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踏み入れる。(まめな滞在記 一)

2022年7月31日
今、僕は瀬戸内に浮かぶ一つの島にいる。
朝は、たのしくおしゃべりをする鳥の声で起き、
昼は、いろんな虫たちの合唱を聞き、
夜は、空に現れる芸術作品と共に一夜を過ごす。

こんな様々な生き物の営みと共に過ごす一日一日は、非常に自分自身の社会との関わりをと整えてくれる。
これこそ、本来の人間らしい生き方ではないかと思う。

一日一日、一分一秒がしなやかに流れ続ける。
その流れを感じるという事ができることは幸せ。


今日から、自分は書き続けることを日課としようと思う。
なにを書くかは、今日の気持ちが流れるかどうか。それだけ。
ということで今日は、この地に来て感じたことを書き残そうと思う。

昨日書いた文字が後ろから背中を押してくれる感じがすごくいい。なんかいい。




7月19日
僕は、広島駅を出て、バスに乗り込む。
ゆらゆらと二時間くらいゆりかごのように揺れ続け、この地に着いた。
この地に来た理由は、自分自身の今に向き合うため。
自分自身が今、いる場所でどう生きたいかを考えたときに、ここでの取り組みが自分自身の心を動かしてくれたからだ。

自分は、直感を大事にしているからこそその直感をもとにこの地に来た。
一般社団法人まめな。それは、広島県の呉市の奥の奥に浮かぶ大崎下島の久比という場所にある。

自分は、都市に生きる人たちを見て、いつもこう思っていた。
「なぜ、そんな生き焦っているんだろう。」
生きる理由なんて、凡人の僕にはよくわからないけど、これからの生き方を表現している場所がこの「まめな」ではないかと思ってきた。

「くらしを、自分たちの手に取り戻す。」


働くことだけではない、私たちが考えるべきは暮らしである。
その当たり前、日常をもっと見つめなおすことが私たちにとって大切だと思った。

僕自身は、この言葉を見たときに鳥肌が立った。好きだと思った。


ここである人に言われた言葉を思い出した。

「島に行ってくるといいと思うよ。」


これは、福井県熊川宿で"文化資源をいかし、地域経済の循環をつくる"という姿勢を社会に示し、様々な事業を手掛ける時岡壮太さんから言っていただいた言葉である。僕の背中を押してくれた人が身近にいるということ、それに幸せを感じた。


そう感じながら、僕は、まめなの人たちと話す。この地に足を入れていく。


雑巾がけをした後の床。すごくうれしそう。あったかい。


また、続きを書こうとおもいます。
そんな一日でした。



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