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崩壊?6年生を担任、行事をどう進めていくか

 その学校には、6年生がマーチングを披露するという大きな行事があった。5年生後半から練習を始め、次の学年に引き継ぐのだ。


つなぐものがある学校

 6年生になって2クラスとも担任が変わった。授業が成り立たない、ガムを噛んでいる、脱走する、等いろいろなことが5年後半で起きていた。積極的に引き受けたい訳ではない。でも、過去に担任したことがあり、可愛いところも知っている2人の方が、潰れる確率は低いと思って引き受けた。いわゆる発達障害と診断されている児童の非常に多い学年だった。30人もいないクラスで個別支援シートを片手の指でおさまらないほど書いていた。
 5年生後半の練習で、練習を脱走するメンバーがいて困っている話は知っていた。初回練習を見た感想は、「うわー…どうする?」だ。例年だったら、ここまでにできているはずのことは、一部の子しかできていない。でも、半分以上の子は、頑張ろうという気が元々はあると思った。

 代々つなぐものがある学校というのは、一人の教員ではできない力をもっている。子供たち自身が5年間見てきているから、最終的に、皆の前で披露することは分かっていて、保護者、兄弟姉妹などからの期待も知っている。本番だけは、なんとかしたいという気持ちがあるのだ。
 もちろん、本番だけいきなりできるなんてことはない。それでも、本番はやってくる。少しでも良くするために、何ができるかの半年のミッションだった。

保護者と

 この年の保護者には今でも感謝が一番強い。本当に有り難かった。それまでも、色々あったから大変なのは分かっていて、協力的だった。(綺麗事でなく、これ以上学校を責めてもどうしようもできないだろうと我慢してくれていた人も含めて。)世の中の色々なニュースを知っている上では、奇跡と言えるくらいに。
 だから、なんとか卒業まで、できるだけ良さを発揮できるようにしたいことと、こちらも必死になれた。保護者も、大変なときは、練習やそれ以外の授業を見にきてくれたり、すぐにできなくても長い目で見守ってくれたりした。

周りの子と

 本当に色々あったけど、一生懸命にやりたい子もいる学年だった。それまで、我慢してきたその子たちは、頑張れる場を得ると一生懸命に取り組んでいた。そういう子たちを見ることで、心が救われた。こちらも頑張るエネルギーをもらえた。大変なときも、いいことを見る目を忘れてはいけないという、6年前にメンタルで苦しんだ時の学びがここで生きた。そうやって見ると、苦しい中にも笑える場面だってあった。笑い話にする、武勇伝?にする、そんな気持ちで過ごすと、苦しい中でも少しは気が楽になった。私が笑えば、クラスの雰囲気も明るくなる。満足はさせられなかったから申し訳ないけど、感謝している。

脱走する子と

 教員は、3つに分かれて指導する。金管(音楽の先生)、旗(隣のクラスの先生)、打楽器(私)と担当を分けた。
 真剣にやれない子はたくさんいたけど、脱走する子は、主に2人。
 一人は途中で他にたまたま転出で空きの出た旗に移動を認めた。本人がそこならやると言ったから。
 もう一人は、打楽器パートにいた。移りたいものもない、ただ面倒くさい・やりたくないという感じだった。その子の場合、リズム感が悪くないのは分かっていた。パートもそこまで難しくはないところだった。同じパートのもう一人の子はある程度進められていた。それならば、本番に曲をしっかり覚えていて、どこで入るか分かっていれば、なんとかなる。だから、耳からのインプットだけは、欠かしたくなかった。なんとなく、練習用のCDをかけるのを頼んでみた。やってくれた。これだけが頼みの綱だ。いろいろな曲を全部入れておいて、「○○かけて」と毎回頼む。それをベースに皆が打楽器を合わせていくのだ。曲は、刷り込まれていくはず。あとは、全体指導しつつ、ときどき、彼の背中や肩にさりげなく彼のパートのリズムをとる。

反抗挑戦性障害にしない

 「反抗挑戦性障害」というのを聞いたことがあるだろうか。私は、親や教員との相性が悪くて、不適切な(といっても悪気ではなくてその子にとって)接し方が重なった結果ひどくなるのを実際に見てきたことが何度かある。
 この学年をもったときも、すでにそうなりかけていると感じる子が何人かいた。叱らなければいけないことをしているのに、下手に叱ると余計悪い方向に向かう。どう伝えたらいいのか、いつも悩み悩みやっていた。この指導でも、怒って、彼がやるわけではないことは分かっていた。脱走するのを追いかけても、単なる追いかけっこになる。
 だから、私は昨年の様子を本人に確認した上で、彼に最初の方で伝えていた。
「追いかけないよ。みんなの時間を奪ってやることではないと思うから。なるべく見えるところにいて。探しにいかなくて済むように。どうしても長い時間どこかへ行くときは、私か誰かに言ってからにして。心配だから。」校内の先生にも伝えておいた。
 結果として、ウロウロはしていたが、徐々に中にいる時間が増えた。そして、だいぶ経ったあるとき、バチを持っていた。外に出るときに楽器を持っていた。
本番はそんなことがあったことも素知らぬ顔で演奏していた。

最後に

 努力した人とそうでない人一緒でいいのかという考えもある。任意参加の活動ならそうかもしれない。でも、私は好むと好まざるとそこにいるという公教育で働いている。他人を傷つけたり、邪魔したりする行為は明らかにその場でしっかりと指導するが、一生懸命になるという能動的な部分は指導で簡単に変えることはできないと思っている。本人たちがやりたいと思うように工夫すること、やって良かったと思う活動を計画すること、と地道にやっていくしかない。この年は、元々のメンバーを考えたら、もっとできた学年だったと思う。でも、全員でできた。あの年、私たちができたのはそこまでだった。




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