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9月26日『旅情とホームシックと一人旅』

 近頃は暇さえあれば旅や旅行のことしか考えていない。Googleマップで適当に日本各地の街を眺めては、面白そうな場所や店をブックマークする。見知らぬ遠い町、そこへ繋がる鉄道はどこから伸びてきていてるのか、今私が住んでいる場所からどれくらいの時間がかかるか。そんなことをなんとなく調べたりする。
 この空想上の旅程を組んだりする行為を何と言うか。「紙上旅行」という言葉を聞いたことがあるだろうか。説明するのは面倒くさいので省略するが、読んで字のごとくである。Googleマップの上に組み上げた紙上旅行の旅程を実行に移すことが、私の趣味だ。

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 『(旅は、)生活地との距離感があれば、日ごろ定着していた場所への郷愁がわき、同時にそれが旅情となる』と、今日読んだ旅本の中に書いてあった。思い返してみれば、今まで何度か旅行に行った時、ふと家族や友達、そして故郷のことを思い出す瞬間が何度かあった。それは旅行先で夜景や人の往来を見たときにふと脳裏によぎる言語化できない感覚。人というのはすぐ、何かに投影したがる。とりわけ旅行時においてはそれが顕著であるような気がする。
 一人暮らしの生活の中でふと感じる、故郷への郷愁、父さんが残した熱い思い、母さんが残したあの眼差しは果たして「旅情」なのか、それとも単なる「ホームシック」なのか。これが意外と判別し難い。
 ユニコーンの代表曲「大迷惑」の中では、単身赴任のことを『3年2ヶ月のいわゆる一人旅』と歌っていることから、一人暮らしは旅と言っても過言ではない。それも一人旅だ。過酷な一人旅。

 どんなに便利で発展した素晴らしい街だとしても、一人暮らしをしている以上はやはり故郷が恋しいと思う。良栄丸の船員も特攻隊の兵士も、やはり最期の瞬間には故郷の地を踏むことを望んでいた。かくいう私もそうである。こんな田舎町に幽閉されていては無理もない。
 
 私の故郷は治安が悪くて、服屋がなくて、片田舎なのに交通量はやたら多くて、駅は遠い。しかし何より枕の安心感が違う。嗚呼、枕の安堵よ。この感情はさて「旅情」か、「ホームシック」か?
 

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