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和風ポトフと新生児

※見出し画像は使用OKのクリエイターさまより掲載させていただいております。

21年前、ムスメさんが生まれた時のこと。
新生児ってふにゃふにゃで、イメージの赤ちゃんとは違うなと思いながらとにかく落とさないように、頭を振らないように、とだけ思いながら大切に大切に抱きかかえて家に帰ってきた。

母乳をあげて、ゲップをさせて、オムツを変えて、お風呂を入れるのは一大仕事、夜中にふえ〜っと泣いたら起きて抱いて、、、それだけで毎日が過ぎていった。

新生児は人というよりは何かサル系の生き物のようで、心の中で大五郎と呼んでいた。(なぜ、大五郎のようだと思ったのかは不明)
それでいて、ずっと見ていても飽きなくて、ほえ〜とあくび一つでもしようものなら「あくびした!かわいい〜〜〜」と写真を撮った。
産婦人科の先生に言われた通り、母乳の回数とおむつの回数をノートにつけていた。(そのノートは今、どこにあるのか不明)
母乳だったので、帰ってからしばらくは胸がパンパンになって痛くて、これまた看護師さんに言われた通りキャベツを貼っていたこともあったと思う。

当然、ごはんを作るなどの余裕はなく、友だちや義母などが代わる代わるやって来ては、日持ちのするもの(覚えているのはひじきと味噌汁)を作ってくれた。

中でも、弟が作ってくれた和風ポトフには感動した。
スープの旨みがじんわり、肉も柔らかくて、あっという間に食べてしまった。
今思うと、みんなが作ってくれるものは「身体にやさしい」が一番だから肉っけが少なかったのかもしれない。
ポトフはソーセージではなく塊肉で、ニンニクも入っていて甘かったし、野菜もゴロゴロで食べ応えがあった。
それでいて、スープは優しかった。
「今日は和風で作ったから出汁としょうゆだけど、コンソメにすれば洋風になるよ」
ざっくりとした作り方と材料を教えてくれた時、弟が言った。

ムスメさんがお腹にいた時、グニュッと動くお腹の様子を見てエイリアンのようだ、と思った。
生まれて来た時も、全然違う生き物なんだな〜と思った。
別の生き物なので、しゃべれなくても意思疎通できないなんて思ったことはなかったし、べったり過ごす時間は限られていてすぐに離れていくよね、と思っていた。
「これをやらせたい」とか「こんな風になって欲しい」とかもなく、結果あまり習い事などもしないまま(たぶん珍しい)今に至る、だ。

ただ不思議なもので、言葉を話すようになり、人に近づくにつれ、きっと自分の中の「こうした方がいいんじゃないか」「こう進んだ方がいいんじゃないか」をもしかしたら自然と押し付けていたのかもしれない、と思う今日この頃。

それは、例えば大学に行った方がいい、とか、就職は〇〇の方がいい、みたいな具体的な進路の話ではなく、どちらかというと日常的な取捨選択。
ただ、その取捨選択が積み重なって道になっていくわけで、道になって来た時に「これでいいの?」「大丈夫?」と思うことが増えたのが昨年から。

もう成人だし、いちいち口を挟むことでもない、としていたら少し大きい困りごとがあり、それが今でも尾を引いている。(本人がどう思っているかはわからないが、少なくても私の中では)

それも一緒に住んでいるから思うことであって、一人暮らしをしていたら日々の取捨選択をそこまで目の当たりにしないだろう。
実際、自分の二十歳の頃だって、バイトをしたまま友だちのところに泊まりに行って帰ってこなかったり、飲んで寝坊して大学に行かなかったり、そんなことだらけ。
卒業後もちゃんと就職もせず、友だちの空いている部屋に住まわせてもらっていた。

だから、表面的な彼女の生活をとやかくいう資格もなく、今はそういう時期ですよね、と思っている。
身体大丈夫かな、と思うばかり、家にいるとごはんを作って出してあげたり様子を気にしてしまって、小さいころより今の方が干渉しているかもしれない、と自分に少しうんざりしたりもする。
それは、きっと自分の時間に余裕があるからというのもある。

困りごとがあった時、最近はて?と思って思いをぶつけた後、今まで一緒にいた21年間で「もっと〇〇した方が良かったか」と思ったりもした。

でも、それはきっと違う。
大変なこともダメなことも(自分が)たくさんあったと思うけど、その時はそれしかなかったし、とにかく楽しかったし、いつでも一番の応援者である、何があっても応援すると伝え続けてきたし、それは伝わっているだろう。
人見知りで新しい環境初日は必ず泣いてしまう彼女は、今では新しいことにどんどんチャレンジするし(大小を問わず)、新しい友だちもどんどんできている。それは、本当にすごい!

生命誕生のその時から別の生き物。
大五郎時代、しわしわ赤ら顔のムスメさんが小さい手でムニムニと自分で包っぺをさわる姿に癒され、それを見ながらポトフを食べたことを思い出す。
自分が忘れてしまった記憶や気持ちをたくさん思い出させてくれて、新しい発見もたくさんあった。
発見は世の中というか生きている外側の世界のこともあれば、自分の中にそんな感情あったのか、ということもあった。
今日は特に誕生日ということではないけれど、最近の自分のざわつく気持ちを思った時にポトフに行き当たり、「生まれてきてくれてありがとう」と思ったのでした。

右手が回復するころには、もう少し涼しくなっているだろうか。
そうしたら、弟のレシピで和風ポトフを作ろうかな〜

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