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国会議員の秘書23(野中広務に言われた一言)

 宇野総理は、参議院議員選挙で大敗し、内閣総辞職をし、新たに海部内閣が発足した。海部総理の弁舌の爽やかさとクリーンなイメージで内閣支持率や自民党支持率も上昇した。海部内閣の人事にともない野中先生は、衆議院では、建設常任委員会理事と自民党では、政務調査会の通信部会の部会長と国会対策副委員長に就かれた。
 私は、相変わらず、野中先生の運転をしていた。月曜日から金曜日まで朝7時40分高輪の議員宿舎迎え、夜は10時過ぎに宿舎に送り車を手洗いして帰る。議員の車は、黒色や紺色が多いので埃や雨の後などは、手入れをしてないと汚れが目立つ。ピカピカに光っている車に先生を乗せていないと関係者から見られるとだらし無い事務所に思われるし、そんなに汚れいる車に気にしないで乗っている代議士なんて世間の人から信頼されないような気がした。車の手入れは、宿舎に送り届けた後で気が張っていたものが、すっかり抜けた状態で手入れするのは辛かった。この状態が何年続くのかという考えも頭の中でどんどん膨らんでいた。
党の通信部会長になってからというもの、国会開会中は、毎日、国会内で9時15分から国会対策委員長、副委員長会議があるので、通信部会は、その前の朝8時から党本部の7階の会議室で度々、行われた。部会長は、通信部会に所属議員が集まる8時少し前に行って通信部会の担当の党本部の事務局の方と郵政省の方との進行の打ち合わせして、8時になると部会を開会する。なので自ずと通信部会のある日は、宿舎の出発が早くなる。9時には、部会を終わらせて急いで国会内の国対委員長室に行き、自民党国対正副委員長会議が行われるのに出席しないといけない。それが終わると担当している委員会や理事の懇談会などに出席する。また、合間には、官庁の法案の説明や予算案の説明を受けたりする。
 この頃、金丸信先生のプライベート事務所で毎日のようにされていた麻雀のメンバーのひとりに野中先生が入るようになった。午後からの空いている時間は、レギュラーとして野中先生が麻雀に入ったのである。メンバーは、金丸信先生、西田司先生、中島衛先生、中村喜四郎先生やマスコミの幹部などであった。金丸信先生と麻雀をしているとあらゆる情報が金丸先生のところに入ってくるのがわかった。野中先生は、それを横で聞きながら、麻雀の相手をしていた。
毎日、午後からは、委員会か、金丸先生との麻雀をするのが日課になっていった。それが終わると夜の会合があり、二軒から三軒顔を出す。たまに、会合に入っている時に、竹下事務所から連絡かあり、21時に世田谷区の代沢にある竹下邸に野中先生に「来られるかいか?」との連絡が入る。その連絡が入ると「あー、今夜は、2時に帰れるかな。」と気分がぐったりとしてしまう。この呼び込みは、竹下邸でも麻雀を21時からするので、今日は、麻雀のダブルヘッダーの日と運転手仲間では、言っていた。こちらのメンバーは、竹下先生、竹下直子夫人、村岡兼造先生、西田司先生、野中先生でどちらかというと竹下邸では、野中先生は、補欠要員であった。竹下邸の表の道路に車を駐車して待機するのは、住宅街なのでエンジンをかけていると騒音で苦情が来るかもしれない。仕方なくエンジンを止める。そうして邸内の秘書部屋にあげてもらって時間潰させてもらった。夜中まで待機して自分が救われたと思うのは、毎回麻雀が終わって先生たちが出てこられる前に、竹下先生が出てこられて待機している運転手ひとりひとりに「君たち待ってくれていたのか。悪かった。ありがとう。」と車の運転席の横までこられるて私たちの目をしっかり見て声をかけてもらうと「竹下先生が直接、自分に声をかけて労ってもらえている。待機していてよかった。」と思って今まで悶々として待っていた気持ちが、帳消しになる瞬間だった。このような毎日が続いた。
 私は、この年に一緒に京都の事務所で勤めていた女性と結婚していた。野中先生に私たちの仲人をしてもらい、妻は京都事務所を退職して東京に出てきてくれたので新居を構えていた。ある日、経世会の秘書会の下部組織の青雲会(若い秘書の集まり)の懇親会があった。私は、毎回こういう集まりに、先生に着いてまわっているので参加出来ることが滅多にない。秘書同士が仲良くしているのを側から見ていて羨ましく思ったこともあり、京都から出てきたので横の繋がりもなく自分としては、モヤっとした焦りもあった。そこで車の中で先生に冗談ぽく「先生、私は、新婚ですので、たまには早く帰らせてもらえないですか。」と運転しながらバックミラーを見て言った。すると野中先生の顔がいきなり厳しくなり、「君な!この仕事をするんだったら家庭を顧みてたらこんな仕事できひんぞ!」と真剣な表情で言われた。その迫力に私は、「すみません。仰るとおりです。」と答えるのが精一杯だった。
自宅に帰ってこのことを妻に話すと妻からは、「先生の言われることが当たり前です。国の仕事に携わっているのに!私が家で言っているみたいで恥ずかしい。」と激怒された。

 この瞬間から私は、覚悟を決めて家族や両親、兄弟には、申し訳ないことをしたと思うのだが、現役の秘書でいた間は、完全に家庭のことや親兄弟のことを顧みず秘書の仕事を全てにおいて優先して勤めてきた。国会議員は、国家の行方と国民の生命、財産を左右する仕事をしている。その議員に仕えている秘書もそれを補佐することが仕事であるため当然の話だと思って勤めてきた。野中先生の歩まれた道を考えれば、一つの例を話すと奥様が大病をされて生死をさまよう手術をされていたとしても誰にも知らせずに立ち会われることもなく普段通りに、国会で活動されていた。そういう姿を見て「政治に携わるものは、覚悟を持ってやらないといけない。」と改めて決意した瞬間だった。

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