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無欲であれ

 欲しいものがない、やりたいことがない。

 そういう若者ははたしてタイマンなのだろうか。娯楽が多様化しすぎた今、逆に無欲がブームになったっていいはずである。勝つまで欲しがらないその姿勢は、かつてお前たちが賛美した"うつくしい”日本人の理想像ではないのかと問いたい

 若者はけっして"無欲"ではない。確かに野心的ではないが、決して無欲ではない。なんなら、アンタら世代よりよっぽど論理的であるし、水面下で虎視眈々と牙を研いでいる。そういう意味でも今の若者は「欲しがりません勝つまでは」の本来の意味に沿っている。

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 アンタら世代の言う"無欲な若者"は、アンタらが若い頃の自分と異なった趣味嗜好を持つ若者のことを言うんだろうどうせ。幼少期に野球をやっていりゃ立派な幼少期か、ゴルフを趣味にすりゃ立派な社会人かえ。アンタらのお目に適う若者じゃなくて誠にスマンね。そんな固定観念を念頭に"無欲"のレッテルを貼られるのはちゃんちゃらオカシイね。

 そもそも"体を動かすことこそが美徳"という殷墟のごとく古代遺跡のような前時代の考え方にも反吐が出る。読書や書き物はマジメちゃんのやることってか、そんなテメェにアッツアツの火炎瓶をお見舞いしてやりたい。焚書坑儒なんぞクソくらえ、尖らせたペンは剣にも突き刺さる。どれだけ体を鍛えたってアタマが悪けりゃすぐに死ぬさ。

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 無欲に見える若者っていうのは、無欲であると思い込んでいる一面しか見ていないからそう見えるだけ。若者は常に美味い飯を求めているし、タバコも酒も好きだし、セックスもする。自分より2回りも3回りも年上の人間なんかとは比べモンにならないくらい莫大な娯楽にまみれてこの腐った情報化社会を生きてる。その反面、"欲"というものの実体を露わにすることがたまらなく恥ずかしいというかダサいと思っている。常に一歩引いて、あるいは完全に壁の後ろに引きこもって、そして自分がしがみつきたいと思える場所を探している。

 ただそんな一面を、決して他者には見せないだけ。意欲をチラッと見せてしまうと、その意欲を実体化させることを求められる。実体化させた挙句、さらに成果までもが求められる。成果の結実を期待できない欲に価値はないのか…?

 無欲なほうがいい、人から無欲だと思われるくらいが丁度いい。欲にあふれたこの心をひた隠しにして、今は無欲を装っておこう。だが決して、人生を彩るための"欲"を捨ててはいけない。

 私たちは欲望と希望に満ちた炸裂弾、まだまだお前たちよりもずっと長く生きていかなければならないのだから。

 

 

 

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