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揺れて思い出す

 揺られたくなってきた。ときどき思う。「ワンマン」と表示された1両だけのディーゼルカーに乗って、終着駅まで揺られたい。あるいは、寂れた地方の港から出ている船に乗って、名前も歴史も知らない島まで揺られたい。「揺られたい」にもたくさんある。色あせつつある少し昔のことを、ぼんやり思い出すための"揺れ"が欲しい。

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 電車の中で一瞬だけお茶を飲むこともはばかられる。腕と腕、脚と脚が絡みつくこの空間で、一瞬マスクをはずすだけでもその心苦しさにウンザリする。息が詰まる、無機質で単調な電車の揺れが、次の駅までの時間をいたずらに引き延ばしていくような感覚。

 三月の初めごろに、中国地方へと旅に出た。山と山の間を縫うように走るディーゼル車に揺られたくなったのだ。友人とふたり、冬の幕切れ、春を思い出すために私たちは揺られに行った。

 都会を駆け抜ける電車の揺れと、ローカル線をマイペースに走る汽車の揺れは、それぞれ異なった感情の放物線を描く。無機質な鉄の塊を見て思い出すことといえば、大抵は今日あった嫌なことであったり、明日の仕事のことであったり、喫緊の暗い話題ばかり。

 対して、開放的な農村地をよろめきながら進むローカル線の電車に乗って、同じ速度かそれより少し早い速度で並走する軽自動車を眺めていると、今日の夜ご飯とか、隣の友人にかける何気ない一言とか、そんなことをボーっと考えているのだ。次第に軽自動車はスピードを上げて、山の中へと消えていく。遠く山の麓に見えるあばら屋を見て、私はこの先どうやって生きていこうか、と考えてみたりする。

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  優しくて温かい"揺れ"が、明日にはもう忘れてしまうようなことを思い出させてくれる。

 明日には忘れてしまうようなことは、今日に必要なこと。

 

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