ビジネスの必須スキル「デザイン」を学ぶ

デザインは国語?

「デザイン」と聞くと、絵をかくのが上手な人がやる仕事で、高いセンスが必要な特殊スキルだと感じられる方が多いかもしれません。

しかし実際にはデザインは国語に近いもので、文字以外の要素(図表・写真・絵)の意図を読み取ったり、それに対して感じたことを伝えたりする技術などが必要になっています。

デザインは読み書きの対象を「言語」から「非言語」に変えたものだととらえることで、国語教育と似たような構造を見出すことができます。

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例えば、「言葉遣い」。話し言葉と書き言葉の違いがあったり、尊敬語・丁寧語・謙譲語という違いがあったりと、文章では同じことを伝えるのにもいくつかの選択肢があります。

デザインにおいても同様で、クラシカルな書体で落ち着いた配色を用いれば丁寧な印象になり、ポップな書体でカラフルな配色を用いれば親しみやすい印象になります。

例えば「表現技法」。文章には体言止めや倒置法といった手法があります。同じ単語を並べていても、名刺や助詞をどこに持ってくるかによって、文章から受ける印象は変わります。

デザインにおいても要素をどう配置するかというレイアウトの違いで、与える印象を変えることができます。

もちろん、構造が似ているからと言って、明日からいきなり誰でもデザインができるようになるという話ではありません。

コミュニケーションを言語で行うためには日本との語彙・文法に関する知識が必要であるように、それを非言語で行う前にはデザインに関する基礎知識が必要になります。

英語学習に例えるとイメージがしやすいかもしれませんが、一定量の知識とトレーニングは必要になります。

しかし、中学生が取り組むことができるような「基礎教養」としてのデザインは必ずしも難解なものではありません。

そしてそこには体系立てられたロジックが存在しており、美術大学などでの専門教育を経ずとも学ぶことは十分に可能なのです。

義務教育である「国語」の現場で起きている変化からもわかるように、今後このような「非言語のコミュニケーション能力」を身に着けることは、どんどん重要になっていくでしょう。

なぜ非言語が重要なのか

非言語のコミュニケーションが需要な4つの理由

・情報の氾濫で、短時間での認知獲得競争が発生
・ビジュアルに対する消費者の目が肥えている
・言語が異なってもグローバルにメッセージを届けられる
・デザインのリテラシーが低いことがリスクにつながる

1つ目は、情報量が圧倒的に増えてきていることです。テレビや新聞、ラジオといったこれまでのメディアに加え、ウェブサービスの進化やスマートフォンの浸透により、人が接する情報量は圧倒的に増えました。この10年で500倍以上に増加したとの調査結果もあります。

人間が何かを目にした時に、次の行動をどう起こすかは、脳が0.2秒以内に判断しているといいます、日々流れていくタイムラインの中で、コンテンツを見るか否かは瞬時に判断されています。

技術の進化にともない、テキストだけではなく、画像や動画などのビジュアルコンテンツを簡単に流通させたれるようになり、認知獲得競争の激化に伴って多種多様な表現がそのしのぎを削っています。

大量の発信が行われている中で、あらゆる分野において日々「短時間で認知してもらうための競争」が繰り広げられるようになり、瞬時に理解できるビジュアルでのコミュニケーションがどんどん力を持つようになったのです。

この変化にともない、消費者の目が肥えてきていることが理由の二つ目に挙げられます。

InstagramなどのSNSw通じて普段からいい写真に見慣れており、自分での撮影・加工もお手の物で、中途半端なビジュアルでは見透されてしまいます。

とはいえ、インターネト上では「普通の人が個人的な興味から作った、やや素人感はあるが嘘がなくて好まれるコンテンツ」との対比が行われるため、あからさまにお金をかけた「ビジネスのにおいがする」表現は逆にユーザーからの信頼を得づらくなる場面も考えられます。

3つ目の理由はグローバル化です。

同じ母国語を持っていないと難しいコミュニケーションでも、ビジュアルを活用することで容易に行えるようになります。

SNSでも、言葉がわからなくても意味が伝わる映像や写真の方が広く拡散されていきます。ビジュアルを主としたコミュニケーションは容易に国の壁を超えるのです。

コミュニケーション手段は、必ずしも言語だけではありません。相手との間で情報を交換する手段として、非言語を組み合わせることは強い力になります。

「ネイティブレベルの英語」だけでなく、「日常会話レベルの英語&高い非言語能力」を身に着けるという選択肢も、手が届きやすく、高い価値を生むのではないかと思います。

一方、ビジュアル表現に対するリテラシーが低いことが、逆にリスクになることも考えられます。

例えば海外旅行でたまに目にする不思議な日本語表現があります。

「マッサージ」が「マツサーヅ」となっていたり、「レストラン」が「レストラソ」になってすることがあります。

ロゴデザインの目的は「誰も過去に見たことがない表現を新規開発すること」ではなく「その表現によって誰かに何かを感じてもらうこと」です。

そう考えると、これだけ多様な表現が存在する現代においては、まったく違うコンセプト、まったく違う過程を経ても、最終的な表現が多少なりとも似ていることは十分にあり得るからです。

ある表現が適切かどうかを判断するためには、その意図をきちんと理解し、説明する能力と、意見を聞く能力をバランスよく併せ持つ必要があるということです。

なにかの表現が簡単に全世界にとどけられるような時代になったいまこそ、企業も個人も「非言語のデザイン」に対して無関係ではいられないのではないかと思います。

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