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「小説 天気の子」

「小説 天気の子」新海誠

高校1年の夏、帆高(ほだか)は離島から家出し、東京にやってきた。連日降り続ける雨の中、雑踏ひしめく都会の片隅で、帆高は不思議な能力を持つ少女・陽菜(ひな)に出会う。「ねぇ、今から晴れるよ」。それは祈るだけで、空を晴れに出来る力だった――。天候の調和が狂っていく時代に、運命に翻弄される少年と少女が自らの生き方を「選択」する物語。長編アニメーション映画『天気の子』の、新海誠監督自身が執筆した原作小説。

「天気の子」は何度も何度も観ている大好きな映画だ。小説もあるのは知っていたけど、もっと早く読むべきだった…。情景や感情の描写が繊細で美しく、アニメーションがくっきりと目に浮かんだ。読み終わったあとも映画を観たのと同じくらいの感動と充実感が残る。
映画ではキャラクターの動きや画の効果、音楽などで表現されている細かい部分がすべて言葉になっていて、結構気づきも多かった。読んだあとに映画を改めて観て、声のトーンやちょっとした表情の変化とか、音楽のタイミングとか、全部全部意味があって繋がっているのがわかって、より深く解釈できたように思う。
観てない人はもちろんだけど、映画を観た人に特におすすめしたい!


ここから先は私の「天気の子」への愛を語ります笑。いつも本の感想noteはネタバレを書かないように気をつけているけど今回は内容に触れて書く。なのでもし知りたくなければご注意ください。




この映画が好きなのは、自分の思う正しさをまっすぐに信じていいいよと言われている気がするからだと思う。
主人公の帆高は家も学校も窮屈で(←小説で書かれていた)家出し東京に行く。陽菜を取り戻すためなら、須賀にも警察にも歯向かう。バイクで逃げたり銃を持っていたりとめちゃくちゃだ。とても真っ当な高校生とはいえないかもしれない。でも私は帆高のまっすぐさやひたむきさが好き。全世界を敵に回してもたった一人の会いたい人のために走れる。その生き様がかっこよくて。
人を想うことだけじゃなくて、自分の大切にしてるもの、やりたいことに全力でぶつかっていいんだ。誰かに間違っていると言われたって足を止めないでいいんだと思う。


他のことなんてどうだっていい。神さまにだって僕は逆らう。言うべきことはもう分かっている。
「もう二度と晴れなくたっていい!」
陽菜の瞳に涙が湧き上がる。
「青空よりも、俺は陽菜がいい!」
陽菜の大粒の涙が風に舞い、僕の頬にあたる。雨粒が波紋を作るように、陽菜の涙が僕の心を作っていく。
「天気なんて―狂ったままでいいんだ!」

p266より抜粋


ベタかもしれないけれど、「愛にできることはまだあるかい」が流れて帆高が線路を走っていくところから、空で陽菜にこの台詞を言う場面が一番好き。その臨場感や感動が文章でも伝わってくる。とくに涙の描写が…なんて言えばいいのかわからないけど、とにかくすごくいい。あの映像を言葉にするとこうなるのか…。新海さんの語彙力に脱帽。

前に書いたような帆高のまっすぐな思い、自分の信念を貫く姿が、この場面でよく表れていると思う。観るといつも、私が大切にしたいものはなんだろう、どうしても手に入れたいものはなんだろうと考えさせられる。
私もこんなふうに思い切り走って、追いかけて、叫びたい。

僕たちは目をつむる。握った両手をお互いの額に押しつける。そして願う。
僕たちの心が言う。体が言う。声が言う。恋が言う。
生きろと言う。

p267

映画では額をくっつけたところまでは描かれていて、そこで2人が何を思ったかははっきりとはわからない。小説でその後に書かれている部分は「グランドエスケープ」の歌詞の一部が使われている。小説にも歌詞がリンクしているのがすごくいいし、そういう工夫が映画の小説版を読む醍醐味だと思った。ちなみに私はRADWIMPSをよく聴いていて「天気の子」の音楽も大好きだ。そういう意味でもここに歌詞が使われているのは嬉しい。

好きな場面が、さらにさらに好きになってしまった…!


すべての人が、皆自分だけの世界を持ち、その世界の中で必死に生きている。役割を持ち、何かしらの責任を負い、自分というたった一つの命を今日から明日へと日々運んでいく。何も陽菜だけではなかったのだ。そしてすべての人が、そんな自分だけの「世界」をもがきながら生きている。その姿を近くで誰かに見ていてもらえる心強さや安心感を知っている。「見てくれている」「私のこの小さな世界を知ってくれている」「大丈夫?と気にかけてくれる人がいる」ということがどれほど大きな支えなのかを知っている。そして誰もがかけがえのない大切な人がもがく姿を見た時、「この人の大丈夫に、自分がなりたい」と願っている。

p308~309

RADWIMPSの野田洋次郎さんの解説より。
エンディング曲の「大丈夫」について書かれているところ。
「大丈夫」という言葉が嫌いだ。「大丈夫?」と聞かれることも、大丈夫じゃないのに「大丈夫」だとつい言ってしまうことも嫌だ。でもこの歌詞の「大丈夫」は信じられる気がして、好きだ。その気持ちがこの部分を読んでより強まった。

最近、本を読んだり人と関わって思うこと。
頑張ってるのは、生きるのに必死なのは、私だけじゃないってこと。
みんなも大変。みんなも辛い。誰だって"自分"を探してる。

洋次郎さんの言葉はそんな私の考えを言語化してくれたようで。すごく心に響いた。
大丈夫って、愛だ。この人がいるから大丈夫だと信じられることも、この人の大丈夫になりたいと思うことも。この作品は壮大な愛を伝えているのかもしれないな。


長々と書いてしまった。超自己満足記事になってしまったけどまぁいいか笑。
「君の名は。」と「天気の子」どっち派?という話になると前者のほうが多い。(私調べ)(「すずめの戸締り」が公開されてからは聞いたことないけど)どうしてだろう。私は圧倒的に「天気の子」派だ。もちろんその2作品も他の作品も好きだけれど。だから「天気の子」が好きという人に会えると嬉しい。どこか通じ合える部分がある気がする。(もしよかったらコメントで教えてください)

でも普通に小説としても素晴らしかったので他の映画の小説版も読みたい…!


それでは最後に、映画の曲の中で一番好きな歌詞を引用して終わります。

何もない僕たちになぜ夢を見させたか
終わりある人生になぜ希望を持たせたか
なぜこの手をすり抜けるものばかり与えたか
それでもなおしがみつく
僕らは醜いかい
それとも、きれいかい
答えてよ

RADWIMPS「愛にできることはまだあるかい」

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