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雨でもお月見?季語に見る、月への果てしなき愛【自然】

庭の紫式部が次第に色を深め、気が付けばもう9月半ば。木々に降る日差しも、心なしか褪せたように感じます。
来週、21日にはもうお月見。時が経つのは本当に早いですね。
毎年、お月見にはお団子をお供えするくらいで、たいそうな準備はしないのですが、十五夜の月をゆっくりと見上げるのはとても楽しみです。

ところで、まだ俳句を学び始めて間もない頃、私は『俳句歳時記』(季語を集めて分類した書物)の秋の項で「雨月(うげつ)」という言葉を見つけて心惹かれました。

「雨月(うげつ)」
雨のため、名月が見えないことをいう。雨をうらめしく思いながら、月のあるほの明るいあたりを仰ぐ。
(角川学芸出版『合本 俳句歳時記』より)

見えない月に思いを馳せる言葉、「雨月」。

おそらく、厚い雲が夜空全体を覆い、こまかな秋の雨がサアサアと鳴る十五夜。でも、はるか雲の上、宙空には煌々と照る月が懸かっていて、その光が一面の雲の背を照らし、そしてわずかに通過した光が、雨天をほのかに明るませる……。

「雨月」という語を知った時、目の前にはこんな光景が広がって、まるで小さな物語を見ている気持ちになりました。
ひとつの言葉にこれだけの広がりを含ませることができる、季語にはそんな力があるのだということに驚きました。

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他にも『俳句歳時記』には「名月」「望月(もちづき)」「月今宵(つきこよい)」など、十五夜の月を表した言葉がたくさん収められているのですが、興味深いのは満月の十五夜以降にも、月の「追っかけ」をしているところです。

「十六夜(いざよい)」
旧暦八月十六日の夜、およびその夜の月をいう。満月よりも出が少し遅れるので、ためらう意の「いざよふ」から付いた名。
「立待月(たちまちづき)」
旧暦八月十七日の夜の月をいう。名月を過ぎると出が徐々に遅くなり、姿も少しずつ欠けていく月を惜しみ、一夜ごとに名を変えて愛でる。立待月は月の出を立って待つという意から」
(角川学芸出版『合本 俳句歳時記』より)

このような感じで、その後も月の出が遅くなるのに合わせて、

「居待(いまち)月」:旧暦八月十八日の月。坐して月を待つことから。
「寝待(ねまち)月」:旧暦八月十九日の月。寝ながら月を待つことから。
「更待(ふけまち)月」:旧暦八月二十日の月。夜更けまで月を待つことから。

まるで恋しい人を待つかのような言葉が次々と……。
明るく光を放つ十五夜の月だけではなく、少しずつ欠けてゆく月をも大切に「追っかけ」てゆくのですよね。
季語から見えてくる先人の月への愛は、夜空に描かれる移ろいのすべてを受け入れた、大きな「ストーリィ」なのだと思いました。

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さて、今年のお月見は「名月」でしょうか?「雨月」でしょうか?
ぜひ「名月」であってほしいのですが、空模様は気まぐれ、天の神様次第です。
どんな十五夜であっても先人に倣い、ゆったりと空を仰いで楽しみたいと思います。


こちらに参加させていただきました。21日にはオンラインでのお月見会も!
楽しみにしています。


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