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キャベツに学ぶ人との距離感

この文章は、ほぼ会話で成り立っています
会話の括弧を変えて表現しています
僕アキヒコの発言<> 彼女ミナミの発言『』

日曜日。自宅での夕食。僕の前には、妻のミナミが座っている。
うちには、テレビがない。あるのは、僕らの会話だけ。

ミナミ 『会社に苦手な人がおるんやけど、席替えでその人の隣の席になったんよ。今まで出来るだけ避けてきたのに……明日会社行くの嫌やわ〜』
  以下ミナミの言葉は『』で区切る。
僕 <へ〜、なんでいやなん?>
  以下僕の言葉は<>で区切る。
『なんでって隣の席やと無視するわけにもいかんやん』
<苦手な人、話してみたらいい人かもよ>
『まぁ挨拶ぐらいはするけど。あんまり気が進まんわ。』
<苦手と嫌いの境目ってなんやろうなあ>

今日の夕飯は、ハンバーグだ。ハンバーグの日のメニューは、決まっている。コーンスープ・野菜サラダ・ハンバーグ・ニンジングラッセ・ご飯・らっきょう。

『キャベツとピーマンみたいなもんやないかな……』
<キャベツとピーマンって??色?味?栄養素?子供に人気かどうか?>
『私一人暮らしの時、キャベツ買っても必ず腐らせてたんよ。』
<キャベツって大体一人暮らしやとその運命たどりがちだと思うよ。>
『いや、それが不思議なことにキャベツより大きい白菜は1玉買っても消費できてたんよ。ということは……って色々考えて私が出した結論。
私はキャベツが苦手。食べれるし嫌いじゃないけど苦手。好んでは食べない。』
<なるほどぉ。ということは、ピーマンは食べれないから嫌いってわけだ。ピーマンだけ時間かけても避けてるし今日の食卓も(笑)。>

彼女の野菜サラダにも付け合わせにも、ピーマンは乗ってない。僕の野菜サラダには、ピーマンが乗っていて、にんじんのグラッセの隣にも塩胡椒で焼いたピーマンが乗っている。


『そうピーマンは、多分お腹が空いてピーマンしか世の中になくても食べない』
<つまり明日隣の席に座る人は、君にとってキャベツなわけだ。挨拶はするけど会話はしたくない>
『そう!そういうこと。』

そう言いながら彼女は、野菜サラダのキャベツの千切りにこれでもかと言うほどドレッシングをかけた。

<でも苦手って食べれるんだからさ。料理方法を変えたりしたら好きになることもできるんじゃないかな>
『わざわざ好きにならなくても、私には大好きな白菜があるから』
<でもさ、キャベツの美味しい食べ方を知ったら白菜より好きかもよ。>

僕がそう言うと彼女はほっぺたを膨らませて僕をみた。


『なんかムカつく……あんたキャベツの何なのよ!』
<なんでムカつくんや!てか何でそのセリフ(笑)
まぁキャベツ好きとしてやな……って焼いてるんか!キャベツに(笑)>
『え??キャベツ好きやったん?
気づいてないだけやない?私みたいに苦手なの気づいてないんだけ。』
<俺も一人暮らしの時キャベツ腐らせてたよ……でも白菜も腐ってた>
『それってただの ダ・メ・人・間 の可能性あるな。』
<ダメ人間って……ムカつくから言ったやろ。言い方に悪意感じるわ。
でもなミナミも気づいてなかったぐらいのk距離感やったんやろ。キャベツとは。俺とキャベツもそのくらいの距離感なんや。気づかんぐらいの距離感。>

そう言いながら僕は、ピーマンと野菜サラダにドレッシングをかけず先に全部食べた。彼女は、僕のこの嫌味に気づくだろうか。君は、わかっていないのだ。

<嫌いじゃないなら、好きかどうかは距離感やと思うんよ>
『距離感って何?』
<考えすぎると近づきすぎる。そこは自分でコントロールしたらいいやん。苦手って気づかないようにしたらいい。>
『でも知ってしまったらもう元には戻れんやん。リンゴの美味しさ知ってしまったらりんご食べたくなるけど、知らんかったら食べたくならんのと一緒。』
<なるほどなぁ。ならもっと知るってのはどう?
例えば、夜中の交差点。車は全く通ってない。赤信号やけど渡ってしまった。そしたらすごい剣幕で知らないおっちゃんに罵声を浴びせられた。
そのおっちゃんは、そのまま大声で「お前信号無視するな。」「死にたいんか!家族もおるんやろ。」「信号無視するな」って大きな声で言いながら100mほどミナミのあとをついてきた。
調べたらそのおっちゃんは、その界隈で有名な嫌われ者。誰にでもそうするので有名やった。>
『そりゃそうやろ。信号無視したのも悪いけど人前でそんな言葉浴びせ続けられると嫌いにもなるわ。そこまでせんでもってなるやろ。』
<でも実は、そのおっちゃん子供が信号無視で交通事故に遭って亡くなってたとんや。信号無視なんて誰でもしたことあるやん。やめさせるためには嫌がられるぐらい注意せんと!って思ってた。それを知った人たちの中には、おっちゃんに話しかける人が出てきた。罵声と思っていた言葉すら今までと違って聞こえた。病院で心の治療をと紹介する人も出てきた。
そういうもんやないかな。距離感。>

彼女の野菜サラダも無くなっていた。苦手なキャベツが空っぽ。

『近くなると色々知る。知ることによって苦手克服か……』
<そうそう。距離感がおっちゃんと近くなってよかったって話や。もちろん逆もある。
うちの会社にみんながいい人って言う人がいる。いい人代表みたいな人でな、困ってる人見つけるとほっとかれん。すぐ手伝ってお節介する。だから毎年その人の周りには、新入社員がたくさん集まる。でも、みんなその人から卒業していく。僕も卒業生の一人。
近すぎると苦しくなる。いつも「やってあげた。」「可哀想だから見てられなかった。」「大変そうだからやってあげた。」「やってあげる人私しかいなかった。」その言葉の答えは決まっている。「みんな感謝してますよ」「なくてはならない存在ですよ」「大変でしたね」「さすがですね」を言わなきゃいけなかった。近くなればなるほどまるで自分が責められてるようで辛かった。>
『どこにでもいるね。うちにもいるわ。そのいい人。恩義せがましいから関わってほしくないみたいな話も聞いたことある。』
<ミナミは、その人苦手やないん?>
『苦手やないよ。どちらかといえば好き。たまに一緒にご飯食べ行くし。』
<やから距離感なんや。距離感近くなりすぎると恩ぎせがましいと思うことを聞くことになる。苦手は、距離感間違ってるってことなんや。>

ミナミが席を立って台所に向かった。二人とも皿の中は空っぽになっていた。

『暖かいのにする?ちょっと寒くなってきたし』
<そうだな>

そう言って彼女は、お茶を淹れてくれた…

『ピーマン先に全部食べてくれてありがとう。実は、見るのも嫌なんよ』
<そうか。こちらこそ気づいてくれてありがとう>

サラダを先に食べたのは、
自分の嫌いなものを押し付けといて相手のことは考えてない。
という事と、
ドレッシングで味がわからないだけで本当の美味しさを知らないだけだろ。
という嫌味だった。でもそのピーマンを先に食べた行為は、彼女の感謝の言葉により嫌味じゃなくなった。僕とミナミは、感謝があると嫌味も感謝に変わるぐらいの距離感。


僕と彼女のちょうどいい距離感。



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