妄想癖
この世界は自分の心が創り出したもの、と考える時がある。
映画マトリックスでは無いけれど自分の物語をVRで見ているだけ、と。
今回のコロ助騒動は正に自分の転機に合わせて起こりえたことであって、
自宅でTwitterやnoteを始めたことは必然・・・
これからの人生、息子が相撲を始めた時のように大きく変わる。
そんな気がする。世界そのものが変わり始めていると感じるように。
そんなわけで今日は妄想をテーマに書いてみようと思う。
まず地球平面説(フラットアース)。
一時期、ネットでも騒がれていた天動説のような話。
今は学校でも習う通り、地球は丸くて太陽の周りを1年かけて回っている。
公転と自転をしながら・・・当たり前の話。
でも、ほんの少し前まで人類は天動説が正しいと思っていた。
科学的な根拠が示されて今では地動説を信じる人の方が大多数。
正直、どっち派でもない。この眼で確かめた事は一度も無い。
フラットアース信者の説明で妄想を膨らませてくれるのは、飛行機の航路と国連旗のデザイン。地球は平らで北極点が中心、南極は巨大な氷の外壁。
『進撃の巨人』壁の中の世界・・・では無いけれど発想は面白いな、と。
実際、南極ってどうなんだろう?
行った事ある方。島じゃなくて世界を囲む外壁に見えませんか?
すごいタイミングでトレトレさんが動画をUPしました。
犬村小六さんの『とある飛空士』シリーズの世界でも、2作目『恋歌』で明かされる世界の形は面白かった。1作目の『追憶』では、ローマの休日的な身分違いの恋物語が主眼に置かれていて、その世界がどういう風に構成されているのかは語られていなかったけど、映画を見た後、あの大瀑布の果てが気になって仕方が無かった。ネタバレになるから書かないけれど、なるほど、こういう世界だったのかと解った時には・・・うん。
さておき、世界がそんな今の常識からは馬鹿げたことだとしたら、最初に書いたVRであっても何も可笑しくない気がしてくる。科学とかどうでも良くてなんでもありだ。本当にマトリックスのように。
或いはジムキャリー主演のトゥルーマンショー・・・。
いや、こっちだったら怖いな。常に自分の生活は視聴者に見られているってことで、状況に合わせて登場人物がいてドラマを作っているってことか。
コロ助騒ぎも今の自分の行動範囲ではネットの向こう側の話だし、確かに外出している人は減っているけど、これが自分が主人公という一つのゲームの世界だとしたら、設定変更で入れられたって感じで。
今、見ているものは『暇を持て余した神々の遊び・・・』的な世界。
現実は夢なのか、夢の世界が真実なのか、睡眠ですら謎すぎる。
ジョジョの奇妙な冒険は第二部が好きで、その中の最大の敵になるカーズは究極生物、不老不死になるわけだけれど最終的に地球圏外に飛ばされて何もできなくなる。
『カーズは2度と地球には戻れなかった・・・(中略)永遠に宇宙空間をさまようのだ。そして死にたいと思っても死ねないので、そのうちカーズは考えるのをやめた』
いや~怖いわ、永遠に何も出来ないって。脳内世界で新しい世界でも作れればいいのだけれど。寄生獣のミギーがただの右手に戻ったように。
そんな感じで妄想をしたりもするのだけれど意外と人生って自分が望めば望んだ形になっていくゲームなのかもしれないと思っていたりもする。最初にプレイヤーセレクトで時代とか国とかキャラなどの条件を選択して、どう生きていくかのゲーム。これは自分が希望した生き方。
であれば、今の自分が次の生き方を見つけたら自然とコロ助は終息するね。それはそれで次の障害がゲームのルールとして出てきそうだけれど。