マガジンのカバー画像

フォトエッセイ

71
何気ない日常の中で、ふと気になってしまうモノ・コト。季節の写真を添えて、短い言葉にまとめたエッセイ集です。
運営しているクリエイター

#日記

緊急入院

母が高齢者住宅から救急車で運ばれたのは、GWの少し前でした。 一昨年秋、母は骨髄異形成症候群(骨髄で正常に血液を造れなくなる病)との診断をされており、高齢のため治療の手立てがないこと、体調の急変は致し方ないことを主治医から告げられていました。 それでも定期的に輸血を受け、今までと変わらない日常を送っていたのですが、病状は徐々に悪化していたようです。 緊急入院、そして終末期の緩和ケアを受け入れてくれる病院への転院と、GW前半はさまざまな手続きですっかりバタバタ。 母はパニック

白梅

里山へと登ってゆく山道の脇に、年を経た白梅の木が一本だけ立っている。誰かが世話をしているふうでもなく、後ろの藪が枝の間に倒れ込んでいたり、蔓が幹に絡まっていたりするのだが、毎年きまって三月になると、満身真っ白な花をつけてくれる。 山道の手前には細い道が一本あるだけなので通る人も少なく、だから花が咲くといつも、メジロやヒヨドリなどの野鳥で白梅はにぎわっている。 今日もウォーキングの途中に前を通ると、羽ばたきの音と共に、鳥たちの影が一斉に空へと消えていった。 公園や神社にある梅

二月尽

2月下旬の、とても冷え込んだ朝。手早くマフラーを巻いて手袋をして、霜の撮り納めにゆく。 立春を過ぎてから夜が明けるのがずいぶん早くなり、気温もすぐに上がるので、おそらく今年の霜はこれで最後。 義母をデイサービスに送り出すため、この日は早い時間に家を出なければならず、「5分だけ」と決めていつもの空地へと向かう。 タネツケバナはゴマ粒ほどの、小さな小さな白い花。冬の半ばからずっと、枯色の風景の中、群れて咲き続ける芯の強さを持っている。 ホトケノザの花色は、すでにくっきりと濃い

150回の幸

先日、「みんなのフォトギャラリー」に上げていた写真が、150回使用されたとのおしらせをいただきました。 私にとって150回はとても大きな数字。ありがたい大きな幸です。 一枚の同じ写真を何人もの方が使ってくださり、それぞれの記事によって雰囲気が変化していたのも興味深く感じました。 和歌山県紀美野町にある「釜滝薬師金剛寺」の紫陽花。 この画像は30人の方が使ってくださいました。 自宅の庭で撮った、シマトネリコに結ばれた雨の雫。 こちらは12人の方に使っていただきました。

霧散

昨日は朝から、なんとなく気持ちが沈んでいた。 普段、のほほんとしている私にはめずらしいことで、 「う~ん、浮上できない。一体、なぜ……?」 目に見えない雲のようなものが、体にも心にもまとわりつき、もやもやと離れない感じ。 急に寒くなり、まだ体が寒暖差になじめていないから? ここしばらくちょっと無理をして、さまざまな雑用を入れすぎていたから?あるいは二日前の満月の作用が尾を引いているせいなのかも……。(月の満ち欠けは人のからだに影響を及ぼす由) 読みたいと思って本棚から取っ

<三日月賞>のスパイスティー

以前、参加していた「新しいお月見」コンテスト。 ありがたいことに<三日月賞>をいただき、今日、賞品のスパイスティーが届きました。 「からだに溜まった余分な熱を取りのぞくティー」だとのこと、まだ暑さが残る今の時期、とても嬉しい効果です。 スパイスティーには月のコラムが添えられていて、十五夜が過ぎてからもまだまだ月を楽しむことができそう。 同封してくださったカードも美しく、どこに飾ろうか迷い中です。 息子たちが独立してからのお月見はいつも、お団子を供えるだけの静かな行事だった

おもちゃの桔梗 【#描写遊び】

お盆のお供えの干菓子に、小さなプラスチックの桔梗が付いていた。濃い紫の花は桔梗を模したかたちをしているものの、葉はまったくお粗末で、キャラメルのおまけのような、おもちゃの桔梗。 ところがこの桔梗が、妙に心に引っかかった。 お盆の時期の、終わりの見えない長雨のせいなのか、コロナの蔓延を伝えるニュースに気が滅入っていたからなのか……。 お下がりの干菓子を食べ終えても、なぜか桔梗を捨てられずにいた。 「桔梗の咲く秋がやってくれば、少しずつ、きっと物事が良い方に動いてゆくはず」 そ

葛染めの団扇【和歌山】

先週、Jさんと訪れた、紫陽花の美しい釜滝薬師金剛寺。その山門の手前には「あせりな」という手漉き和紙の工房があります。 和紙の原料・楮(こうぞ)を育てるところから携わっておられる由、Jさんと立ち寄った工房には和紙で作られたパスケースやポーチ、鞄など、たくさんの和の色の小物が並べられていました。 もともと耐久性のある和紙に蒟蒻(こんにゃく)芋を加えることで、さらに丈夫でなめらかな質感になるとのこと、手に取るとどれも軽くてしっとり柔らかな触感でした。 平台には草木染めの色合いが美

明け方の人

明け方、寝室に誰かが入ってくる気配がした。夫が奥の納戸にある蚊とりベープを取りにきたのかな、とそのまま寝ていたのだけれど、明らかに立ち止まってこちらを見ている感じがする。目をあけると背の高い影のようなものが、ゆっくり納戸の方へと消えていった。 明らかに人ではないものだったのに、まったく恐怖を感じないのが不思議だった。親しい人がちょっと様子を見に来た、影の仕草はそんな感じだったからかもしれない。 「おじいちゃん、なのかな?」 何十年も前に亡くなった祖父は180cmを越える長身

ユニクロのフリーマガジン『Life Wear』【本】

ユニクロの店舗に置かれていたフリーマガジン『Life Wear』。読み物がネットにあふれている時代にもかかわらず「冊子」というかたちが嬉しく、一部いただいて帰りました。安西水丸さんの表紙も美しいです。 記事は日本語と英語が併記され、村上春樹さんのインタビューや世界で活躍している方たちの短いコラム、ユニクロ製品のお洒落なグラビアなど、どこから開いても気軽に楽しめるものばかりでした。 中でも一番心惹かれたのは、ルーブル美術館の記事。「メディアシオン」という役職のダニエル・スー

黒葡萄

思いがけなく、見事なピオーネをいただいた。ハリのある実がみっしりとついた黒葡萄。洗って冷やしておいてから、たまたま帰省していたエンジニアの長男と向き合って食べる。 「葡萄ってさ、食べてる時、何もできないよな」 LINEの着信音が鳴ったスマホに目をやって、長男が言う。 濃紫の葡萄の皮は案外しっかりしていて、爪の先で丁寧にゆっくり剥かなくてはならない。そうしているうち、みずみずしい果汁がしたたり、その指ではスマホも何も触ることができなくなる。ほんの小さな一粒を食べることだけに時間

薄紫の時間

明け方、新聞を取りに行くと、シマトネリコの低い枝で熊蟬が眠っていた。間近に寄っても、ピクリとも動かない。 薄い翅の下にある体はほぼ黒に近い茶色。鎧のようにゴツゴツしていて、地中での生活の名残を漂わせている。 地上に出てからは7日ほどの命だと言われている蟬。こうやって眠るごとに深く老いてゆくのだろう。薄紫の朝風に吹かれながら。

鉱物の色

夏の終わりには小さな生き物の亡骸を目にすることが多い。 先日も庭の鬼門さんの草取りをしていると、蛇苺の葉陰に、朽ちかけたアオスジアゲハの翅を見つけた。からだはすでになく、端がぼろぼろと崩れた翅が2枚、あちらとこちらに落ちている。 黒も碧も艶をなくして色褪せてはいるけれど、それがまるで鉱物の乾いた色のようで、生きている時とは違う無機的な美しさを保っていた。 虫や花は大きな自然の一部。だから魂は長く体に留まらず、軽やかに転生を繰り返す、という。 このアオスジアゲハに居た魂は、今

蛇、直立不動

荒梅雨のさなか、ほんのひと時、雨がやんでいた真昼のこと。家のすぐ前のアスファルトに、体長1メートルほどの細い蛇が現れた。頭の形が四角く、体にはタテに縞模様があるため、毒のないシマヘビかな、とも思ったのだが、近づいてみるとマムシに似た模様があるようにも見える。 どちらにしても、庭のめだか鉢には馴染みのヌマガエルが住んでいるため、できればうちには入ってきてほしくはない。 ほどなく蛇はすべるように、でも体のどこかに小さな引っ掛かりがあるかのように、細かなS字を描きながら、するすると