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城崎にて、串ネズミ話

 今年は、城崎温泉に行く予定だった。そんな年を、何回過ごしたかわからない。二桁はある。ところが、今年9月に行くことになった。姫路城→有馬温泉→城崎温泉→伊根の舟屋→天橋立。ボクにとってはゴールデン・コース。すてに、家内がツーリズムに申し込んでくれた。(8月は、息子が石垣島へ招待してくれている🛳️)

 なんで城崎温泉に行きたいかというと、志賀直哉作「城崎にて」が好きだからです。主人公は交通事故の養生に、城崎温泉にやって来た。そこでは、ニュートラルな彼は小動物や草花に触れた。
始め蜂の死から話が始まる。最後は、イモリの死を叙景的に語ることでリセット直前の心境を語る。まさに、蝉が脱皮した心地であろう。
ボクは「城崎にて」の中で、串ネズミの話が好きです。話の内容は好きではないが、志賀直哉が語った哲学に敬服します。
 主人公が外出したところ、人だかりができていた。よく見ると、竹串が縦に刺さったネズミが川に泳いでいた。そこへ石を投げる人々がいた。また笑う人間もいた。
 よく見ると、串が刺さっただけで痛いネズミが必死に泳いでいた。運良く石垣に登り隙間に潜ろうとすると、竹串で川に跳ね返されていた。最後に、大海に流された。

人間は、その姿を楽しむ。すべてはそうでないにしても、そうゆう性格が人間に宿っていると示唆していると思う。弱い物いじめもできない狭隘な存在であると。


 過日、しばらく扱っていなかった機器に触れた。以前の物は、あちこち壊れていたのでボクが購入をした。少し小さいのと、切り替え部がない物であった。
 日頃使う者に、指導を受けながら稼働した。クルマでいば、マニュアルとオートマの違いがあった。肩に力が入った。それを得意な人と全くできない人が、揃って冷やかしながら笑った。

これこそ、「串ネズミ」だと思った。

 日頃、おとなしく勤める彼らの本性を見てしまった。ナリッジマネイジメント(知識共有)みんなができればみんなが楽で良い職場が出来る。そんな思いはないらしい。もちろん承知だが。さらに、交通費の虚偽申告や居眠りなど。ボクはあと三回やればマスター出来ると思う。大した話ではなく、経験があるかで知能の差とは思えない。

一応、聞いてみた。
「そんなに、ボクがおかしいのか」と。(返事なし)

 一人は◯歳、もう一人は◯歳。いずれも、一見、紳士。一人は資産家で、もう一人は地元の名手らしい。氏も育ちもボクとは違う...、立派な家柄の長男だ。
 ただ、先の態度は自らの価値・出身や所属の価値・家族への価値を下げているように思うのは僕だけであろうか。捉え直せば、親までが立派であったと思った。実際に相続金を払えず一部を処分したとか。つまり、本人たちには楷書がなかったわけだ。そうであるからこそ、困った人を笑うわけた。

たった10分の作業で、串ネズミを思い出し、人間のいやらしさに触れてしまった。

 ボクは串ネズミに石を投げること思いつかない。また、狭隘な人間ではなく良かった💪


かわせみ💎

https://note.com/0602kawasemi

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