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紅葉の高野山①【金剛三昧院】

紅葉にはまだ早いと思っていたのですが、もうあちらこちらに黄色や紅色の鮮やかな彩りが見られた、10月下旬の高野山。
まずは久々に「金剛三昧院こんごうざんまいいん」に参拝しました。
境内には日本で二番目に古いと言われている多宝塔があり、古色の深い木肌がとりどりの紅葉に映えていました。

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多宝塔の手前には、「六本杉」という樹齢約400年のご神木があります。三本の杉の木の幹が六本に分かれた大樹で、守り神である天狗・毘張尊びちょうそんが舞い降りた神樹だとのこと。
枝が絡み合い、風にざわざわと鳴る「六本杉」のどこかに、今も天狗さまが隠れていそうで……しばし、翳の濃い緑をじっと見上げてしまいました。

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山門にかかった額にも「毘張尊」の文字。火災や盗難除けにご利益のある天狗さまだとのことです。

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境内の一番奥にある本堂には、御本尊・愛染明王あいぜんみょうおうがおられます。
赤い体に憤怒の形相、額の間にも目が開いており、髪を逆立てた様子は迫力満点、とても恐ろしいお姿です。
けれど、その怒りは人を裁くものではなく、「執着を伴う愛情」や「情欲」を浄化するためのものだとのこと。人間が本来持っている欲望を否定せず、良き方向に活かそうとする仏様なのだそうです。
確かに「愛」は慈しみにも憎しみにも姿を変えるものですよね。

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「金剛三昧院」の愛染明王は鎌倉幕府の祖・源頼朝みなもとのよりともが亡くなった際、正妻の北条政子が仏師・運慶に作製を依頼したと言われています。
とても意外だったのですが、源頼朝と北条政子は親の反対を押し切って結ばれた、熱烈な恋愛結婚でした。「平治の乱」で平氏に敗れ、伊豆へと流罪になった若き日の頼朝。その監視役を勤めていた北条家の長女が政子だったのです。
流人るにんと監視役の娘の恋は、当然、認められるはずはなく、政子は父親の決めた相手と祝言を上げることとなってしまいます。
ところが……
婚礼の夜、政子は家を抜け出し、ひとり頼朝の元へと走ったのでした。

貴族社会から武家社会へと大きく世の中が動いた平安時代末期。
その台風の目のひとつとなった、源頼朝と北条政子。
「壇ノ浦の戦い」で平氏を倒し鎌倉幕府を開いたものの、幕府の統治は容易に安定せず、頼朝が亡くなった後にも、さまざまな試練が政子に襲いかかりました。
当時の文献によると政子は「鎌倉殿」と呼ばれ、幕府を仕切る中心人物であったことがわかっています。

現在、「悪女」の評のつきまとう政子ですが、これは江戸時代に広まった儒学の影響が働いているとのこと。それ以前の時代では、世の中を治めるために手腕をふるった有能な女性として、政子は高く評価されていたようです。

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そんな北条政子が、当代きっての一流仏師・運慶と、どんなことを語り合いながら、亡き頼朝のために愛染明王を作り上げたのか……。
そう考えると、ただの「有名な記号」でしかなかった歴史上の人物が、確かにここで生きていたのだという実感が湧いてきます。
先人の息遣いをリアルに感じられること、それが高野山の魅力のひとつかもしれません。

深い祈りを込められた愛染明王は800年を越える歳月、この秋も境内の奥の本堂で憤怒の表情を静かにたたえておられました。

(愛染明王の写真のみ、二年前、「金剛三昧院」での体験会に参加した際、特別に間近で拝観させていただいた時ものです。通常は、外からガラス越しの参拝となります)



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