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床に座る生活

 我が家は元来日本家屋とあって、僕が生まれた当時は当然、畳の生活であった。


それでも、僕自身はガキの頃から机と椅子という環境で、軽薄にもいつか洋室を個室としたいとの願望があった。

 まあ、希望どおりとはいかなかったが、中学に上がる頃から個室はフローリングにし、居間も簡易洋室に仕立てて、食事なども椅子とテーブルの生活に移行した。

 ところが、学生時代の頃だったろうか……祖母が椅子に座り損ねて尻餅をつき、結果股関節を患って、歩行がままなぬ状態に陥ったのだ。

 たぶん、これが切っ掛けだったのだろう。椅子やテーブルは撤去され、昔の畳生活に逆戻りしたわけだ。

 以来、僕は床にペチャンと座る生活である。
 小説に興味を持ち始めた頃は、着流し文士に憧れ、二月堂という机の前、時には正座して精神集中に努めたこともあった。結局挫折したが、この二月堂を前に、書道にハマったのも今では懐かしい。

 思えば、正座というのは案外好きで、特にお袋によく連れてゆかれた長唄の演奏会で、鳴り物の演者の端正な座り方などは、心底カッコいいと真似したこともあった。

 確かに、僕はあんがい正座が苦にならない。

 中学当時、悪ガキだったせいか……罰として、よく職員室で壁を目の前に正座させられたものであった。たいていは仲間数人と一緒なのだが、僕を除けば揃ってすぐに足が痺れたらしい。かなり苦痛らしく、これを以て反省しろというのが、教師の眼目だったはず。

 確かに、小一時間座らされ、つい立ち上がった仲間達は即はまともに歩行も出来ずふらついていたと思う。
 ところが、僕はへっちゃらなのだ。勿論、多少痺れはするが、親指のちょっとした仕種でこれを解消するわざをおのずと身につけていたらしい。

 だからと言って、へっちゃらを教師に悟られたら、改めての罰が待ち構えているように思え、僕としては精一杯……ほとんど道化的なまでに、足の痺れの演技をしたものであった。

 まあ、今では正座などはせいぜい法事の時くらいなもので、日常では胡坐か足を投げ出すの、懶惰な姿勢で食事をしパソコンも操っている。

 ただし、この姿勢だとギターの弾き語りなどには不向きなのだ。炬燵に入ったまま、ギターなんぞ引こうものなら、絶対に進歩しないだろう。

 ぼんやりとした願望なのだが……僕は自分の部屋として一つの理想がある。
以前、藤田嗣治の展覧会で見たのか、詳細は忘れたが……洋間の一隅に座れる程度の高さの床を設け、そこに畳が敷いてあるという仕様だったはず。火鉢や炬燵も置けそうである。
 それが絵だったか写真だったのかは覚えていないが……なんとか、かく改造できないだろうか?

 一段高くなった畳に腰掛けてギターを弾き、足を反転させれば炬燵にも入れる。

 その気になれば、そんなに費用もかからないと思うのだが……やはり物臭には不可能かも知れない……

 

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