外国人とのつきあいには競争がない?

先日、10年ぶりに学生時代の台湾人の友人に会いました。最初に会ったのは、私が21歳の時、アメリカの大学の寮でした。彼女を友達に選んだことははっきり覚えていて、すごく気安かったからです。それは10年間ブランクがあったり、けんかをしたいきさつがあっても、また会ったらやっぱり、気安くて、気楽で、なんか、プライドとか見栄とかに縛られず、自分の道を進んで、日本人の伴侶を見つけ、子供を育てていました。国際結婚して、外国で子供育てて、仕事もしているのですが、なんか特別感がなくてすっごく自然体なんですよ。全然アグレッシブじゃないです。そこが彼女の本当に素晴らしいところで、でもちゃんと異国で暮らすスキルはあって「台湾人じゃなくてもいい人なら友人になることが、サバイバルには必要だ」とか言ってますし、彼女いわく、日本で英語で話していると日本人の見方は優しいが、中国語で話していると、すごくきつい見方をされる、というように、文化的な苦労、日本語の観点からの苦労など、困難はあるようです。私はいくつか外国語を話すので、外国人とのつかいの幅は結構広い方だと思います。仕事でも、プライベートでも、いろんな人に会いました。それで言葉の壁がないときにはなんでそのつきあいがこれまで割合と楽しめて、楽にできていたのかと考えると、競争意識が働かないからなんじゃないかと思うのです。いわゆる異文化コミュニケーションというもので、自分の気づいていなかった情報を相手からもらうことを楽しめれば、つきあいはうまくいくものです。それは多様な価値観がお互いにあるという前提があって、その上での人付き合いの発見を喜ぶマインドなんだと思います。もちろん、共通点とか共感は大事なんですが、バックグラウンドが同じ、ということはまずないです。気楽に長く楽しく付き合える人ってどんな人だろうとこれまでの経験を振り返ったら、そんな結論になりました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?