その種子が綿毛に乗って地上に降りしきる……そして、新たな『花の子供』が誕生するんだ。輪廻転生ってやつさ……」
「聞いたことあるよ……」
「坊や……思い浮かべてご覧、花の子供達の遊び回る様を……まるで、揺れ動く花畑さ。イジメも何も無い。そして、恋をするにも、いっさいの打算もない。雌しべと雄しべのように純粋に愛し合う。やがて木々は世界中の悲しい戦(いくさ)の傷跡を覆い隠して……愛の夢を見ながら、野面(のもせ)で戯れる花の子供達を見守り続けるのさ……これが、私の描く桃源郷だよ……」
「なんだか……おとぎ話みたいに聞こえるけど……」
「そう、おとぎ話だよ。ここで坊やに会えたのも運命……坊やは、魂を持っているのさ。だから、おとぎ話の中にも入ってこれたんだね……」

 峻也はふと、亡くなる直前の祖父の話を思い出した。

「峻也、人間には五臓六腑の他にもう一つ、解剖図鑑には載っていない、一番大切な臓器があるんだけど、分かるか?」
「わかんないよ」
「魂だよ……」
「魂って臓器なの? なんで図鑑には載ってないの?」
「そんなものいらなと思われてるからさ……一番大切なのにシカトされて……」

「退化してしまったんだよ……不老不死なんか夢見ると、人は愛することを忘れてしまうんだ。魂って、実は架空のものじゃない。『愛の臓器』という立派なな器官なのにね……」

 思い出の祖父の声に、大杉博士の声が重なってくる。

「……もう夜も更けてくるし、ご両親も心配しているだろうね、最後に一つお願いがあるんだけど……いいかな?」
「うん。なんだかオジサンと話してると、死んだおジィちゃんのこと思い出すんだ……」
「はっは、嬉しいね。実は、私……つまりこの木の根元に、さっき話した『花の子供』の種子が隠してあるのさ。取り出して、この地に蒔いて欲しいのさ。新しい、人類の誕生だよ」

 確かに、根元をほじくると、掌に納まるほどの小瓶が埋っている。中には、タンポポみたいな綿毛のパラシュートを付けた種子がたっぷり詰まっているのだ。

「これをどうやって蒔けばいいの?」
「今までの人類とは違って、野性を秘めてるからね。ただばらまくだけでいいんだ。ただし、原っぱじゃなくてはね……」
「ここみたいな?」
「そうさ……都会にはもう原っぱなんて消えてしまったからね。公園なんかじゃだめだよ。子供が玩具なんか持ってなくても遊べるような、多少怪我の危険もあるけど、夢という取って置きの肥料がたっぷりの地じゃないと芽吹かないんだ……」
「じゃあ、僕の知る限りここしかないね。なら今から始めてもいいの?」
「残念だけど、もう冬も近い。種まきっていうのはね、年二回……春か秋って昔から決ってるんだよ。だから、来年の春に……お願い出来るかな?」
「約束するよ。桃源郷……見てみたいし……」
「じゃ、その瓶、無くないように。別に常温保存で問題ないからね。じゃ、来年の春……
種まきの時に会おう……」
「ところで……」

 言いかけた時、

「峻也、何やってるのよ!」

 見ると、車に乗った母上がつい向こう……窓から顔を突出している。すぐにも車から降りたのが、無遠慮に「原っぱ」を蹂躙して近づいてくるなり、

「もう、心配させないでよ……誘拐されたと思ったじゃない!」
「ごめんなさい、お母様……実は……」

 つい顔を振るところ……大杉博士の顔は、すでに立ち枯れた樹木の幹の中に吸い込まれたように掻き消えていた。足下には、益体も無い石ころ……右手には枯れ枝。

「峻也、二度とこんな道草はだめよ、……きっとおジィちゃんの影響ね。さ、行くわよ。今夜は大好物のビーフカレーだから」

 峻也は、魔剣をもぎ取られ、すみやかに車に連行される。
 乗り込むところ、助手席には中学受験のパンフと一緒に、小さな段ボール箱が転がっていて……刷り込まれたロゴに、

 『不老不死製薬』

「お母様……不老不死って、これ?」
「それね、さっき届いたのよ。ネットで見つけて、今、大評判の化粧品なの……ねえ、峻也、峻也だってお母さんがいつまでも若い方がいいでしょ!」
「不老不死なんか、大嫌いだ!」

 峻也は小声で吐き捨てると、ポケットに手を忍ばせる。大切な種子の詰まった瓶だけは、奪われることもなく隠し持ってきたのだ。
 車が走り出す。峻也は母上の目を盗み、そっとおとぎ話の瓶をとり出して見る。

 しかし、左手に握られていたのは、泥に汚れたカラッポの、ありふれた薬瓶であった。

              了

 

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眠れない夜に

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