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ひまわりの種 1

 話し相手は、いつも先生だった。

 関西弁をどうやって使ったらいいのか分からなくなるから、丁寧語で話せる目上の人の方が話しやすかった。

 いつ先生を好きになったのかは分からない。本当に自然と、私は先生に近づくようになっていた。

 私は学校に行くと話せない。先生とも、交換日記で話すか、先生が一方的に何か言っているのを聞いていただけ。交換日記といっても、ありふれたものではない。クイズを出したり、冗談を書いたり、返ってくるのが楽しみで、すぐ返事を開いてしまう。そのときの先生の反応も、合わせて楽しみだった。先生は、毎週1回か2回、私とだけの特別な時間を作ってくれていた。

 みんなは「先生なんて嫌いだ」と言っていた。私も、心のどこかではそう思っていたと思う。私は子供でいたかった。私はそんな先生を嫌うことができるまで、みんなのように大人になれていなかったのだと、今となっては思う。

 家に帰ると、普通の関西弁で話すことができた。交換日記に書くような、面白い冗談も声に出して言えるし、歌も歌えるし、笑い声も出せた。家族とは話せるのに、なぜか学校にいるときだけ話せなくなっていた。理由は今でも分からない。

 毎日、いじめられるんじゃないかと気が気でなかった。いや、本当はいじめられていたんだと思う。何か言われても言い返せない。学校に行くと動きが鈍くなる。何でも話せる友達はいなかった。男子は、教室の前で待ち伏せして私が教室に入るのを邪魔してきていたし、陰で私を笑い話にしていた。女子は男子のように、はっきり分かることはしていなかったが、きっと裏で話を合わせて、私には極力話しかけないようにしていたのだろう。そう思うくらい、学校が苦痛でしかなかった。助けてくれない担任の先生も大嫌いだった。自分で抜いたり、自然に抜けたりして、髪の毛も減っていた。枝毛は増えていた。


続く

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