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アジアさすらいの日々ー中国編⑤(シャツ売りおばさんとの値切り対決)

<前回までの旅>
…船で出会った僕たち7人のバックパッカーは上海中心部のホステルにチェックインし、上海の街を散策することに。僕は時計の値切り交渉、本場の中華料理、圧巻の中国雑技団の演技などを心の底から堪能しつつ、「普通」の人々と「特別」な人々について考えながら上海初日を終えるのだった。

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9月23日㈮

中国2日目の朝が来た。体が汗でねばついているが、無理もない。フェリーのシャワールームは汚くて入る気になれず、昨日も疲れがたまっていたせいか服も着替えぬままにいつの間にか眠りについてしまっていた。出国日の朝にシャワーを浴びてからもうすでに丸3日が経っていて、一刻も早くたまった汗をきれいさっぱり洗い流したいところだったが、その前に一つだけしておきたいことがあった。散髪である。日本で済ませておきたかったが時間がなく、値段も安いだろうとの考えから中国ですることにした。特に技術もいらない坊主頭にするつもりだったので、起きたばかりの僕は気軽な気持ちで近くの理髪店(であろう場所)へと足を向けた。

店に入ると、他に2,3人の客が入っていたが、店員も同じくらいの人数だったのですぐに席に案内された。そして僕についたのは30歳くらいの、店で一番若そうな男。言葉も通じない僕を前に彼は明らかに不安そうな表情をいたが、それくらいで僕も引き下がるわけにはいかず、何とか坊主頭にしてほしいことをジェスチャーで伝えてみる。

しかしジェスチャーで坊主頭を伝えるのは意外と難しいものなのだ。彼の表情は一向に変わらないままに、僕は最後の手段、つまり紙に「坊主」と書いて彼に渡すという方式をとると、ようやく彼の表情は晴れやかになり、「オーケー、オーケー、大丈夫」というような態度で笑顔で髪にはさみを入れ始めた。そんな自信満々の彼に対し、僕もうまく伝えられた達成感と安心感でいっぱいになっていたのだが、10分後、仕上がった髪型がこちらである。

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……いや、坊主じゃなくて、坊ちゃん刈りじゃねーか!!
残念ながら写真は撮っておらず、別の画像で代用するが、出来上がった髪型はまさにこんな感じであった。また写真は子どもなので見ていられるが、僕がこの髪型をしていればいくら中国といえど嘲笑の的になるであろうことは安易に想像がついた。というのも、実際にはこれより更に髪は短く、21歳の男の顔面とこの幼児的な髪型はこれ以上ないほど奇妙な組み合わせとなっていたからである。

僕は慌ててその若い店員にこの髪型じゃないと訴え、近くにおいてあった雑誌の中から本物の坊主頭を探し、「これ、これ!」とパニックになりながらも伝えると、店員は「あーそれね。確かに変だと思ってたんだよー」というような表情をしながら引き出しからバリカンを取り出した。初めからそうしておけば良かったと思いながら10分後、僕はようやく本来の「坊主頭」を手に入れることができたのだった。

思わぬトラブルはあったもののその後ホステルに戻って、3日ぶりに気持ちのいいシャワーを体いっぱいに浴びると、ようやく心身ともにリフレッシュした気分になった。船で出会った6人はすでに外出していて、今日は旅を始めて最初の一人行動となる。さて、まずは何をすればいいのだろうか。

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「旅」というのは研究活動にも似ている。まず「大きな目的」を見つけ、それを詳しく掘り下げた「イメージ/計画」を練り、最後にその計画通りに目的を達成するための「具体的な手段」を探し出さなければならない。できるだけ多くの社会や人々に出会うという目的のもとに、中国からインドまで電車やバスを使いながら旅をするという計画をし、そのためにまずは上海から次の町への長距離列車の切符を買うという手段を実行する、という風に。

気が付くと僕は一人で駅へと足を向けていた。もちろん次の町への切符を買うためである。今となってはインターネットで気軽に買える時代になったが、当時は購入方法が限られていて、駅あるいは街中の切符売り場で購入するか、旅行代理店で購入するかの2択だった。代理店で購入すると手数料が100元近く取られるということで、バックパッカーである僕が駅へ向かうのは当然の選択だった。

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初めての切符購入は正しい手順で買えるかどうかの不安もあったが、駅でのやり取りは非常に簡単なものだった。最初は切符売り場がどこかわからずに探し回ったが、駅員に聞きながらようやくたどり着くと、意外にもあまり並んでおらず10分ほどで窓口の人と話すことができた。アキラ君に教えてもらった通り、僕は行き先と乗車日、座席の種類を紙に書き、パスポートと共に窓口の服務員に渡すと、彼女はやはり笑顔は全く見せずに「一个人?(お一人ですか?)」と人差し指を立てながら中国語で聞き、僕もまた人差し指を立てながら「Yes, one.」と英語で答えた。

彼女は打ち込んでいたコンピューターの画面を見せながら、列車の時刻や値段が書かれたリストの中から僕に好きなものを選ばせてくれた。そして指定された金額と引き換えに彼女から放り投げられたチケットにはこんな言葉が書かれていた。「上海→蘇州」「2005年9月24日9:30」「¥15元」「硬座」。特に意味も分からずに雰囲気で話していたためその時はわからなかったが、どうやら指定席には、「软卧(上級寝台)」「硬卧(普通寝台)」「软座(上級座席)」「硬座(普通座席)」の4種類があるようで、僕が選んだ最安値の席は当然「硬座」であった。そして僕はぶっきらぼうながらも優しかった窓口の女性に「謝謝」と今度は中国語で礼を言って、駅をあとにしたのだった。

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散髪を終え、電車の切符も買った。もう他には何もすることがない。とはいえ、何かすることは探さなければならない。前述のとおり、バックパッカーというのは常に暇つぶしの手段を考えなければらなないのだ。そんな状況で僕が向かったのは昨日時計を買った場所、人民広場であった。ここには様々な露店があって人も多く、歩いていれば何か面白いものに巡り合うだろう、そんな期待を胸に歩いていると服がいくつもつるされているブルーシート張りの露店の中から早速声がかかった。とっさに声の主のほうを向くと、それは昨日に引き続き、またしても中年のおばさんであった。

きのうの時計のおばさんといい、なぜこの年代の女性は見知らぬ人の懐にここまで強引に入り込むことができるのだろうか。はっきり言って彼女たちの接近方法は決してナチュラルとは言えたものではなく、その押しと対峙するとこっちも構えてしまう。しかしそれでも彼女たちは押すことをやめない。つまり力業である。そして今回のおばさんも、最初から最後までそのアグレッシブなセールスの姿勢を崩すことはなかった。

おばさん「ちょっとあんた!このシャツはいらないかい?かっこいいよ。」
僕「そうですね…。どうしようかな。」
おばさん「(水を得た魚のように)これは?これいいよ、これ買うかい?」
僕「これはちょっと…。」
おばさん「何がいやなの?」
僕「色がちょっと…」
おばさん「何色がいいの?」
僕「赤か、黒とかがいいかな…」
おばさん「じゃこれは?赤いよ。いいね、似合ってるじゃない。」
僕「うーん…。これ、いくらくらいですか?」
おばさん「85元。」
僕「あーちょっと高いですね。」
おばさん「じゃいくらがいいの?」
僕「うーん、25元くらいかな」
おばさん「じゃ35元でどう?」
僕「いや…じゃあいいです。」
おばさん「じゃ25元でいいよ、持っていきな。」
僕「え…あ…じゃあはい…。」
おばさん「はい、ありがとうね~」

実際僕とおばさんはこんなにもスムーズに会話できておらず、ジェスチャーと簡単な英単語だけでコミュニケーションをとっていた。にもかかわらず彼女が作り出したその会話の流れは非常にナチュラルで、僕はいつの間にか25元を払う結末を迎えていた。そう、おばさんの怒涛の攻撃は僕に守備の機会を全く与えずに、そのまま勝利へと進んだのだった。
ちなみにその後他の店を回り相場を知った後で改めてこの赤くて薄いシャツを見てみれば、そのクオリティーはせいぜい15元程度だったのだが、彼女はそれを10倍近くの値段から始めていた。つまり相場を知らなさそうな僕が「彼女は85元と言っているし、ここで10元と言うと空気が悪くなるかな」と思うであろうことを予測してふっかけていたのである。そしてその結果、バックパッカーの通過儀礼である2度目の値切り交渉は、完敗という結果に終わったのだった。

画像3

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やはり物を買うにはそこの相場をまず知ってから値切り交渉に持ち込むべき、おばさんとのやり取りからそんな教訓を得た僕だったが、時刻はもう19時を過ぎていて、リベンジの値切り交渉は明日以降に持ち越しとなった。僕は昨日行った近くの屋台で軽くヌードルをすすりホステルに戻ると、みんなは既に部屋でくつろいでいて、それぞれがそれぞれの一日を過ごしたようだった。
アツシ君とユタカ君は「ピンクの床屋」(「風俗店」の隠語)へ行ってきたらしくすっきりした顔をしていて、アキラ君夫妻とヨウスケ君は一緒に上海の街を散策していたようだった。逆に野川さんは彼女の妊娠が急に発覚、明日の便で急遽帰国することになり、今日はその対応に右往左往していたらしい。

そして僕はといえば、丸一日一人で上海の街を歩き回って一人旅に対する自信もつき、明日が来るのが待ち遠しい状態になっていた。そう、明日からはもうみんな離れ離れとなり、いよいよ僕の本当の一人旅が始まるのだ。

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