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【エッセイ】客観的に自分を見つめ直す必要はない

はじめに

ビジネス書、自己啓発本、巷。社会ではよく客観視が大事と言われる。あまりディスりたくないが、僕個人はこういった類の主張はくだらないと思っている。社会で礼賛されている客観視なるものについて今一度考えてみる。

客観視ってなに

客観視は第三者目線で考えるという意味で巷では使われていると思う。もしくは俯瞰で考えるという意味、神様視点から考えるということだ。いずれにせよ、主観ではないということを意味する。

反論

客観視を礼賛する人々はこんな感じで考えているのだと想像する。

僕「僕はかっこいい(主観)」
客観視人間「モテないじゃん、なんかオシャレじゃないし」
僕「…」
客観視人間「勘違いを是正できたし、事が前に進んだ」

果たして客観視は僕の勘違いを是正するために一役買っているのか。事を前に進めているのか。

僕がモテないということは僕自身よく知っている。客観視なんてしなくても。あえて客観視しようとして、見えてくるものって一体なにがある?この例に限らず特に無いように思う。モテないことを自覚できているのに僕は僕をかっこいいと勘違いしているのはなぜか。これは無意識的な話だと思う。モテないと思いたくないから。僕自身のこれまでの主観的な体験や感情、感覚。一人称で語られることを掘り下げることで、なぜ勘違いをしていたかが見えてくる。客観視で解決策なんて見えない。もし解決策が見えるのならみんな簡単に成功してる。主観を掘り下げることで解決策は見える。人間は理性的ではないから、客観視なんてしても行動は変えられない。客観視は人にとって受け入れ難いものだ。

僕「僕はかっこいい(主観)」
主観掘り下げ人間「何故そう感じるのか」
僕「モテない現実を受け止めたくないから」
主観掘り下げ人間「何故モテたいの?」

そもそも論、第三者目線や俯瞰を意識したところで、原理的に第三者目線や俯瞰でものを見るのは不可能だ。客観視して考えた結果と実際に第三者がどう思ってるかは一致しない。一致するようにするやり方だって分からない。その方法論なんて誰も知らない。

他にも色々反論がある。客観視は量産型でくだらない結論を導くだけ。客観視は、、、。きりがないのでここまでにする。

まとめ

主観を掘り下げるほうが客観視より重要だと僕は思う。読んでくれてありがとうございました。

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