母が高齢者住宅から救急車で運ばれたのは、GWの少し前でした。
一昨年秋、母は骨髄異形成症候群(骨髄で正常に血液を造れなくなる病)との診断をされており、高齢のため治療の手立てがないこと、体調の急変は致し方ないことを主治医から告げられていました。
それでも定期的に輸血を受け、今までと変わらない日常を送っていたのですが、病状は徐々に悪化していたようです。
緊急入院、そして終末期の緩和ケアを受け入れてくれる病院への転院と、GW前半はさまざまな手続きですっかりバタバタ。
母はパニック障害と軽度の認知症もあり、状況をわかってもらうのにちょっと苦労しました。頑固でこだわりの強い性格なので、
「すぐに家へ帰る」
と、険しい顔で言い張ってきかず、無理にベッドから起きようとして看護師さんをかなり困らせてしまいました。
でも、やはり一番辛いのは母自身。わけのわからないまま足が立たなくなり病室に閉じ込められている、そんなふうに感じているのは間違いなさそうです。
入院の時以来、コロナ対策のため面会はほぼできず、手続きを終えるともう、すべてを病院にお任せしている、今はそんな状態です。
勝気で完璧主義な母とのんびり屋の私は相性が悪く、ずっと母は私に対して、
「なぜ、この子はいつもきちんとできないのだろう」
と、不満を持ち続けているようでした。(たぶん今でも。)
子どもの頃はテストで99点を取っても、あと1点足りなかったことを執拗に責められたりして、私は母に褒めてもらった記憶がほとんどありません。
「私には私のペースがあるのだから、母に対して罪悪感を持つ必要はない」
と、自分の鷹揚なところを長所として認められるようになるまで、私は精神的にかなり辛い生き方をしていたように思います。
誰もが持っている「自分の物差し」。母にとっては自身の物差しがすべての正しさの基準で、どうしてもそこからはみだしてしまう私を矯正することが、母なりの愛情のかたちだったのかもしれません。
「単なる無理な延命にしかならない」との主治医の先生の判断で、今、母に対する治療は輸血も含め、すべて止められています。面会ができないだけに、確実に終末へと向かっている母をイメージできず、なんとも奇妙な感覚で時間が過ぎてゆきます。
たとえ家族でも分かり合えずに終わる関係があるのだな、と思いつつ、でも、そもそも「分かり合う」とは相手を理解したい気持ちよりも、自分をわかってほしい、という欲求を満たしたいだけのエゴなのかもしれないな、などと考えは迷走し……。
そんな五月半ばの日々です。
神社仏閣をとりまく鎮守の森を守りたいと思っています。 いただいたサポートはその保護への願いをお伝えし、参拝の際、奉納させていただきます。