『TERFと呼ばれる私達』出版の記録
『TERFと呼ばれる私達』は出版にいたるまでとても複雑な経緯を経た、有志たちによる本だ。この本に関してどんなことがあり、そしてどんなことが現在も起こっているのかを記録としてまとめた。
【前提】トランスや性自認の定義
この話題において「トランス」や「性自認」の認識が異なると議論が成り立たないので、使われている用語の意味をまず最初に確認しておく。
トランスジェンダー:出生時にわりあてられた性別とは、異なる性自認を持つ人のこと
トランス女性:出生時にわりあてられた性別が男性で、女性の性自認をもつ人
(※トランス女性は性同一性障害/GID/トランスセクシュアルだけでなく、身体違和がなくて性別適合手術を望まない性自認女性の身体男性や性指向が女性である場合も含まれる)性自認:ジェンダー・アイデンティティ=自己の属する性別についての認識に関する同一性の有無または程度
出版前
この本はもともと出版するためのクラウドファンディングが2022年7月30日に始まり、当日のうちに目標金額を達成した。
クラウドファンディングサイトの魚拓
https://archive.is/yetef#selection-1621.169-1621.280
出版に異議を唱えるツイート(匿名アカウント)
Twitterを「since:2022-07-30 until:2022-08-02 #トランス差別に反対します」「since:2022-07-30 until:2022-08-02 ヘイト本」で検索するとクラウドファンディングと関連して上記のようなツイートがみられた。
これらの中に、プロジェクト段階でまだ表に出ていないこの本のどこが「トランス差別」であるのかを具体的に挙げて答えられるひとがいるとしたら逆にすごい。
出版に異議を唱えるツイート(文筆家や編集者)
これらはすべて「まだ企画段階で出版前の本」に対してのクレームである。
繰り返しになるが、まだ出版すらされておらず、誰ひとり内容を読んだことのない(というか読みたくても物理的に不可能な)本にここまで批判が寄せられている。
なかには「小説家」「編集者」など、出版業界にかかわる人もいた。
出版不況ともいわれているのに、なぜ出版に関わる人々が議論することすら禁じ、読者から本を遠ざけるようなことをいうのだろう。
READYFOR事務局からのメール
2022年8月3日、READYFOR事務局から支援者たちに対して長文のメールが送られてきて、その文面がTwitterで話題になった。
メール全文を記載する。(※とても長いです)
メールの末尾にはまるで「この件は口外禁止」と釘をさしているかのような
という記載があったが、本件は「性自認」と「女性の生存権」が衝突しうる複雑な問題であり、「出版の自由」「検閲」の観点からもまさしく議論する意義があると思ったのでこのnoteで取り上げた。
メールには「プロジェクトの実施体制に関して、第三者の目をいれて内容を精査する」という内容が3回も出てきた。
これは検閲なのではないか?
出版以前のプロジェクト段階で検閲を行おうとした側が口外禁止だなんて、いくらなんでも都合良すぎるのでは?
このメールでわたしが特に問題に思ったのは以下の2点だ。
①「女性用・男性用と分かれている施設・スペースについて、性自認に沿ったスペースの利用を否定する(性自認に合わないスペースの利用を強制する)ことは、その方の性自認を尊重しない姿勢として評価されると考えます」
女性用・男性用で分かれている施設やスペースの利用において、いつの間に性自認を尊重することになったのだろう。寝耳に水だ。
「身体の性別」で区分されているというのが社会通念であり、暗黙のルールではなかったのか?
もし性自認ベースで女性スペースの運用がされたら「性自認が女性でありながら男性器があるトランス女性」というのは存在するし、そしてセキュリティにおける抜け穴を利用して「『性自認が女性』と言い張れば女性スペースを堂々と使ってもいいと考える男性」もあらわれるであろうことは想像に難くない。
そして、性自認に沿ったスペースの利用を否定する(=性自認に合わないスペースの利用を強制する)ことは性自認を尊重しない姿勢になると主張する人たちは、そもそも完全な主観である「性自認」を客観的に証明できるのだろうか。
男性から女性への性犯罪が多い現状では、「性自認を尊重する」と相手の主観――たとえば「本当に性自認が女性なの?」など――を疑って警戒することが差別とされてしまい、「防犯・治安維持の観点や、シスジェンダーの女性が抱く恐怖心への配慮」がないがしろにされることになる。
そのうえ「偏見・思い込みを排除し、事実に基づき理性的に議論することが強く求められる」といいつつも、結局はこのクラウドファンディングを掲載中止にしたのと同じように、女性たちを沈黙させることで権利の衝突を解決しようとしているのではないか?
沈黙は同意を意味しない。沈黙は合意ではない。
TERFと呼ばれる女性たちは、性自認を尊重していないのではなく、これまで通りに男性を女性のスペースから排除したいだけなのだ。
アライたちは「悪いのは性犯罪者」という。
ならば、性犯罪者が侵入しやすいように女性スペースのセキュリティレベルを下げようとするのは本末転倒だ。
そして「トランス女性」だからといって全く犯罪を犯さないとでも思っていそうだが、トランス女性を全くの無垢で善良な存在であると「聖人化」するのも、また違った形の差別なのだとわたしは考えている。
仮に「特定の属性の人を排除することによって犯罪が防げる、という思考に論理性がなさすぎる」というならば、現在トイレや更衣室や女湯などある特定のスペースが男女別で運用されている理由を少しでも考えてみればいい。
②「性自認が女性であるだけでは「女性」ではないという前提に立っており、性自認の尊重に欠く差別的な表現と考えますので、当社としては、削除・修正が必要であると考えております」
つまり「性自認をなによりも尊重し、性自認が女性であるならば女性である」といいたいのだろう。
「性自認」というのは主観であるため、この考えだと「性自認女性で性別移行手術を望まない身体男性」までもが「女性」に含まれてしまう。この拡大した「女性」の概念が女性スペースや女子スポーツや女性枠にまで適用され、実際に海外ではさまざまな問題が起こっている。
女性差別は、「性自認が女性」だからではなく、生物学的に身体女性であるゆえに起こっている。女性の定義が性自認ベースで書き換えられてしまうと、まさに女性差別構造が不可視とされてしまう。
これはまさに「女性の定義」をめぐる問題なのだ。
クラウドファンディング掲載中止
そして2022年8月9日、結局クラウドファンディングは審査を通過して目標額を達成したのにもかかわらず、掲載中止となり返金処理された。
クラウドファンディング停止にあたって、発起人のツイートは以下の通り。
クラウドファンディング発起人であり『TERFと呼ばれる私達』著者による上記ツイートから始まる連続スレッドをまとめた。
出版後
kindle版出版
『TERFと呼ばれる私達』kindle版は2023年3月17日に出版された。
それに対してキャンセルもしくは通報を呼びかけるようなツイートがいくつか確認できたので記録する。
キャンセルや通報を呼びかけるツイート
「購入しなくてもレビュー投稿できます」とは呆れる。
Amazonの規約違反だし、これでは嫌がらせではないか。
Amazonレビュー
以下のようなAmazonレビューもみられた。「ヘイト」と決めつけて批判するならばせめて具体的な問題点を指摘するべきじゃないのか?
少なくともわたしの観測範囲では、TERFと呼ばれる側がこういった出版物へのキャンセルを行っているのを見たことがない。
しかし、トランス活動家やアライたちは、このような呼びかけを繰り返しおこなっている。
オンデマンドペーパーバック版予約受付
『TERFと呼ばれる私達』は現在発売されているkindle版だけでなく、オンデマンドのペーパーバック版も2023年4月17日に発売されることになった。
kindle版が購入不可になる
2023年3月29日0時ごろ、kindle版が購入不可になった。
上記ツイートで「【朗報】ヘイト本、販売停止に 通報にご協力くださった皆様、本当にお疲れさまでした!」といっている「ヘイトを許さない市民の会」は、『TERFと呼ばれる私達』の執筆者「ヘイトを許さない一市民」のなりすましアカウントである。
このなりすましアカウントはペーパーバック版まで発禁にしようと通報を呼びかけている。まさしく焚書だ。
ちなみに「実体版はまだ販売しています。なんとかできないのかな…」といっているアリエルクッキーリュウ氏は、「女性スペースを守る会」のことを「悪質トランス差別団体」と名誉棄損したアカウントだ。
こちらはkindle版が購入不可になったことに対する執筆者アカウントのツイート。
トランス活動家やアライたちは「通報したから発売停止になった」と喜んでいるようだが、著者によると、Amazonからは内容面ではなく形式面に関しての修正を求められているため、この本への通報と販売停止の因果関係は不明だ。
kindle版が購入可能に戻る
2023年4月9日、著者がデータを上げ直したおかげか、
20時50分ごろにはkindle版(電子版)が購入できるようになっていた。
おわりに
TERFと呼ばれることもあるわたしは、たとえ自分と反対意見の著者による本であっても最後まで読み通してから批判した。
真偽をめぐって大いに批判されていた百田尚樹の『日本国紀』は今でも販売されているし、『もう一つ上の日本史 『日本国紀』読書ノート』として具体的に反論されているのに、トランスジェンダーの話題に関しては、なぜ読ませない/読まないことが良しとされているのだろう。
議論するには自分の意に沿わなくても相手の主張を把握しないとならないのではないか。
読んですらない本に対して「差別だ」「ヘイト本」という評判をたてるのは、その本の著書や翻訳者や編集者や出版社などの出版に関わった人たちに対して「差別に加担した」と社会的な汚名を着せることと引き換えに、自分が「進歩的」であることを喧伝してるように見える。
「ヘイト」や「不適切な内容」だと批判をするのならば具体的な問題点をあげる必要があるし、レビューを書くにしても、最低でも読んでからすべきではないのか?
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