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国会議員の秘書22(竹下内閣から宇野内閣へ、そして参議院議員選)

 消費税の導入とリクルート事件の批判で竹下内閣の総辞職を引き換えに平成元年度予算が成立し、そして宇野宗佑総理が誕生した。しかし、宇野内閣は、出だしから女性スキャンダルに見舞われた。
 これらはさておき、竹下内閣の総辞職と共に、野中広務先生も建設政務次官を退任し、衆議院建設常任委員会の理事と党内では、国会対策の副委員長というポストをもらった。建設政務次官から建設常任委員会の理事をするのは、建設省に在任中お世話になったので恩返しするために、委員会でご奉公するということだった。また、国対副委員長とは、地味なポストである。何人かいる国対副委員長(この頃は各派閥から1名出すのが慣例)で衆議院の各常任委員会や特別委員会を分担して法案の根回しや与野党間で水面下の交渉したりして国会の審議が円滑に進むようにすることや委員会の質問の割り振り、各委員会の人事などをすることなどが主な役割で、表の議院運営委員会。裏の国会対策委員会と言われている。国会に提出されている法案や条約が会期内に成立するように重要な役割を担っている。国対副委員長は、国会会期中は、朝9時から国対委員長、副委員長会議があり、月曜日から金曜日まで毎日国会内の国対委員長控室に常駐しないといけなかった。
また、国会内でのいろいろな動きを野中先生は、永田町の日枝神社の前にあるパレロワイヤル永田町のプライベート事務所におられる金丸信先生やTBRビルの事務所におられる竹下登先生に毎日のように報告に行かれていた。この頃、竹下先生と金丸先生の間に隙間風が吹いているということが噂され、おふたりの様子を伺うということも役目としてあったと思う。
 国内の世論は、宇野総理のスキャンダルと消費税の導入が尾を引いて内閣支持率、自民党支持率もともに、下がっていった。この年は夏の参議院議員選挙も控えており、自民党は、消費税導入とリクルート事件、総理の女性スキャンダルということで逆風の真っ只中だった。京都では、次期参議院議員選挙の自民党の候補者は、現職の植木光教先生から新人で野中先生と関係が深い府議会議長だった西田吉宏先生に公認候補が変わった。西田吉宏先生は、現在の京都府選出の参議院議員西田昌司先生のお父上である。西田吉宏先生の自民党公認が決まったのは、時期としては、竹下総理が辞職される半年ぐらい前だった。西田吉宏先生の派閥入りについては、野中先生と竹下総理の間で話し合いがもたれ、野中先生から西田吉宏先生が当選されたあかつきには、竹下派の経世会ではなく、安倍晋太郎先生の派閥に西田先生をお願いするという話をされ、竹下総理から当時幹事長であった安倍晋太郎先生に話をされて西田先生の清和会入りが決まった。
 これは、当初の野中先生の考えは、京都府選出の国会議員は、今まで一つの派閥に偏っていたので、いろいろな派閥に分散するほうがよい。それは、総理が変わっても誰かが総理の派閥にいることによってその議員を通じて、遅れている京都府下のインフラ整備をするのに、政府に対して働きかけてもらうと配慮してもらえるのではないか。という思いからだった。
参議院議員選挙では、京都府選挙区は、定数2議席なので自民党にとっては、嵐のような逆風ではあったが、1議席を守り切るということが至上命題であり、あらゆる組織を総動員して選挙戦を乗り切って西田吉宏先生の当選にこぎつけた。
この選挙は、土井たか子党首率いる社会党が「マドンナ旋風」というブームで大躍進し、自民党は、33議席を減らして参議院では、過半数を割り込んだ。宇野総理は、選挙の大敗の責任を取って辞任された。私は、この頃は、末端の秘書だったので政治状況もあまり良くわかっていなかったが、参議院がこの選挙で与野党逆転したことによって、この時から自民党の難しい政権運営が長年続く始まりとなったと思っている。参議院議員選挙は、負けると議席を取り戻すのに、何年もの積み上げが必要になってくる。
現在の岸田政権において政治状況を考えると衆議院を解散し、総選挙をして自公で過半数割れをしたとしても参議院で自公が過半数を確保しているかぎり、例え政権交代してもすぐに野党が政権を運営出来るかというと疑問である。しかし、来年の参議院議員選挙で自公が過半数を確保出来なくなると政権運営は、大変厳しい状態になる。また、何事も国会でなかなか決まらないという状況になって平成元年の頃と同じような状態になるのではないかと思う。来年の参議院議員選挙は、我が国にとってそういう意味でも大変重要な選挙となってくるであろう。

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