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「感謝しかない」の気持ち悪さ

「感謝しかない」という表現が苦手です。「感謝しかないわけないだろ」と思ってしまいます。ネコ型ロボットでも泣き笑いするこの時代に、その手の構文を使う人が多くないですか。僕の偏見では、スクールカーストの上位で生きてきた某ジャイアンのような人たちのご活用が多いように思います。偏見です。

なんで苦手かというと「この人、自分の気持ちを言葉にするのを放棄したな」と思ってしまうからです。色んな気持ちが心に存在する中で、ぱっと見、いちばん割合が大きいように見える「感謝」の感情を拾い上げ、あたかもそれが心の中を100%占めているような顔をして「感謝しかないっす、、うぅ、、泣」と訴えかけてきます。「嘘をつくんじゃあないよ」と思ってしまいます。僕の性格が悪いだけですか。

「感謝しかない」って「感謝のみである」ということです。本当にそこにあるのは「感謝」のみなのでしょうか。「感謝しかない」と伝える相手ならば、それ相応の付き合いがあったことでしょう。その付き合いの中では、嬉しかったこと、楽しかったことはもちろん、悲しかったこと、腹が立ったこともあったはずです。全てをひっくるめて「感謝」の気持ちだと思うのですが、その「感謝」の気持ちを伝える言葉は「感謝しかない」で良いのでしょうか。感謝の気持ちがある人に対して、もうちょっと自分の気持ちを丁寧に言葉にしなよ、と思ってしまいます。感謝してる割に、相手に対する敬意を感じられない表現なんですよね。

そもそも「感謝」というポジティブな気持ちを「〜しかない」というネガティブな構文を用いて表現する必要があるのでしょうか。そのシステムだと「いつも元気しかない」とかもまかり通ってしまいます。急にアホっぽい。
「少し大げさに表現してるだけ」と言う人もいるかもしれません。そしたらせめて大げさに表現してる感を出してほしいです。もっとヘラヘラしてよ。枕に必ず「シクヨロで〜す☆」とか付けてくれよ。泣きながら言うとか絶対やめてくれよ。

本来感情とは、もっとマーブルになっているはずです。喜怒哀楽のほか、言葉にならない思いがじっくりことことカレーのように溶け合っているはずです。それをあたかも単一の感情「しかない」ように表現することは、見聞きしていてとても怖いです。何かと何かが共存したり、矛盾したりすることを許さない社会が訪れる予兆のような気がして。そんな世の中、面白くないじゃない。

僕はいつまでも、こくまろとジャワカレーを半分ずつ一緒の鍋に入れたい。その方が美味しいんだもの。

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