眠たい
静かに静かに死を意識します。静かに静かに。
汗が流れていることを喜ぶ人、雨に打たれていることを喜ぶ人、彼らは何に喜んでいるのでしょうか。それに、どうして「彼ら」だけなのでしょうか。
別にいま死んでも後悔はない。あなたの死への理解はわかりました。後悔への理解も多少はわかりました。しかし、どうしてわざわざそんなことを書くのでしょうか。私たちの最大の関心事が死であると、後悔であると、あなたはそう思っているのでしょうか。
澄んだ目をしている私は半分くらい死んでいて、だからおそらく半透明です。だからこそ世界がいつもより美しいのでしょう。極めて反射的な鏡でなければ私の姿は消え去っているのですから。世界は私が見た世界ではなくただの世界になるのですから。
眠たくて眠たくて仕方がありません。起きたくもないのに起きています。不思議なことですね。
謎解きを作るために躍起になっています。あの生物たちは。
眠りがなければ愛など生まれようがないでしょう。それがプラトンの根本的な洞察です。
私はあなたたちを批判しません。批判してないふりもしません。なぜか?私が最も美しいからです。わざわざ理由をつけるなら。
わざわざみんな、欲望を持ちたくて、衝動を信じたくて、うだうだ言っている。私は彼ら彼女らが可哀想で仕方ありません。嘘です。
私はすでに素敵であり、その素敵さの根拠はその素敵さを言い立てるためのフィールドを作らないことにある。みなさんはどうして、例えば「美しくなくてもいい」などと言って「美しさで争いましょう」と言って、みんなそれを隠すのでしょうか。
皮肉的でしょうか。皮肉がそれとして響くのは内なる響きの増幅によってです。その意味で皮肉的なのでしょうか。
私たちは変わりませんし私たちは変わります。別にどっちでも言えますし、どっちでもあります。
ニヒリズム?諦観?違います。明日の私はこの私じゃありません。いや、そのようにも言えますが、このように理由はありません。これが徹底なのかも、私にはわかりません。しかし、私には「イズム」とか「観」とか、そういうものは信じられないのです。後付けです。
謎を探し、謎を解いたと言い、その謎の根本原理をみんなにわかるようにし、後付けし、そんなこんなでみんな死ぬ。
私は死ぬ寸前に後悔する人はただ自らの慰みのためにそれを言っているのだと思います。しかし、私はそれが醜いとは思いません。美しいとも思いませんが。しかし、美しい人などいるでしょうか。醜い人など……
私は眠ります。誰か寝ている私の頭を、撫でてください。起きないくらいの強さで。
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