山田大智

政治関連コンサル/元野中広務秘書 /国会議員秘書歴30年余 /選挙実務実績18戦15勝…

山田大智

政治関連コンサル/元野中広務秘書 /国会議員秘書歴30年余 /選挙実務実績18戦15勝3敗2不戦/ /政治活動実務支援/政治関連等企業・団体相談受/情報コンサルタント/心相鑑定師/心相鑑定メールください。 E mail: k-yamada.y@quartz.ocn.ne.jp

最近の記事

国会議員の秘書30(平成3年前編 初の海外随行4)

 お酒が飲めない私は、無理して焼酎を飲んだので気持ち悪くなり、部屋に戻ってからしばらくベッドに横たわった状態だった。ようやく覚めてシャワーを浴びようとして洗面所に行った。タイル貼りの壁でかなり広めのバスではあるが、固定式のシャワーになっており、お湯を出そうとしたが、水がなかなか温かくならなかった。シャワーから出る水は、少し濁っていた。バスルームには、石鹸もシャンプーもおいてあった。「海外なので日本のようにアメニティーグッズも思っているような感じに揃ってないのは、仕方ないな。」

    • 国会議員の秘書29(平成3年前編 初の海外随行3)

       朝鮮労働党の建物で会談が終わると一度高麗ホテルに戻った。私は、野中先生と一緒にデパートへ買いに行って持ってきた地元から渡った日本人妻に渡してもらうお土産を案内してもらっている労働党の指導員たちに預け、その方に渡してもらうようにお願いした。すると労働党のひとりの指導員が「確かに預かりました。中身は、何ですか?物によっては、渡せない物もあります。」と言われたので、「そういえば、彼等の奥さんたちにもお土産として渡そうと持ってきたものを出さないと。」と思って、別にカバンに入れて持っ

      • 国会議員の秘書28(平成3年前編・初の海外随行2)

         (27に続いて)  平壌空港からホテルに到着して荷物を車から取り出すと案内してきた人が台車で荷物を運んでくれた。フロントロビーに入ると天井が楕円形の吹き抜けのようになっており、奥の方へ進むと野中先生と金丸信吾さんがフロント近くのソファに座っていた。向こうの通訳っぽい人が数人、そのまわりを囲んでいて野中先生たちと談笑していた。私は、頭を下げて挨拶をして野中先生に「お疲れ様です。荷物を部屋に運んでもらえるみたいですので預かってもらいました。」と伝えると「お疲れ様。まだチェックイ

        • 国会議員の秘書27(平成3年前編・初の海外随行)

           平成2年12月29日に海部総理は、内閣改造をして野中広務先生は、平成3年の通常国会から衆議院の逓信常任委員会の委員長に就任された。当時の郵政族は、金丸信先生をはじめ小渕恵三先生や参議院議員では岡野裕先生等、錚々たる経世会の幹部の先生方がメンバーにおられた。野中先生は、建設族を目指していたが、金丸先生から「君の同期当選あたりでうちの派閥で郵政の関係をするものがいないから郵政関係を君がやれ」と言われて逓信常任委員会理事をしてから自民党の通信部会長を前年にし、逓信常任委員会委員長

        国会議員の秘書30(平成3年前編 初の海外随行4)

          国会議員の秘書(昨日)

           自民党が野党に転落していた時に、私は、引退された野中広務先生が東京に出て来られた時に運転手をして随行をしながら個人事業をして生活していた。  その時に、居場所がなかったので「うちの事務所を使えばいいよ。」と言っていただき、文教族の重鎮で全国比例の参議院議員をされた故柳川覚治先生の筆頭秘書をされていた方が柳川先生が現役時代に設立された平河町にある団体の事務所に机を用意してもらい居候をさせていただいていた。野中広務先生が会長をされていた砂防会館別館にある全国土地改良連合会の事務

          国会議員の秘書(昨日)

          国会議員の秘書(ご報告)

          "選挙の神様"と言われている自由民主党本部元事務局長久米晃様が野中広務先生のことについてお話ししていただきました。先生のことを久米様からこのように言っていただき秘書をしていた私は、これほど嬉しく光栄なことはございません。久米様には、私は、昭和59年8月の京都市長選挙の時の運動員時代からお世話になっております🙇

          国会議員の秘書(ご報告)

          国会議員の秘書26(金丸・田辺訪朝団)

           総選挙が終わり国会が開会され、私の業務も日常を取り戻した。野中先生は、金丸先生が開催される麻雀のレギュラーメンバーになり、毎日パレロワイヤル永田町にある金丸先生の麻雀ルームに招かれていた。  ある日、パレロワイヤル永田町に送る途中で野中先生から「山田君、ニューオータニで会議をやっているから代理で出席してきてくれるか?」と言われてニューオータニの指定された部屋に向かった。この会議では、代理出席の秘書は、私ひとりだったように思う。部屋に入るとロの字型に机が並べられ、石井一先生や

          国会議員の秘書26(金丸・田辺訪朝団)

          国会議員の秘書25(平成元年から2年。総選挙へ)

           当時、朝は、自民党本部で部会に出席される野中先生を宿舎に迎えに行き、部会が終了すると今度は、議事堂内の控室での国対正副委員長会議に出席される。送る途中、先生から「山田君、宿舎にもう一度、戻ってくれるか?今日、家内が出てきてるから、俺はここで降りて歩いて戻るから、宿舎に迎えに行ってデパートまで送ってやってくれ。」と言われた。 その時、先生の奥様が、東京にいらっしゃられていることを事務所内では、誰も知らなかった。私は、急いで宿舎に引き換えし奥様を迎えに行った。  私の記憶では、

          国会議員の秘書25(平成元年から2年。総選挙へ)

          久しぶりの帰郷。七夕の日に思う(元野中広務事務所前)

           金曜日から京都に帰ってきた。現役の秘書時代から大変お世話になり、今も尚、ご指導いただき尊敬している方に食事をご馳走になりながら懐かしい話を聞かせていただいた。野中先生亡き後も、個人的なことでもご迷惑をおかけしているにも関わらず、私に変わらず優しく接していただき本当にありがたく思う。野中先生の昔話を安心して出来る貴重な存在の方である。最近は、そのような話が出来る方も少なくなり寂しい思いもする。  タイトルの写真は、昨日撮った元京都事務所があったところだ。町並みもすっかり変わっ

          久しぶりの帰郷。七夕の日に思う(元野中広務事務所前)

          国会議員の秘書24(記者さんが宿舎に)

           野中広務先生が建設政務次官になった頃から建設省の記者クラブに所属する大手新聞社の記者さんや経世会の番記者さんが、高輪宿舎の先生の部屋に少しずつではあるが、夜来られるようになった。また、自民党の国対副委員長になってからは毎夜来られるようになった。  それまでは、記者さんというと先生が京都の府議会議員の時代から付き合いのある地元紙の東京支社の方などを夜の予定がない時に、食事に誘って京都政界の動きや地元の自治体などのことについての情報交換をされていた。また、この食事の席には、京都

          国会議員の秘書24(記者さんが宿舎に)

          国会議員の秘書23(野中広務に言われた一言)

           宇野総理は、参議院議員選挙で大敗し、内閣総辞職をし、新たに海部内閣が発足した。海部総理の弁舌の爽やかさとクリーンなイメージで内閣支持率や自民党支持率も上昇した。海部内閣の人事にともない野中先生は、衆議院では、建設常任委員会理事と自民党では、政務調査会の通信部会の部会長と国会対策副委員長に就かれた。  私は、相変わらず、野中先生の運転をしていた。月曜日から金曜日まで朝7時40分高輪の議員宿舎迎え、夜は10時過ぎに宿舎に送り車を手洗いして帰る。議員の車は、黒色や紺色が多いので埃

          国会議員の秘書23(野中広務に言われた一言)

          国会議員の秘書22(竹下内閣から宇野内閣へ、そして参議院議員選)

           消費税の導入とリクルート事件の批判で竹下内閣の総辞職を引き換えに平成元年度予算が成立し、そして宇野宗佑総理が誕生した。しかし、宇野内閣は、出だしから女性スキャンダルに見舞われた。  これらはさておき、竹下内閣の総辞職と共に、野中広務先生も建設政務次官を退任し、衆議院建設常任委員会の理事と党内では、国会対策の副委員長というポストをもらった。建設政務次官から建設常任委員会の理事をするのは、建設省に在任中お世話になったので恩返しするために、委員会でご奉公するということだった。また

          国会議員の秘書22(竹下内閣から宇野内閣へ、そして参議院議員選)

          国会議員の秘書21(リクルート事件で)

           昨年から自民党の各派閥のパーティー開催の収支の不記載が問題になっており、現在政治資金規正法の改正案が国会で審議されている。 また政治と金の疑惑が取り沙汰されている。昨年、一部の報道では、リクルート事件の時と似ているということも言われていたが、最近の政治と金のスキャンダルと以前のものとでは、質とスケールが全く違うと私は思っている。 野中広務先生が建設政務次官になる前の年から リクルート社の子会社リクルートコスモスの未公開株が、政界や財界、官界に流れた問題で、閣僚や自民党幹部を

          国会議員の秘書21(リクルート事件で)

          国会議員の秘書20(竹下改造内閣)

           昭和63年の年末に竹下登総理は、内閣改造した。それに伴い組閣した次の日に野中広務先生は、建設政務次官に就任した。前述したように、金丸信先生から「建設政治次官でどうか」という内示の連絡があり、少し経ってから建設省(現国交省)の官房長から事務所にアポが入り、官房長が1人の建設省の職員の方を事務所に連れて来られて、これからの内閣の手続きと建設省の所管事項について打ち合わせをしに来られた。一緒に連れてこられた職員は、建設政務次官に就任すると省内の予定や国会や委員会答弁などの調整を担

          国会議員の秘書20(竹下改造内閣)

          国会議員の秘書19(抗議電話)

           私が、東京に出てきて少し国会での仕事になれてきた頃、竹下内閣の閣僚などにリクルート事件というスキャンダルが出始めていた。また、この時期に、消費税導入法案が提出され12月24日に成立し国会周辺や議員会館の周りでは、デモや集会。抗議の電話やファックス、また、市民団体などが、議員会館の事務所にグループで訪ねてきて秘書が対応すると消費税反対というビラを渡して「名刺を出せ。あなたは、これをどう考えているねか?答えろ。」など毎日、毎日何十件も対応をさせられた。私たち秘書に抗議されてもた

          国会議員の秘書19(抗議電話)

          国会議員の秘書18(車待機中)

           朝7時40分に、野中広務先生を高輪の議員宿舎に迎え、午後10時前後に議員宿舎に送る。これがだいたい当時、平日の私の運転手時代の車での送り迎えをしていた一日の始まりと終わりの時間だった。 行動範囲はというと自民党本部、千代田区、港区のホテル、日比谷や虎ノ門、平河町などの会館やホール、赤坂や築地近辺の料亭などが、運転して送迎する地域である。道路脇やホテルの駐車場で1時間や2時間、車の中で待機するのが日常であった。来る日も来る日もこの状態が続いた。一日中車で過ごしていると若かった

          国会議員の秘書18(車待機中)