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人権侵害・名誉棄損・侮辱罪の被害者 後見人制度と高齢者虐待防止法の真実

おそらく、加害者は、私を名誉棄損で訴えるでしょう。
私は、世論に、訴えています。

公共の利害に関する内容かつ公益を図る目的の場合は、内容が真実である場合又は真実だと信じてもやむをえない状況や理由、つまり「真実相当性(真実性)」があれば悪意はないとし、違法性は阻却されるという例外規定が設けられているという、正当な理由があります。

私と母は、黒石市の包括支援センターとあおい森ねっとによって、拉致監禁され、数カ月間会うことが出来ず、結果、拉致された母親は、令和6年8月27日に、介護老人保健施設ヴィラ弘前で、午前9時46分に、亡くなりました。

母が亡くなり、役所に届いた死亡診断書で、初めて、母親が監禁されていた場所を、特定できました。

人権侵害とは

  • 強制強要

  • 名誉・信用を傷つけられた

  • いわれもない差別を受けた

  • いじめ

私は、約20年間、痴呆症の母親を、1人で介護してきました。
数年前から、包括支援センターに協力も、お願いしてたのですが、全く何もしてくれなかったという事実もあります。

痴呆症の患者がいる家庭では、理解いただけると思いますが、痴呆症になると、子供のようになり、あらゆる想定外の行動を取り始めます。
そして、悪化すると、身体機能が、衰えるため、転倒を繰り返したり、体調を、壊すという事が、発生します。

そして、今年の3月13日の早朝、母親の意識が低下していたので、いつものように救急車を手配しました。
しかし、いつもなら、黒石市内の市立病院に、搬送されるのですが、病院で急患が、重なっていたため、他の病院を探すことになり、救急隊員が「市外の病院になるが、いいですか?」と尋ねてきたので、私は「どこでもいいから搬送してほしい」と回答し、国立病院機構 弘前総合医療センターに搬送された。そして、1時間ほどで、検査が終わり、一時回復したとして、帰ることになり、当日、石沢内科胃腸科で、検査する予定だったので、私は母親を、玄関からタクシーまで、抱きかかえて、タクシーに乗り病院に向かった

病院に付くと、待合室は、とても暖かく、他の患者もおり、その付き添いの人が「午後の診断まで、時間があるから買い物に行く」と言って出て行ったのを見た私は、いつも母が救急車で搬送された時は、タクシーに酔うので、帰りは、自宅まで私が自家用車を取りに行き迎えに行って帰宅していたので、待合室にいた患者に、母を託して、自宅に自家用車を取りに行った。

しかし、約1時間かかり、また転んで転倒したアザが複数あったため、病院側が、置き去りと判断して、警察に通報してしまい、虐待の疑いを掛けられてしまった。
その後、ケアマネージャーや、施設や病院に、確認したら、転倒によるアザだと証明できるので、確認してほしいとして、確認した結果、虐待の疑いははれ、警察は捜査後、帰って行った。

しかし、その後、黒石市の包括支援センター職員が二人現れ「大変そうだから、数日間だけ預かる」と言ったので、約2週間、夜中に異常行動をするため、床に寝てほとんど寝ていなかった私は、快く彼らに預けてしまった。

それが、全ての誤りの始まりであった。

数日絶っても彼らから連絡が無く、私から連絡すると、「今は居場所を教えられない」という回答があった。そして、何度か話し合ったが、一向に居場所を教えてもらえず、数日後に、高齢者虐待法で動いていると聞かされた。
身に覚えのない私は、ケアマネージャーや病院に尋ねるように言ったが、彼らは調査中と言うだけで、何もしていないようだった。
警察の場合は、数時間捜査して、直ぐに虐待の疑惑を解いたにもかかわらず

そして、3月29日に事件は発生した。
母親が彼らに拉致されていら、16日経過していただけだが、母親は既に意思表示できないまでに病状が悪化し、私を把握していなかった。
本来なら弘前大学病院に、3月14日に、私が連れて行き検査する予定で、1月14日までは、自分でトイレに行き、着替えもでき、風呂にも1人で入り、雪かきするぐらい達者で、近所の人と、普通に会話もしていたにも関わらず。
そして私は、母親の車椅子を掴みながら、直ぐに母親が何処に現在居るのか尋ねたが、彼らは非情にも、教えてくれなかった。

教えてくれないため、私は、「教えてくれないのなら、そこの窓から飛ぶ」と言うと、隣にいた警察官が、私を自殺するのなら保護しますと言って、私を確保し、私は警察署に連行され、精神科の医師による検査を受けることになった。そして、二人目の医師による診察時、警察官に誘導尋問され、結果、措置入院という国連が人権侵害として、国に対して廃止勧告している制度が適用され、藤代健生病院に強制入院することになった。
病院に到着する直ぐ院長先生に「母親の腕を離さなかったんだって」と言われ、私は「事実とは違う、私は車いすを掴んでいただけだ」と主張するが、そののまま牢屋のような隔離室に監禁されてしまった。

しかし、次の日「院長先生と話がしたい」と、お願いすると、海外出張に行く予定がある医院長が、わざわざ私の所に来て、私と話し、私を異常者ではないと判断して、直ぐに、隔離室から出してくれた。その後も、薬の投与も注射も無く、入院予定よりも早く退院させ、また法務局による監視や、通院の指示も無く、病院を出るときには「生徒会の会長のようだった、他の患者の面倒も見てくれて、ありがとう」と評価され退院している。

そして退院後、私は包括支援センターに、連絡するのだが、既に後見人が母親に付いているという衝撃的な事実を聞かされた。
後見人制度は、強制入院と同じく、国連が政府に対して廃止勧告している人権侵害である。そのことを知っているため、私は、4月末日に、後見人を付けないように要請していたにも拘らず、黒石市長名義で、5月15日、裁判所に対して後見人を依頼していた。これが地獄の始まりである。

そもそも3月13日に母親を「数日間預かる」として拉致し、2カ月も経過しているのに、私に対する根拠のない虐待疑惑を解かず、勝手に財産の無い母親に、全国で被害者の会が結成されている後見人を付けたのである。

そして彼らは、私に根拠がないにも関わらず虐待している子供で、また強制入院した異常者と、母親が居る施設や裁判所などに通報しているため、私の信用は傷つき、母親が亡くなった後に判明した施設に連絡しても、母親がどのような生活をして、どのようにして亡くなったか一切教えてもらえず、また2回電話しただけで、しつこい、異常だと、電話を切られてしまった。
また裁判所も、母親の生存時、私に母親の居場所を明かすことは無かった。
これは完全に彼らによる名誉棄損・侮辱罪であり、完全な私と、私に会いたかった母親に対する人権侵害である。

後見人は、はじめから「居場所は、教えない。知りたければタクシー代を出せ、出さなければ母親の口座から取る」と脅し、また「後見人として認めなければ、母親が危篤でも教えない」と言い、それを実行した。
ちなみに、市役所や精神病院の医院長先生は「危篤になったら直ぐに、教えて合わせる」と言っていた・・・

私は当初から、危険な状態と後見人から知らされていたため、直ぐに居場所を教え、後見人を辞任して、私を後任にするように要請していた。

しかし、一度は辞任すると約束してくれたが、数日後には「する気はない」と言われ、またケアマネージャーが「息子は、母親を溺愛し、母親は、最高の息子」と語っていた事を市役所から聞かされていたにも拘らず事実を無視して、後見人は「病院に、親を置き去りにする奴が溺愛かよ」などと、私を侮辱した。

その後も私は、再三、自転車で50分かけて、家庭裁判所に通い嘆願するが裁判官は、後見人と市役所から虐待する息子で異常者と知らされていたらしく、母親の場所を教えず、また後見人は、市役所が仲介しても、母親の場所を教えるどころか、完全に私を無視した。
そもそも役所が、私を事実無根にも拘らず、虐待する息子で異常者として、裁判所に後見人を要請し、施設に対しても同様の報告をしている。

完全に、私と母に対する虐待・いじめ・名誉棄損・侮辱・人権侵害である。

後見人制度と高齢者虐待防止法の闇であり、結果、55年間仲良く暮らしてきた、母一人子一人の家族は、無残にも引き裂かれ、崩壊した。

人生の最後が、このようになった母を哀れと思い、私は、この経験を一生背負う事になる。

最後、一目でいいから生きている母親を見たかった。母親の最期を看取り
「お母さん、今まで、生きてくれてありがとう」と言って、見送りたかった

しかし、それは一生努力しても、出来なくなってしまった・・・・・




上記と同様なのですが、私と母の場合は、一時的だは無く、母親が亡くなるまで続きました。

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