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(自称)この1年で宇宙一成長した高校生

 ずーっと前の記事まで遡ってもらえると分かると思いますが、1年前の今日は、高専での終業式でした。最後にクラスのみんなに揃って会える日でした。そこで、3月いっぱいで転校する私が何をしたのかというと、みんなの前で、自分で書いた作文を、自分で読んだんですね。

 私を全く知らない人からしたら、「それだけ?」だと思うし、昔の私の知人からしたら、「そんなこと、できるわけがない。誰かに代わりに読んでもらったんでしょ?」だと思います。でも、私には、場面緘黙症という症状があって、学校では全く話せなかったということを知ってもらって、それを高専で過ごした1年間で乗り越えたということも知ってもらうと、これが事実ですごいことなんだと分かると思います。

 まずは、場面緘黙症について簡単に書いておきます。特定の場所や特定の人に対して、声が出なくなる不安障害だと言われています。例えば私は、幼稚園と学校と習い事と、ほぼそこでしか会わないような人に対して話せませんでした。今思いついただけでもこんなに話せない対象がいたので、それは大変だし、しんどいです。話したいという気持ちは、ずっとあったので、ギャップで余計にしんどかったと思います。1年前までは。

 昨年度の11月に、高専から通信制高校に転校することと、最後に自分で作文を読むことを決めて、谷あり谷あり(当時の担任の先生の言葉より)の日々を過ごして、でも一歩ずつ一歩ずつ、できることが増えていくのが嬉しかったです。リコーダーのおかげで1文字ずつ作文が読めて、練習するうちに単語を繋げて読めるようになって、先生からの質問に声で答えられるようになって。1年以上前の出来事ですが、今でも鮮明に思い出せます。先生方には本当にお世話になりました。何度も無理なお願いを聞いてもらったと思うし、何度もいろんな先生に、いろんな話を聞いてもらいました。恵まれていたな、というのは、転校する直前ぐらいから分かり始めましたが、本当に、感謝してもし切れません。

 そして終業式の当日です。4月からはいない私には、参加する必要のない時間があったので、その時間で実験の先生のお手伝いをしました。次の1年生のために、実験器具が揃っているか確認するお手伝いでした。そのあと、不安で仕方なかったので、先生と技術職員さん2人、合計3人に作文の練習をさせてもらって、聞こえるまでまた何度もはじめの部分を読みました。終わったあと、技術職員さんと少し話して、実験の先生に、「じゃ、頑張っといで」と階段で別れ際に言われて、実感はあったけど、勇気がなかった私に、ようやく一握りの勇気が生まれました。

 そのあと担任の先生に会いに行って、「緊張してる?」と聞かれてなぜか首を傾げたら、「心がざわざわしてる?」と聞いてくれて、それではうなずけました。そんな私に、「それは緊張してるって言うんだよ」と笑いながら言ってくれた先生を見て、私も笑いました。「教室行っておいで、先生もあとで行きます」と言われたので、研究室をあとにして、いよいよ本番か、と思いました。ここから高専では、一切筆談ノートを使っていません。

 いつもは入るのに時間がかかった教室なのに、この日だけは普通に入れました。座っていると、唯一私のこれからのことを明かしている友達が、「頑張れよ」と言ってくれて、心をこめてうなずきました。頓服も飲みました。

 担任の先生が入ってきて、一瞬私の方を見てくれたような気がしました。「これで1年も終わりですね…」とかいう話は、全く覚えていません。そして、「今年1年一緒に過ごした、(私)から話があります」と、先生が私に繋いで、教卓の前に立ったとき、これまでの努力が全部勇気に変わりました。3分で読み始めると決めていましたが、声が出てくるまでの体感は3分でした。そう、私はこの大きな挑戦を、成功させたのです。声は小さくて届かなかったかもしれませんが、思いは届きました。最後に、誰からともなく拍手をもらって、気持ちが温かくなって、先生に渡していたカメラを受け取って、自分の席に戻りました。先生が、これまでの私の努力をみんなに話してくれて、その日は解散になりました。

 そのあと、友達が別々にたくさん話しかけてくれて、誰もいなくなってから教室を出ると、担任の先生と他に4人の先生が階段の前で待ってくれていました。軽く「お疲れー」とか言われて、いつものハイタッチはないの?!と思って手を出したら、笑いながら応えてくれました。担任の先生は「あとで研究室来てね」と言って戻って、私は少し階段の前で4人の先生と話すと、久しぶりの先生もいたので、私が軽く受け答えをするのを見てびっくりしていました。いつも私に雑用を任せてくれていた先生に、いつものように「ちょっとあとで手伝ってほしいことがあるから、お昼ないと思うし無理せんでいいけど、時間あったらまた来て」と言われたのでまずは担任の先生に会いに行くことにしました。

 「一応声は聞こえてたから、大丈夫だと思うよ」と言ってくれて、「泣いてます?」と聞いたら「先生が泣いてどうする」と返されたので、2人で笑いました。「最後に言ったけど、(私)が読めたこともだし、クラスのみんながそんな子を普通に受け入れてくれたことが、担任として嬉しいな」と言っていて、いい先生と巡り合ったなと思いました。

 そして、雑用をしに、その先生のところに行って、いつものように備品の組み立てをしました。あとは技術職員さんと実験の先生に報告もしたような記憶があります。多分15時ぐらいに学校を出ました。筆談ノートを使っていないので、どういう動きをしたかの記録が全くないです。忘れてしまったことは忘れてしまっているし、このまま思い出せないかもしれません。でも、本当に大切な思い出はちゃんと覚えています。それだけで充分なんだと思います。

 (その日寝る前に書いた記事です。ほぼ寝ながら書いたので、あまり参考にならないと思いましたが、一応載せておきます。)

 あれから1年、私は若葉のように成長しました。もう、ほとんどのところで「喋れない子」ではないです(まだ下手ではあります)。生徒会に入り、英検に受かり、話せる人をぐんと増やしました。1年前の今日、失敗していたら、ここまで成長できていないと思います。そして成功できたのは支えてくれた先生方、友達がいたからこそだと思います。大好きです。本当に感謝です。正直この1年で、見える世界ががらっと変わりました。いろいろと、悔しい思いや悲しい思いもしましたが、今年も「楽しかった」という気持ちで終わらせられたらいいなと思います。

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