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正直に言います。私はモネが羨ましい。

前回の朝ドラ『おちょやん』がとっても好きで朝ドラが生活のリズムの一つとして定着した。そのまま『おかえりモネ』も見ている。緊急事態宣言の影響で仕事が休みとなる事が多い中、話し相手が全くいない一人暮らしは、気付けば3日間ぐらい声を出していないということも普通にある。そんなコミュニケーション不足の中で朝ドラの後にある『朝いち』の朝ドラ受けは、私の中で唯一のコミュニケーションとなった。

何だか寂しい話になってしまったが『おかえりモネ』の話。今まで2度ほど見るのをやめようかと思ったドラマだ。何かしら私の心の中の触られたくない部分をグチャグチャにしてくれるドラマである。その触られたくない部分とは、主人公のモネに対する『羨ましいなぁ』という気持ちからきているのだと思う。ちょっと前に斜に構えた見方だけれどこんな文章を書いた

正直に話そう。とにかく私は、多分モネのことが羨ましくて仕方ないのだ。はぁスッキリした。多分。羨ましさからの憎さ100倍と言ったところなんだろう。

そして今日は、実家が竜巻の被害にあった事を友達から聞く。実家の人は、大丈夫と言っていたのに。実家に電話をしても電話に出ない。心配になる中いろんなところに電話する主人公<以下;モネ>にお医者さんの彼氏から『また同じことを繰り返すのか?』と言われる。震災があった時のように君は、もう無力じゃないと言われる。震災の時モネは、実家の島いになかったのだ。まぁ色々割愛するがそのモネが心配して島の実家に戻ると、家族も島の人も明るく楽しく被害にあった牡蠣を徹夜で片付けているところだった。今日は、その島の人たちの明るい姿を見たモネが想像と違ったと思い陰から見つめる。そして何のために来たんだと言って自分を鼓舞し涙を流しみんなの前に出ていくというシーンで終わった。<あの頃を乗り越える>そんな強い意志を感じた。

さてそれを見た私は、『私がモネならあの中には、入れない』そう思った。私には、私の生活がもう出来ていて彼らには、彼らの生活がある。彼らの生活の中にある私の居場所は、ともに生きていくではなくお客さんの方に近いんだ。』そう思ったはずだ。きっと一晩海を見ながら夜を明かし朝東京に帰っただろうと思う

私がモネを羨ましいと思う理由がそこにある。鈍感力というと皮肉になってしまうけれどその素直な行動や考え方に私は、もう戻ることができない。きっと私は、ただ怖いのだ。必要とされない事、居場所がないかもしれないこと、それを認めることがとても怖いのだと思う。

『失敗をしたのは、考えが足りないせいだ』
そう自分に言い聞かせて生きてきた。不条理にぶち当たるたびに私の何がいけなかったのかと考えて生きてきた。それが癖になって言った。もっとこうすれば、もっとこう考えていたならば。モネが震災の時に、その場にいなかった事。それは、もう完全なる仲間外れを感じた瞬間であり無力さを感じた瞬間でもあるだろう。そして高校を卒業すると同時に『島を離れたい』とっ言って島を離れる。きっと私もそうしただろう。私はきっと『もう島には、戻らない。』そう覚悟を決めて家族とも友達とも距離を置いただろうと思う。
そこが私とモネとの違いなのだ。モネは、実家にも帰るし友達とも連絡を取る。そこが私は、羨ましくて仕方ないのだ。
私には、それが出来ない。ここから私は、こじれていく。それはただの意地なんじゃないのと思うだろう。意地を張ってもいいことないよとおもうだろう。でもその意地がないと多分私は、前に進めなかった。そして今もこの場所に立ってられない。意地とは、鎧みたいなものでここにいる意味みたいなものなのだ

そうやって何かがあれば、一生懸命理由を探しこじつけでも理由を見つけ出しそうやって生きてきた自分と素直に受け入れてきたモネ。どこか似てるのに一番大切なところが違うモネが私は羨ましいのだ。

そんなに全てに理由があるわけじゃない。全て正しいことが幸せでもないし、間違ってると思ってもどこかでそれを間違ってないと思う人がいるはずだ。私は、役に立たなくてもそこにいるという居場所があってもいいのだとそろそろ認めないといけない。きっと苦しいな。うんきっと苦しい。でも今日『モネのことが羨ましい』といえたことが始まりの1歩だ。素直に羨ましい。それを始めよう

#テレビドラマ感想文

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