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国会議員の秘書(昨日)

 自民党が野党に転落していた時に、私は、引退された野中広務先生が東京に出て来られた時に運転手をして随行をしながら個人事業をして生活していた。
 その時に、居場所がなかったので「うちの事務所を使えばいいよ。」と言っていただき、文教族の重鎮で全国比例の参議院議員をされた故柳川覚治先生の筆頭秘書をされていた方が柳川先生が現役時代に設立された平河町にある団体の事務所に机を用意してもらい居候をさせていただいていた。野中広務先生が会長をされていた砂防会館別館にある全国土地改良連合会の事務所とも近かったので大変有り難かった。
 私がその団体の事務所に、派閥も違った柳川先生のところに、机を置かせていただけたのか経緯を説明すると、野中広務後援会連合会の会長をしていただいていた水谷幸正先生(元浄土宗宗務総長・仏教大学の法人理事長)の陸軍士官学校時代の同期生が柳川先生であり、水谷先生とことある毎に、お会いされていたので自然と私も柳川先生の事務所に出入りするようになった。そうして柳川先生の筆頭秘書をされていた方から文部省のことや文教政策についてご指導をいただくようになり、毎年暮れには、柳川先生の関係者の方を集めて東京プリンスホテルで懇談会をされる場にもお邪魔させていただいていた。という関係である。
 昨日は、久しぶりに夏のご挨拶に伺った。私の近況を聞かれたので現役の秘書を退いてから現在の自分がしている業務などをひと通りご報告をさせていただいた。その後、永田町関連の話になるとやはり、今も尚、政界の水面下の情報に詳しく、都知事選の裏側や自民党の総裁選の話などで入手されている情報などを話されていた。そうして最終的には、昨今は、議員が小粒になって堂々と自分の意見を言われなくなったことなどを危惧され憂いておられた。私に何故そのようになってしまったのかどのように考えるかを問われた。私は、「小選挙区になってから公募をして候補者を限られた関係者で選んでいるということが多々あり、そのような選考の仕方をしているからではありませんか。また、小選挙区ですから1人だけ当選者を決める制度になっているからだと思います。中選挙区の時は、党の公認がなくとも力があれば無所属でも這い上がってこられた。それと賛否はありますが、政治資金規制法を透明化せずに、上限を設けて入りの制限を厳しくしています。お金を集めるのに悪い風潮があります。しかし、日本は、資本主義であり、企業も税金を納めています。企業や団体に政治的意思があって良いと私は、思います。寄付はいくら集めてもよしとして上限の制限を設けず、透明化していくことが良いのではと思います。」と答えた。「わかった。なるほどな。それはわかるな。」と私が言わんとすることはわかっていただいたと思う。
そうして毛筆で書かれた一枚の紙を手渡された。

「今日は、これを考えていたのだよ。今、日本人は、このことを忘れている。日本の教育は、原点に立ち返って変えていかないとこのままでは日本は、駄目になる。これを君に渡すよ。」と言ってその書をいただいた。書かれていることは、当たり前のことであるが、考えると今の日本では忘れられていることである。私も日々の流れの早さに、忘れていたことであった。昨日の夏のご挨拶により、、、

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