あの人は5月を花見の季節と言う
あの人は5月を花見の季節と言う。
観光地にもならない故郷の桜が綺麗なことを懐かしそうに話してくれるのが、私はとても嬉しい。
あの人は寝言で私に、ちゃんと布団「着な」と言う。次の日の朝に聞いても覚えていないのだけれど。
あの人はいつも「なしたの」と言う。
私の育った土地の言葉よりも少し優しいその一言に、ついつい甘えて弱音を吐いてしまう。
あの人の言葉の抑揚は少し聞き慣れない。
東京の言葉で話しているようで、抑揚だけ癖の残った話し方をする。私にとってはそれが唯一の存在で、微笑ましく感じる。
あの人は見慣れない焼肉のタレを手にとり、自慢げに一家に一本必ずあると言う。
私が料理をするようになってから見かけなくなってしまったのが少し寂しい。
あの人は寒いのが苦手だと言う。朝は布団からなかなか出てこない。こっちの冬の方がずっと暖かいはずなのに。
二人の故郷はどこにしようか。
あの人は東京にも大阪にも住みたくないと言う。田舎で静かに暮らしたいと言う。
何をそんな叶いそうもないことを。
またいつ転勤があるかわからないくせに。
彼は直接言葉には出さないが、自分の故郷をとても愛しているのだと思う。
景色も言葉も味覚も感覚も。
故郷にしかないものを持っている。
私の故郷はなんにもない。
雪の降らない平らな土地に、ニュースで流れる標準語が耳を通り過ぎる。これと言って特徴のない食卓に、車通りの多い住宅街。買い物にも交通の便にも困らない。
懐かしむものも、自慢できるものも、故郷と言えるようなものも、何もない。
二人の故郷はどこにしようか。
彼の育った北の大地かもしれない。
私の育った無機質な郊外かもしれない。
初めて訪れる知らない何処かかもしれない。
育った場所も今の居住地も、遠く離れた私たちが、同じ場所で同じ時間を過ごせる日が来るのだろうか。
これから先も貴方と一緒に居られるように、
いつか一緒に暮らせるように、
二人の故郷を見つけられるように、
今は大きな物理的な距離が、確実に、着実に近づきますように。
いつもありがとう。これからも末永くよろしくお願いします。
2023,01,16
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追記
この一年、何ヶ月記念日だなんだを一切気にせず、言葉にも出してこなかった私たちなので、せめてこの日だけは大切に出来たらと思い、文章にしました。
私たちらしい距離感で、私たちらしい方法で、この日を大切にしていきたいです。
それと、私の故郷にはひとつだけ好きなところがありました。
冬晴れです。
冬の澄んだ冷たい空気に太陽の優しい暖かさと色素の薄い青空がとても好きです。
今週の雨はあいにくですので、早く晴れて欲しいものです。
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