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国会議員の秘書19(抗議電話)

 私が、東京に出てきて少し国会での仕事になれてきた頃、竹下内閣の閣僚などにリクルート事件というスキャンダルが出始めていた。また、この時期に、消費税導入法案が提出され12月24日に成立し国会周辺や議員会館の周りでは、デモや集会。抗議の電話やファックス、また、市民団体などが、議員会館の事務所にグループで訪ねてきて秘書が対応すると消費税反対というビラを渡して「名刺を出せ。あなたは、これをどう考えているねか?答えろ。」など毎日、毎日何十件も対応をさせられた。私たち秘書に抗議されてもただひたすら聞き役にまわるだけで、何も答えなど言えるわけでもなく。このような抗議を私たちが受けているのを奥の部屋で聞いていた野中先生が、その訪ねてきたグループに対してたまに、「奥に入ってくれ」と言って「君らの支持している議員は、どういう対応をしているんだ?彼らには要望しているのか?私は、君たちからそういう要望もあるということは受けておく。」などと言って対応される場面もあった。また、事務所に電話がかかってくると野中事務所では、「電話のベルが鳴ると2回以内には、受話器を取るように。」と教えてられていた。事務所では1番下の秘書の私が電話を受ける回数が多く、この頃のかかってくる電話は、抗議の内容であることがみんなわかっていたので先輩秘書は殆ど電話を取らなかった。私も正直、取りたくなかったが、党本部や霞ヶ関の省庁、後援会の方などから電話がかかってくるので電話のベルが鳴ると2回以内に取らざるを得ない。抗議電話以外は、何らかの要件があってかけてこられているし、そのかかってくる内容は、私たちにとって大切な電話連絡である。しかし、消費税導入の法案が成立する前後は電話が鳴ると受話器を取るのが億劫で仕方なかった。今これを書きながら思い起こすと野中先生が現職の時は、抗議の電話や嫌がらせの電話の本数は、一日、事務所にかかる電話の本数の半分以上がそのような内容だったかもしれない。しかし、それだけ野中広務という政治家の発言は賛否はどうであれ発信力があったのだと思う。

 消費税導入法案が成立した翌々日の12月26日の昼頃だった。抗議電話が朝から何回もかかってきていた。私は、電話が鳴ったので受話器を取って「野中事務所でございます。」と言うといきなり「おまんとこの代議士は、家に電話をしてもおらん!事務所に電話してもおらん!どこにおるのか!共産党の委員長でもおるところははっきりしているぞ!今どこにおるのか!」と相当怒っいるお爺さんの感じの声の電話で「共産党の委員長」という言葉が出たので、「また、お年寄りの消費税の抗議の電話だ!」と私は、ムッとして「おたく名前も言われないで失礼じゃないですか?どちら様ですか?」と言うと「金丸だ!もういい!」私は、立ち上がって「もうしわけ、、、」と言っている間に「ガチャン!」と電話を切られてしまった。この時、竹下総理は翌日の27日に組閣をする予定だった。私は、「マズい、先生の政務次官の内定の話を飛ばしてしまったかもしれない。」と思い顔面蒼白になって「今、金丸先生から先生の居場所がわからないと怒って連絡がありました。途中で電話切られてしまいました。」と事務所内で私が言うと「お前が怒らしてしまったんじゃないかよ!偉い先生は名前言わないのが当たり前だから声でわかれよ!」と先輩秘書からそう言って怒られた。すぐに野中先生に連絡を入れないとと思い、野中先生は京都から東京に出てくる新幹線の移動中だったので新幹線の連絡センターから野中先生を呼び出してもらい先生にことの顛末を伝えた。当時の大物政治家や大物ジャーナリスト、オーナー企業の社長などは電話で名前を言わない人が多く、電話に出た時に、一瞬の声だけで「いつもお世話になっております。」と言って対応しないと相手は自分をわかっているものと思って話をされる人が多かった。私は事務所に入って野中先生から事務所に連絡があった時に、初めて野中先生からの電話を私が取った時に「うーん。◯◯くんは?」といきなり電話の向こうで言う人からかかってきたので、「うちの事務所の筆頭秘書に名前も名乗らずに『◯◯くんは?』とは偉そうに。だれや?」と思って「失礼ですが、どちらさんですか?」と聞いて「野中です。」と言わせてしまったことがある。この頃は相手の電話番号がモニターに出るダイヤルサービスもない時代だったのでかかってくる電話の向こうの人の声を覚えるのも秘書をしているものの仕事の技術の一つであった。

 話はそれたが、私は、野中先生が東京駅に到着されるのを迎えに行き、新幹線のホームまで行って先生が新幹線から降りてこられると「金丸先生が怒って電話を切られてしまい申し訳ありませんでした。」と言うと。野中先生も困った顔をして「連絡つかへんて。事務所に電話くれたら連絡つくわな。」と言って東京駅の新幹線改札口を出た公衆電話から金丸先生の事務所に電話を入れられた。野中先生は、ニコニコしながらひたすら受話器を持って頭を下げられていた。電話を終えると「金丸の親父から建設政務次官でいいかっていわれたわ。」と笑顔で私に向かって話された。私は、「おめでとうございます。」と言って「金丸先生が怒られてなくって助かった。先生の政務次官就任が飛ばなくってよかった。」と内心ホッとしたと同時に、「内閣などのポストの内示は、このようにして派閥(経世会)の会長から事前に連絡が、くるのか。」と派閥の役割を垣間見た瞬間だった。今は、スマホなどで直接本人に連絡がつき誰から電話が、かかってきているのかもわかる時代であるが、当時は誰から電話がかかっているのかもわからないアナログな時代だったので自分の感覚が頼りのところがあった懐かしい時代でもある。

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