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「辞めます…」涙(と鼻水)は一度だけ

こんにちは。福永洋子です。

今日は大人のADHDあるある
【仕事ができない】
〜整骨院の受付け見習い編〜
です。

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整骨院の学校に通っていた3年間は

ほぼテレビも観ず、家事も手抜きし、
(子育ては頑張りましたが)

これ以上できない
というくらい勉強して、無事
国家試験に合格しました。

そして、ゆくゆく
主人と開業するため、
私も現場を知っておかなくては
ということで、修業に出ました。

2カ所の整骨院に勤めたんですが、

最初の、ベッドが10床ぐらいある
大きな院で、またもや
自信喪失します。。

免許を取り『先生』になりましたが、
全く実務経験が無かったので、
受付け見習いから始めさせて
もらいました。

そこでいきなり
ファーストステージ最終エリアで
登場するはずの

『そり立つ壁』

が現れ、
脱落してしまったのです。

“患者さんを案内するベッドが
わからない——”

痛めている体の部位と
医療機器の配線の関係で、
スムーズに加療ができるベッドへ
ご案内したいのに、

しょっちゅう場所を
間違えてました。

電気のコードが絡まりやすい
取り方をしてしまう失敗も、
注意されてからも
2度、3度とありました。

カルテを何回も見直し、

この患者さんは左肩を痛めてるから
こっち側のベッドに寝てもらって、
電気をこっちから持ってきて当てよう。

この人は背中に
こっちの種類の電気を当てて
バンドでタスキ掛けにして止めるから、
まずは遠い足のほうを先に当てて

それには、こうしてああして
と直前まで頭の中で
復唱しているのに、

何か1個でも間に挟むと
さっき考えていたことが
全部消えてしまうのです。

(例えば患者さんに何か聞かれて
一言答えた拍子に、など)

どうしても目の前の事だけに
集中してしまい、
あとが抜け落ちる

ビックリするぐらい
一瞬前のことを忘れる

『2つのことを同時に考える』
のができなかったんですよね😭

気をつけてても
毎回毎回おんなじようなミスを
してしまい、

気まずさMAX
情け無さMAX

の日々。

だんだん職場に行くのが
気が重くなっていきました。

(なんでこんな事も
出来ないんだろう

さっきまで覚えてたのに、
何で忘れるんだろう

なんで、なんで

何百回、何千回、
自問自答したか分かりません。


そうして
3週間ぐらい経ったある日、
院長先生に呼ばれました。

もうすぐ研修期間が終わるけど、
慣れた?
というようなことを聞かれ、

なかなか覚えられなくてすいません
と答えたと思います。

そして、

「ちょっと(受付さんに)聞いたけど、
福永さんが真剣にやってないって——

こないだのテスト
(仕事後に、施術者が集まって
実技の勉強会を定期的に
されていました)でも、

プリント渡して
あんな1発で全部の経絡経穴(ツボ)の
部位と名前を覚えて来た先生なんか、
今まで1人もおらへん。

福永さん、やればできるんやから
これから気を引き締めて
一生懸命やるって言うなら

引き続き居てくれて全然いいし、
頑張ってもらいたいけど、

どうする?」

と。


ミスはあっても、まさか
適当にやってると思われていたとは
思ってなかったので、

それがものすごくショックでした。

何かしゃべったら
涙が出そうで

「すいません辞めます。」

としか言えず。。

(喫茶店に続き、2回目( i _ i ))

遊びに来てるんじゃないのに、
我ながら甘っちょろくて
恥ずかしいんですが、

最初、受付の先輩と
すごく気が合うような気がして
うれしかったところに

全く意思疎通が
とれてなかったことを
思い知らされたのが
ショックで、

自分の仕事の出来なさと合わせて
余計に落ち込んでしまったのを
覚えています。
 

そもそも『職場』って、

ADHDでなくても
9割以上の人が言うのは、

「人間関係がしんどい。」

です。

でもその人間関係を作る以前の、
仕事の内容と自分の能力との
ミスマッチで苦しむ
ということが起こり得るのが、

一般の人よりもADHDを持つ人
の方が格段に多いんじゃないかと
感じます。


なので、自分の特性

(頑張ったらできること・
頑張ってもできないこと)を
しっかり把握して、

仕事内容とにミスマッチが起きにくく、
かつ、
それを生かせる環境に身を置けたら、
それだけでかなり楽になれると思うのです。

私も、一度きりの人生を
欲張って生きるために
この点だけは絶対に
忘れたくないです。

今、私と同じようなことで
困っている人がいたら、

どうかあきらめないで
あなたにピッタリの場所・道を
探してほしいです。

探せばきっと見つかりますので✨✨✨


追伸:次に勤めた整骨院では、
医療機器を何も使わず
手技オンリーだったため、
何のミスもなくいけました。

その後、主人とふたりで
仕事をしだしてからが
暗黒の12年間の始まり
となるのは、

また別のお話。。。

()


次回は、

当時の家から自転車で
10分〜15分の場所にあった
この整骨院からの帰り道で

迷子になって3時間さまよった
時のことを書こうと思います。

読んでくださって
ありがとうございました👋


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