何者かであることをやめた
私は何者かであることをやめた。
所属する組織、肩書き、職業、趣味、〇〇オタク・・・
自分のことを表現する言葉は無数にあるけれど、ほしいとも思わなくなった。
理由は「そんな言葉の中に自己を感じなくなった」からだ。
そんな言葉に頼らなくても、自分は何でもできると自分は知っているし、自分には限界があるということも自分は知っている。
2022年は複数のプロジェクトリーダーやマネージャーとして組織に貢献する経験をした。経験した上でメンバーの立場として誰にもできない組織への貢献をやり遂げることもできた。
たくさんの立場の中でも自分の思いは変わらなかった。
目指すべきゴールも思考することもブラしたくない意志も叶えたいwillも変わらなかった。
唯一変わったのは任されているプロセスであり、責任を全うする為の動作だけだった。
この経験は自分はどの立場であれ、
どんなことでも経験し、学習すればできるという自信にもつながった。
同時に私は立場がどうであれ、今ある動作に自己と意志を感じなければ、何もできない人間なんだなとも思った。
人によっては欲のない人間ややる気のない人間なんだなと思う人もいるかもしれない。
それもそうだ。
興味が無くなってしまったのだから。
自分でも驚いている。
こんなことを考えるとは思ってもみなかった。
そんな自分は今、何を見ているのか?
まだ見ぬ価値を見ている。
今はコミュニティ運営の中核として戦略や施策を考えたり、4年ぶりにスポーツチームでトレーニングを教える人として指導を再開しただけでなく、プロジェクトリーダーの経験を活かしてチーム戦略から考えることもしている。それだけでなく、ずっとオープンしたかったカフェの場所も探している。今までの経験を活かして新規事業の立ち上げにも関わっている。
どれも世の中にあるものを丸ごとコピーして進めていない。
自分の経験とまだ知り得ていない知識、自分には時間がかかってできないことを簡単にできてしまう仲間とだ。
そんな人たちと今まで見たことがない新しい価値を創造している。
人に頼ると自分ひとりでは創造し得ない価値が生まれ始める。
周りとの役割を簡単に呼ぶために肩書きや職業がある。
新しい価値を創造し、提供し続ければ後から何でも勝手についてくる。
私たちはもっと本質的なものに目を向けなければならない。
周りのついているものに惑わされず、
何者かになることにこだわらなくていい。
ただし、
新しい価値を創造することからは目を逸らしてはいけない。
これからも。
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