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辿り着いた。

社会人デビューは40代。遅い方だ。
それまでは、家庭・子育てに奔走していた。
少し落ち着いた頃、偶然大学時代に専攻していた福祉の世界に求人があって入職した。
社会のルールや、仕事上のツール等、それまで取り残されていた私の環境が一変し、知識の吸収も楽しく、人間関係にも恵まれて、本当に楽しい日々だった。
そんな中、「この仕事は自分の天職だと思う」という同僚がいた。
私も、この世界が私の天職なんだと思いたく、必死に、そして楽しくキャリアを重ねていった。

数年が経って、新しい人が転職してきた。
私より若く、福祉の世界では先輩で、私とは全く違う強烈なキャラだった。
私は、その会社では先輩だったけれど、福祉のキャリアが少ないこともあり、彼女にとっては邪魔で目障りだったのだと思う。
強い彼女が頭角を現した結果、私は居場所を失い、その会社を逃げるように去ることになってしまった。

しばらくは、これからの自分をどうしていこうか…考えるが、なかなか楽しかった頃の自分への執着から逃れられなかった。「頑張ったのに、なぜ?」と、悔しかった。「戻りたい」と思ったことも何度もあった。

けれど、月日が経つにつれ、自分がその「天職」と思い込みたかった世界で、どこか感じていた自分の違和感を受け止め、見つめることができるようになっていった。

そう、私は、その会社が楽しいが為に「天職だ」と自分に言い聞かせていたのであった。

ずっと福祉職として、人の生活がよりよくなるように一緒に考えることをしていたが、私の視点は「生活」よりその「人の心」に焦点があたる傾向があったのだ。
ここで、「あぁ、結局私は、あの仕事を去る運命にあったんだな」と受容した。それはそれで、ある意味絶望だった。

ただ、これもまた偶然、心理の資格が目に留まった。大学の心理学部を卒業していなくても、5年以上の相談支援のキャリアがあるのであれば、「公認心理師」の資格を一定期間特別に受験することができるということを知った。
私にとって、目の前の雲が晴れていく瞬間だった。

今、私には、その道がある。

社会人デビューは遅く、寄り道も回り道もして、そして偶然に助けられた道だけれど、私は今、自分がやりたい仕事に辿り着いた。仕事が楽しい。自分の事が楽しい。
その時その時悲喜こもごもあったけれど、今はそれも必要だったんだなぁと考えることができるようになっている。

私に言えることは、寄り道も回り道も決して無駄じゃなく、それから繋がったり、それがあったからできることもある、ということ。
「辿り着いた」と言える自分になれたから、そう言い切れるのかもしれない。
キャリアに悩んでいる当事者にとっては、とんでもない論述だろう。
しかし、ひとつ心理職として思うのは、どんな絶望の中にあっても、自分を守り認めてあげよう。「頑張ったのに!」この言葉は吐いていいと思う。だって頑張ったのだから。

「辿り着いた」と言えどまだ、私のゴールはここじゃない。辿り着いたこの世界で、私は私を活かす道をさぐっていこうと思っている。

私のキャリアって捨てたもんじゃない。
いずれ、わかる。


#わたしのキャリア

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