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精神疾患になった経緯 承認欲求の怖さ

こんにちは、アルゴンでございます。

いかがお過ごしでしょうか?

私自身、承認欲求が強めです。

理由は何で私だけ評価されないの?
   もっと私を褒めて
   評価して!
   私を必要として
   嫌われないで!!

そういった思いがあるためです。
多分最後は承認欲求というより嫌われたくない気持ちです・・。


承認欲求が強くなったきっかけは、中学生の頃。

それまで、凄いとか言われたことがなかった私。

成績といっても、中の上位なんですが、たまにいい順位を取ったり、点数を取ると、

アルゴンすげえ!かしこ!!

そう、クラスから認められる、褒められる、今まで見向きもしなかった人達が私を褒めている。

その快楽に私は落ちていった。


凄い!!アルゴンって頭いいんだ!何点取ったの?

そのきっかけ、そして親から褒められたことも多かった。

それによって、私は、勉強ができるという思い込みに陥って、成績悪い人達を心の中で見下す人間になってしまったのだ。

その時から私は普通の人間だ、発達障害じゃないという謎の思考に陥っていった。

自分が発達障害と認めるのが怖かったから。


そして、中学2年の時、私は発達障害であるが故、ターゲットにされていた。

走り方がおかしい、根暗、いろんな原因において、友達からも離れられるきっかけにもなった。

それを一人で抱え込んでから、体がおかしくなった。

それがおならだった。

それに伴って、さらに、白目で私を見るようになり、これを機に友達が離れるようになり、孤立するようになった。

おならが根底となり、嫌われていく一方。。まあ、性格が一番だと思いますが。

それでも、乗り越えられたのは、成績という棒があったから。
それに何とかしがみつき、志望校に受かった。

その承認欲求がさらに強くなり、苦しめることになることも知らずに・・。

そのあと、高校1年ではそこそこ成績が良かった。

でも、高校2年では、理系でさらに賢い人たちの集まりだったため、そこではびりに近かった。

さらに、部活内でも成績良い子が多く、自分のポテンシャルだった成績が自分にとって承認欲求じゃ、無くなってしまった。

そもそも、成績良いと言っても、普通位なんですけどね、今覚えば。


おならで抱え込んだのも、男子からモテられたい、気になる人がいた。

そういった経緯もあって、変に意識しすぎていたかもしれない。

人はそこまで他人に興味ないのに、自分が中心となって回っている。

学校がすべてだと思い込んでいた。

認めて!もっと!褒めて!!

私は発達障害じゃない!普通の人間だ!

そう思い込んだのも、全て学力にしがみついたから。

他の発達障害を見ても、喋りが全然なってない、何でこの人たちと一緒なの!?という差別をしていました・・。今思えば恥ずかしい・・。

全国民の発達障害の方すみません・・。

この頭おかしい人をどうか殴ってください。

そういう承認欲求の強さにあったのも、あまり、昔から褒められていなかったから。

怒られることの方が多く、人に迷惑かけていたから。

それが、学力で凄いと称賛されたのが何より囲心地良かった。

私の中でいう麻薬の一種だったかもしれない。

それに打たれて、快感となって、それがなくなったら、全てが奈落の底に落ちる。

今はそういう考えはもうやめようと思うし、私は大学受験をあきらめて逃げた身。

でも、後悔はしてない。

今のB型で頑張ろうと思う。

でも、時々思う。

もっと、あの時自分を認めていれば、発達障害だってはっきり認めていれば、プライドを捨てていれば・・等。

考える。

同じように悩んでいた子が普通に働いているのを見ると、自分がむなしく感じる時がある。

その子たちはあまり、承認欲求は求めていなかったから。

でも、ある程度の承認欲求があることはいいことだと思う。

薬と同じで、薬物は論外だけど、適度な医師から指定された通りに薬を飲むことで回復するのと同じなのかもしれない。


承認欲求という沼に度が過ぎると、人は壊れるし、自分を大切にできなくなる。

結果、自己臭症を患った後、鬱になった。

その自己臭症と向き合っていれば、鬱になることもなかったかもしれない。

でも、今合っているB型があるから、何とも言えない。

これも人生なのかと思う。

今でも時々振り返る。

承認欲求が強すぎると、時に人を狂わすことになるんだなって思った(あくまで個人的な考え)

今回は精神疾患に陥ったきっかけになった承認欲求について話しました。

分かりづらくてすみません。

最後まで見てくださってありがとうございました。

次回のブログで会いましょう^^


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