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【短編小説】深夜の幻想譚(改訂版)

 午前一時を待って、工藤祥吉は愛用のロシナンテ号に乗って家を出た。ご大層な名前だか、幾分ガタのきたマウンテンバイクである。


 なに、ネットオークションでゲットしたF値1・2の明るい単焦点レンズを試してみたくなったのだ。コロナ以来、友人とも音信不通、飲み屋に脚を向けたこともないのだから、ストレスは破裂寸前の風船なみだ。時には缶チューハイ片手に路上で喚き散らしたい衝動にもかられるが、三十路過ぎのしゃらくせえフンベツはこれを許さない。
 せめて、真夜中の写真撮影くらい、許してもらいたいものだ。

 写真は趣味だか、SNSに載せてイイネをもらうほど悪趣味でもない。一時は自炊で修得した独りよがりの創作料理をレシピも加えた写真で紹介して悦に入ったこともあったが、撮影が終わったあとの冷めた料理を食っているうち、俺……いったい何やってるのかと、つい白け、あっさり脱退したものだ。まあ、いい。他人のイイネより、自分が付けるイイネの方が祥吉の趣味には合う。

 被写体は、とにかく平凡などこにでは生えている草花や苔。これをマクロレンズで切り取って別世界を作るのが楽しい。
 ところが、この個人的趣味、ままならないご時世らしい。カメラをぶら下げて被写体を物色していると、小さな女の子を狙うヘンタイと見えるのか、職質も二度ほど受けたし、ふてくされて一服していると、副流煙の件でがみがみ……。 
 ならば、深夜ならばと、街灯だけを頼りの撮影を思い描いていたところに、長年欲しかったレンズが出品されていたのだ。飛びつかぬ法はない。ボディは傷だらけながら、レンズ自体に問題は無く、何より格安で手に入れることができたのだ。
 
 振り仰げば満月。こいつはいい。カメラをたすき掛けに、祥吉はペダルを踏みしめる。いつもならこの時間帯、一杯ひっかけながらぼんやりとアニメを見ていたはず。ところが、今夜はどうか、アルコールなんぞ毫末も頭には漂わない。それでも、気分はいっそハイであった。アニメに出てくる荒唐無稽の魔法の世界が、なんだか待ちかまえているような気がするのだ。とりあえず、目的地はない。感性の赴くままに、町並みを右に左のハンドルを切る。元来情けないほどの方向音痴とあって、数十分もする頃には、今自分がどこを走っているのかサッパリわからない。これはいい兆候だろう。夢への横道、過去に下る坂道、未来への抜け道へとぶつかりそうな予感がある。

 心地よく汗ばんだところで、とりあえず一服。祥吉はバイクを降り、あたりに目を配る。ありふれた住宅街。もとより人影は皆無だ。道幅は車一台がやっというところだろう。左手に石壁……これは皴入り煎餅みたいにおんぼろで、その向こうには野放図に樹木が茂っていて、その先には教会らしい尖塔が満月に浮かびあがっている。
 右手には、なかなか鷹揚な地所を抱えた住宅が連なっている。建て売りなんぞという風情を削ぐ建物ではなく、古めかしい洋館という佇まいだ。広い芝生の庭に、ポツンと白いブランコが見える。かなりの高級住宅街らしい。窓からは明かりが漏れていない。見事に寝静まっている。とりあえず、カメラを手に、無人の芝生にレンズを向け、幽霊でも座っていそうなブランコにフォーカスを合わせてみる。F1・2の実力の確認だ。とりあえず連写で数枚。

 その時、ミャーオ……と、猫の鳴き声。目を転ずると、ついそこに真っ黒い猫が畏まった。街灯の真下で、さも自分を撮ってくれといわんばかりである。OK。ジッとしてろよ。深夜の街角の黒猫、なかなか絵になるじゃないか。祥吉はレンズを向ける。いけない。あわててしゃがみこむ。そうなんだ。小動物や子供の撮影では、決して見下ろすように撮ってはいけないのだ。同じ視点で、相手に溶け込む。だめだ。近すぎる。もっと引こう。かがんだまま、後ずさり。猫のやつ、なかなかモデル根性がある。いくぶん首を傾け、ちょっとそっぽを向いている。目は明るいブルーでなかなか神秘的だ。フォーカスをそんな目玉に合わせて、シャッターを切る。
 いいよ、いいよ。とっても素敵だぜ。以前、1度だけ女性のモデルを雇って、公園で撮影したことを思い出す。名前は忘れたけど、一時人気のあったアイドルに似ていて、こっちもかなり乗る気になったものだ。モニターを見せると、わーステキと笑顔を広げ、プロのフォトグラファーみたいとおだてられ、契約になかった食事までご馳走したものだ。一瞬だったげと……写真家になれるかな? と自惚れたはず。
 しばしの後、飲み屋の常連がプロのファッション系の写真家を知っているというので、臆面もなく自作を見せたことがあった。かなりいいんじゃない。センスを感じるよ。髭面を終始ほころばせて褒めてくれたはいいが、必ず最後に「素人としてはね」という文言がぶら下がった。
 そうさ。写真なんて、素人だからこそ楽しいのだろう。

 そうだろう……「黒ちゃん」。知らずつけた名前で呼びかけると、目の前の無料モデル君、小さく、ミャーオと応えてくれる。
 ひとしきり撮影も終わり、一服したくもなってくる。昨今では路上はおろか公園でもスモークフリーの、愛煙家には厳しいご時世だが、この寝静まった絶対空間でなら許してもらえるだろう。もちろん、携帯灰皿だけは常に携行しているさ。さっそくタバコをくわえ、Zippoのヤスリを回転させたとたん、不意の明かりに驚いたたものか、「黒ちゃん」のやつ、あっという間に走り去った。おい、待てよ! つい見回せど、黒猫はどこぞの闇に溶け込んでしまったらしい。

 まあ、充分に撮影は楽しませてもらったのだから……
 とりあえず、くわえ煙草でモニターをチェックしてみる。うん。なかなかいい絵が撮れているね。素人としては……
 さてと、もう少し先に進んでみるか。

 吸い殻を始末してから、祥吉はあらためてバイクに乗ってペダルを踏みしめる。相変わらずの古めかしい洋館の住宅街が続いていたが、不意に、Y字路が街灯に浮かび上がる。とても人の住んでいそうもない、廃虚と化した二階建ての木造のアパートを挟み、左右とも道幅は一気にせばまっていて、せいぜい自転車くらいしか進めないだろう。私道の類いなのだろうか。自転車を止め、右手を覗き込んでみると、左右の蔦状の植物が繁茂していて、まるでこっちには来るなと威嚇しているように見える。一方左手は、なんとも昭和レトロな大和塀が続いていて……

 と、どこぞ路地からでも飛び出てきたものか、人影が揺れ、つい自転車のライトを向けると、そこに一人の少女の姿が浮かび上がった。
 ライトが眩しいのだろうか、片手を顔のあたりで翳しているのに、
「あっ、こめん……驚かせちゃったかな?」
 恐る恐るといった感じで、こちらに近づいてくるを見れば、高校生くらいだろうか、三つ編みの地味な黒髪、シンプルな白のワンピース、目立たないちんまりとした顔立ちだ。それにしても、こんな真夜中に……と、埒もない罪悪感に襲われていると、
「ねえ、黒丸を見なかった?」
「黒丸?」
「猫。真っ黒な……」
「あっ、もしかして……」
 デジカメのモニターを見せると。
「うん、この子……」
「だったら、たった今……つい向こうで見かけて、可愛かったんで写真を撮ったんだけど……」
「どっちに行ったか分かんない? あの子、ぜんぜん言うこときかんいんだから」
「まあ、この暗闇の中の黒猫だからね。気が付いたらいなくなってたって感じさ。君の猫ちゃんなの?」
「そう。……うん家族かな? それより、こっちには行かなかった?」
 樹木の密集した右手の道の方を顎でしゃくるのに、
「ごめん、それも分からないなぁ……。てか、こっちの道なにか危険でもあるのかい? まるで都会の獣道だ。魔物でも出そうだね……」
 軽い冗談のつもりで、笑いかけると、
「魔物は出ないけど、そっちはまだ戦争してるのよ」
 なかなかシュールな冗談じゃないか。つい、反応に戸惑っていると、生い茂った樹木の向こうに閃光が走り、火の粉の塊みたいのがこちらに跳びかかってくる。咄嗟に顔を背けたものの、一瞬右頬を火の粉がかすめたようであった。
「あち!」
 頬を押さえて飛び退くと、
「あっ、大丈夫?」
 少女が顔をぐっと近づけてくる。カッと目が見開かれ、かなりの美少女ぶりに戸惑っていると、
「あっ、火傷してるみたい……」
「まっ、たいしたことはなさそうだけど。何なんだい、今の火の粉?」
「焼夷弾よ」
「焼夷弾?」
 ますますシュールじゃないか! それとも、夢でも見てるのだろうか。いや、確か俺は、深夜の撮影のために家を出て……

 前後の検証の間もなく、少女は自転車のハンドルをグイと引っ張って、
「おじいちゃんが、万能の軟膏を持ってるから、塗ってあげるよ」
 そのまま、左手に歩を進めるのに、祥吉も従った。

 街灯……これまたレトロな裸電球の明かりに浮き出る少女の後ろ姿は、先ほどの黒猫以上に絵になるじゃないか。だからといって、とてもモデルを依頼出来るような状況ではないだろう。
 それにしても、焼夷弾? バカな。それでも、頬には軽い火傷みたいな痛みが残っている。そうか、くわえ煙草が原因なんだろう。
 とりあえず、あたりを見回してみる。右手はかなり年期の入った茶の垣根、その向こうには平屋の日本家屋が月影の中うすぼんやりと蹲っている。そうとう古い佇まいだ。左手は、しばし大和塀が続いた後、なんだろう、粗末な木製の箱がこたごたと並べられていて、つい仰ぎ見れば。古めかしい看板に「金子青果店」とペンキ文字でぶつけてあった。野菜類は見当たらない。閉店?
「こっちよ」
少女がこちらに振り向くと同時、空っぽの店の奥から、

「Hay hey Paula,I wanna marry you……」

 なんともレトロなポップスが流れてくる。たぶん、真空管のラジオじゃないだろうか。
 リンゴでも入っていたらしい木箱が散乱するさき、十坪ほどの中庭、その先に地方の民家みたいな縁側があって、奥の薄暗い日本間に老人らしき人物が座っている。
「さ、あがって。おジィちゃんは部屋の奥。事情があって、動けないのよ」
 とりあえず、転がしてきた自転車を止め、部屋の内部を窺うと、
「ああ!」
 無造作な白髪に白髭の、木彫みたいな老人が感嘆の声とともに身を乗り出してくる。
 少女がサンダルを脱いで廊下に上がり込みながら、
「どうしたの、おじいちゃん。この人、戦のとばっちりで頬っぺたにちょっと火傷したみたいなんで、例のお薬を塗ってあげてよ」
 とたん、老人の強い声が、
「由佳里! この方をどなたと心得る。若君ですぞ。若君……」
「えっ、うそ……」
 色をなした少女が、慌ててこちらを振り返る。目が驚愕に見開かれ、美少女ぶりが際立った。それにしても……若君? なんの冗談だろう。面食らう間もなく、少女は廊下を飛び降り、素足のままにその場に平服する。
 老人は両手を床につけて、
「若、いまままでいったい何処に! 民の暮らしの見聞ならば、臣下のものどもに……いや、そんな小言を言っている場合では……。一大事……若の留守の間に、妃が妃がかどわかされ……」
「それって……誘拐? 妃? それに若君って?」
 待てよ。これって絶対に夢だろう。完全にアニメの世界じゃないか!
「それより若。お怪我をされたとか、ぜひこちらへ。爺は若を長年お待ち申し上げ、ごらんのとおり脚が木になって動けないのでございます」
 手まねのままに上がりこんでみれば、確かに老人の下半身は半ば植物と化し、畳にめり込んでいるように見える。
 祥吉がいざって間近に寄ると同時、老人は右手薬指を舌でなめ、即座に光った唾液を火傷に塗る。とんだ民間療法じゃないか。
「秘伝の妙薬。悪魔の爪痕とて、一晩で完治いたしますぞ」
「それより……さっきの誘拐とか……いったい……」
 とっさのアニメの登場人物さながら、台本がなければ言葉は出ない。
「そう。妃をかどわかした者は誰とも知れず……。おお、それにしても若……すでに悍馬ロシナンテをお召しということは、妃のありかをすでに……」
 悍馬? つい振り返ると、先に止めた自転車に変わり一頭の黒い馬が嘶いた。由佳里とか言うらしい娘が手綱を押さえ、神妙に控えている。
 ここはもう、アドリブで乗り切るしかないだろう。
「爺、由佳里……心配をかけた。妃は必ず私がこの命に賭けて奪還しよう」
 つい鐙に足を掛けると、身体はおのずと馬の背に飛び乗った。行くぞ。ロシナンテ。悪魔の居城なりとも、私をつれてゆくがよい!

 了解とでもいいたげな嘶きのあと、馬は祥吉を乗せたまま、まさしく風のごとくに疾駆する。背後に、再びラジオかららしい古めかしいポップスが纏いついて、

「 One boy one special boy. One boy to go with, to talk with and walk with . One boy, that's the way it ...」

              了
 

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眠れない夜に

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