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ポインセチアは「希望の星」

クリスマスからさかのぼる4週間前の日曜日からドイツではアドベントと呼ばれる待降節が始まります。キリスト誕生までの約1カ月にお店で見かけるのが「アドベントの花」とも「クリスマスの星」とも呼ばれるポインセチアの花。

 その名は初代メキシコ大使で1828年にこの植物を北米に持ち込んだ米国のジョエル・ロバーツ・ポインセット(1779‐1851)にちなんでいます。

赤いのは苞と呼ばれる葉。中の黄色いのが花

11月から2月までが花の時期ですが、この植物のチャームポイントはもちろんカラフルな苞にあります。定番の赤はもちろん白、黄色、ピンク、あるいは斑入りといろんな色が出そろいます。

 冬に登場するので寒さに強いのかと思われるでしょうが、故郷はメキシコやグアテマラといった中米の亜熱帯地方。だから寒風吹きすさぶ花屋の軒先なんてもってのほか、室内であっても隙間風が吹くような場所に置かれたら葉を落として、挙句の果ては枯れてしまったりもすることも。

そんな寒がり屋さんがなぜクリスマスの星になったのか? ドイツ出身の園芸一家が深くかかわる事の次第を紹介しましょう。


 ドイツ東部マグデブルク市の教師、アルバート・エッケ氏が妻と4人の子供とともに米国に移住したのは1902年のこと。経済的な問題があって一旦ドイツに戻ったものの1906年には舞い戻ってロサンゼルス州の今のハリウッド にあたる地区に居を構えました。

果物や野菜などの生産をはじめたのですが、アルバートの関心は農作物よりも植物で、花卉栽培にも乗り出し、やがて息子のパウルとともに周辺で大きく野生化したポインセチアに目をつけたのです。

 父と息子はクリスマス前の時期に真っ赤になる苞を見て、売り物になると確信して畑で栽培し、クリスマスシーズンに切り花として道端で売るようになりました。

苞の赤さは後に流されるキリストの血を、緑色の葉は希望を表すまさにクリスマスにうってつけの植物。目の付け所が良かったのですね。

ハイデルベルク旧市街の教会、TeDrei JungeKirche

 そして父から事業を引き継いだパウルはポインセチアをクリスマスのシンボルとして北米にアピールしようと「クリスマスの星」と名付けて雑誌や新聞に売りこんだのです。キリストの誕生を告げ、東方の3博士をベツレヘムに導いた星。ポインセチアの広がる苞の形と星をつなげるという戦略は見事に当たりました。

 そしてさらにビジネスを拡大させたのはパウルの息子にあたるパウル・ジュニア(1925―2002)です。品種改良を重ねて1950年代にはポインセチアを室内用の鉢植えとして売り出すことに成功。さらにはカラーテレビ普及に乗じてクリスマスシーズンのテレビ番組にデコレーションとしてポインセチアを無償で譲渡し、視聴者にポインセチアをクリスマスの花として浸透させていったのです。

色が勝負のポインセチア。白黒テレビじゃ意味がない
クリスマスの店Käthe Wolfahrt 。後ろにかかる飾りのモチーフはポインセチア

 そしてアメリカから全世界にポインセチアがクリスマスの植物として広がっていきました。ドイツのクリスマス文化に溶け込んでいったのが比較的新しいので、どこかまだハイカラな香りを感じるのは私だけでしょうか?

 エック家が築いた園芸会社はグローバル化の波にもまれて2012年に大手種苗会社の傘下に入ってその名は残っていません。けれども故郷、マグデブルク市には初代パウルの功績を称えてパウル・エック通りがあります。
 
 
 ドイツ国内で栽培される鉢物数では不動のナンバー1を誇っているポインセチアですが、今年はエネルギー価格の高騰で、園芸農家は栽培を見合わせたり、数を減らして温室の暖房費を減らす動きがみられます。お値段も例年よりちょっとお高め。食料だけでなく花もか、と物価高を嘆くため息があちこちから聞こえてきます。

 でもベツレヘムの星は希望の象徴でもあるのです。心が揺れ動いた今年のあれこれを振り返りながら、私は師走の街でポインセチアを見かけると「来年こそはいい年に」と気持ちを新たにしています。

この時の気温は8度

 そうそう、米国では12月12日はポインセチアの日。ポインセットの命日にかけて1892年の議会で正式に制定されたそうでこの日はポインセチアを贈りあう習慣があるとか。米国在住の方、本当ですか?        

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