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【恋愛小説】 紫水晶(アメシスト) 3章・4章

      

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 なに、要するに奴はインディアンの戦士に己れを準えようとしたらしい。愛の戦士。いかにも奴の考えそうな小児的発想だが、ま、俺に言わせれば奴は戦士どころか、情けなや「恋の奴」というわけだ。事実、奴が信じるほどに得難い美女とは思えない。胸も低いし、足にしても脚線美とはお世辞にも言い兼ねる。己れの美意識よりも、見栄のために周囲の目を意識するのが現代人の流行とあってみれば、奴がやきもきするほどモテるおんなとも思えないのだが……

 電車が止まる。いつもは大勢乗り込んでくる駅のはずが、やはり扉の向こうに控えるは数人のわびしさ、とはいえ……待てよ、その中に目を引くナイスバディーがいる。いいねえ。りん子なんぞと違って胸高く、足長く、つい鼻の下がのびかけたが、やれやれ、乗り込んできたのはおんなの彼氏らしいバイクのヘルメットを小脇に抱えた野郎だけ。いかなるわけあいか、おんなは別れを惜しむよう涙なんぞ見せていたが、扉が閉まるや、ヘルメットの彼氏への未練なんぞ糞を食らえの冷淡さで視線を切り、何事もなかったように髪を掻き揚げて遠ざかる。
 電車が動き出す。おんなの汗ばんだ胸の膨らみが追うもむなしく視界から消え去るに代わって、線路沿いの墓石ローンの看板が目に飛び込んだ。くそっ、縁起でもねえ。首を戻し、車内の吊し広告に目を転ずると、何の雑誌か『幽霊特集号』とぶつけている。「背後霊の特典」「地獄の沙汰もカネ次第 その真相」等々……

 とにかく、奴は仕事の出来ない幽霊のような男におんなは絶対に惚れないというアホな定義を信じ込んでいたらしい。「幽霊」と書いて「つやごとし」、「駄目男」と綴って「いろおとこ」と読ませる奥義なんぞ奴にはいらぬお世話だろう。
 そのように、奴は企画会議の席上、人が変わったように熱弁を振るい始めたのだ。もとより萎れた観葉植物の突然変異に周りの連中がつい吹き出すのも止むを得ぬ仕儀ながら、委細かまわず、ほとんど何かに憑かれたように自己主張を続けてみれば、馬鹿の初一念あらたかに、その意見がやがて凄味を増し、時には会議室全体をシンとさせる迫力すら持ち始めたのだから恐ろしい。

 まずは開口一番、ワンタッチのビンの蓋、赤ん坊のような握り方でも中身の絞れる歯磨きのチューブ、缶切り不要の缶詰等々、すでに既成事実となった便利主義を突拍子もなく俎上に乗せ、進化を遂げた万能とも言える十本の指の機能を現代は忘れてはいないかと批判したのが、そんな状況下で育つこどもたちはやがて頭を使うことも面倒がり、ついにはコンピュータのごとく既存のソフトでしか作動しないへいたいに成り下がってゆくかも知れないというところまで極論する。そうならないためにも、すでに一大産業である玩具業界の力にに於て、指の機能を復権せよ、人間性を奪還せよ。
 拳を握り、テーブルをゴツンゴツンと叩いての堂々たる演舌ぶりは、少し前の奴の姿勢からは想像だにつかない。
 無論、奴の意見そのものは別に目新しくもなく、いっそ陳腐にして幼稚とも言えるのだが、これが一つの波紋を社内にもたらしたのは事実のようであった。

 そもそも『ファンタジー商事』は戦後まもなく、野球盤をもって急成長をとげたアナログ玩具の老舗とあって、指先こそ凝縮された身体とばかり各種スポーツ盤を目玉に根強いファンの信望を得ていたものである。
 それでも世の趨勢には逆らえず、前社長の時代よりコンシューマーゲームに進出したものの、創業者でもあるデジタル嫌いの会長の鶴の一声によるアナログ分野の温存が祟り、業績の不振は目をおおうべきものがあって、路線の狭間に心労のすえ、決断力に劣る前社長は頭の配線が切れて急逝の憂き目であった。結果、会長の孫にあたる三代目が跡目をついだわけだが、こいつ三十代の若輩のくせにやり手で知られ、社の路線をデジタル一本に絞りたいとの意向のもと、からだの衰えた会長を無視し、古株の番頭連をも蹴落としにかかっているというのが現状であった。
 かかる状況に於て、奴の発言は何をもたらしたか。そう。会長に身命を賭する守旧派の番頭どもを活気づけ、若い世代からもアナログ玩具への回帰を読み取った会長にしても俄然気力横溢、三世の若手社長の独裁を崖っぷちで阻止するという梃子に利用されたのだ。
 もちろん、奴に社内の派閥まで操ろうなんぞという目論みがあったはずもなく、畢竟信じるところの意見を述べたまでながら、守旧派の重役に目をかけられてみれば、ここに一つの手応えを覚えるのも無理はない。
 まあ実情はどうあれ、奴も奴なりに努力することで、多少なりとも男の自信といったものが持てたのだろう。奴はやっと一つの賭に出たのだ。なんともはや、珍妙なる方法で……

       4
 ぼくは、なんとなく、こころのリズムに乗る自信が持てるような気がしてきた。逆巻く生の濁流の中、今、初めて水底に両足をついたような、そんな実感だ。
 同時に、彼女への思いは募るばかりだ。彼女を知ってから、四箇月、五箇月と空しく時は流れる。

 彼女を失ったら、ぼくは死ぬ!

 酔余の戯言らしい走り書きに、そんな文字がくねっていた。未だかって味わったことのない、より強く、より鋭く、より深く、人生そのものを根こそぎ左右しかねない立体的な感情の塊がむくむくと、容赦なく育ってゆく。
 ……だというのに、きっかけすら掴めない。部長に異数抜擢されることのほうがどれほど容易いことか。少なくとも、ぼくは社員として登録されているのだ。しかし、彼女のこころに、ぼくなんか絶対に登録されているとは思えないのだ。今なら、社長に直訴する勇気すら持てそうな身だ。思い切って声を掛ける以外手段はないはず。けれども、自分の気持ちを淀みなく伝えることができるだろうか。しどろもどろで、大恥をかくのが関の山だろう。
 ぼくは月に向かって叫び、拳を握り、何度も何度も額に線を引いた。そして、一つの手段を思いついたのだ。そう、手紙。ただし、切手を貼って投函しようと企んだわけでは断じてない。てっきり、戦士の自尊心さ。彼女に声を掛けたあと、これを読んで下さいと手渡すのだ。もちろん、そのまま逃げ出すような卑怯者にはなりたくない。しばらくは瞑目して、俎上の鯉さながらに、じっと運命の声を待ち受けるのだ。
  
前略                           
    本来ならば、直接お話しなければならないところな
   のですが、生れつきの口下手故、文字に置きかえる失礼 
   をお許し下さい。
    ぼくの名前 井口至(二十七歳 独身)
    勤務先 『ファンタジー商事』第二企画部
    趣味  ハーモニカ
    ときに、今年の五月三十日、社内食堂にてゆくりな
   くも貴方がナポリタンを食しているところをお見掛け
   して以来、貴女を好きになりました。貴女の笑顔が忘
   れられません。
    ぼくと、交際して下さい!  

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