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布団の中でZINEを読んでみた

いわゆるTRA側の論者である著者の本を読みながらマストドンやツイッターで実況中継していた読書メモに加筆した記事です。
Twitterを見ていてもTRA側とは意見が合わなそうだし、相手の利益になるのが面白くないから読まないって人もいると思うけど、わたしは反対意見であっても「気になったら読んでみる/批判するからには読んでから」と考えています。

『布団の中から蜂起せよ』

この本は「紀伊國屋じんぶん大賞2023 読者と選ぶ人文書ベスト30」の第1位に選ばれた。

「わかる人にはわかるラインナップ」と書いたのは、じんぶん大賞2023の上位4位までのうち、著者と訳者の3人がTwitterでこの話題を追っている人には有名なTRA側の論者(高島鈴・三木那由他・高井ゆと里)だからだ。

序章

フェミニズムは、原理的には女性差別に反対する運動/思想の名前だが、この本においてはあらゆる差別と不平等に立ち向かう運動/思想として理解してもらって構わない。
フェミニズムに対する理解は個人差が大きいし、それ自体は悪いことではないが(ただしトランス差別のように、絶対に許してはいけない差別的思想を掲げて「フェミニスト」を名乗っている連中もいるので要注意だ)、私は少なくとも女性差別以外のイシューに関心を持たない姿勢はフェミニストとして誤っていると思っている。(p.10)

「フェミニスト」くらい女性差別のイシューに集中させてほしい。
なんで「フェミニズム」ばかりが他に目を向けろと言われるのだろう。
てか「トランス差別」って具体的に何ですの?

高島鈴さんは「私」「あなた」そして「われら」の人称を巧みに使い分けて「われらと共に」と呼びかけているので檄文の書きかたとしては参考になるけど、理論っていうか主観がメインだし、あらゆる差別に反対するスタンスであるという声明文に過ぎないような気がする。

第1章 アナーカ・フェミニズムの革命

著者はそれまで女子校だったので、大学に入ってほとんど初めて「女扱い」されて戸惑った経験からジェンダーについて悩むようになったことが書かれていた。

わたしは思春期に喋る異性といえば父親or学校の先生の二択しか存在せず、ある意味6年間隔離されていた中高女子校から大学に入って、周りに同年代の男性がいることに(ぅゎ……!「男の子」だ……)と最初の数か月はめちゃめちゃ緊張していた。
学校に男性がいるのにも慣れてきた数年後、クラスの飲み会で「女の子がいたほうが盛り上がるからさ」と呼ばれることがあり、最初は参加していたものの、だんだんと違和感を感じるようになってそういった誘いは断るようになった。
今思えばその違和感は、わたしは「大学の同級生」として参加していたのに彼らから「場を盛り上げる女の子」扱いされ、(別にこの場にいるのはわたしじゃなくても良くね?アホらし)と感じたからだった。
あとその場のホモソーシャル的なノリも大変キツかった。
そのころ書店で遙洋子『東大で上野千鶴子にケンカを学ぶ』をパラパラっと立ち読みして「上野千鶴子って人すっごいキレキレだな」とスルーしていたのが悔やまれる。もしちゃんと読んでたらその違和感を言語化できる助けとなるフェミニズムともっと早く出会えていただろうに。
(突然の自分語り~終~)

コミュニティに君臨して権威を振りかざすフェミニスト、トランス排除を行うフェミニストも論外である。集団形成における明らかな誤り、人間を人間として尊重しない態度を見聞きするごとに、アナキストたちに蓄積された合意形成の理論がフェミニズムにも取り入れられるべきだと感じた。(p.29)

わたしはトランス女性と女性の権利衝突について関心があって数年間このトピックを追っていて、トランス擁護派の言い分を100%通すと女性の権利を後退させる懸念があるのではないかと危惧している立場なので、著者からすると「トランス排除を行う」とみなされるのかもしれない。
ところで勉強不足で分からないんですが、急に出てきた「アナキストたちに蓄積された合意形成の理論」is 何?
(→第8章の最後、「死者との合意」で書かれてました!)

第2章 蜂起せよ、〈姉妹〉たち

ラディカル・フェミニストの中には少なからずトランス排除に加担した人物がいた/いることを忘れてはならない。
トランスを排除する「シスターフッド」は、当然シスターフッドではない。(p.53)

やはりめちゃめちゃ「トランス排除」に厳しい。しかし具体的にどういったことが「トランス排除」なのかはここでは語られていない。

著者はベルフックスをひいてラディカルフェミニズムを批判している。

フックスが思い描いていたシスターフッドは、経験ではなく利害や信念を共有し、あらゆる差別・抑圧の根絶を目指す指向の中で連帯するあり方であった。フックスもまた「戦略的」という言葉を繰り返し用いている。このビジョンに私は心から賛同したい。(p.55)

『ブックスマート』と『ハーレクインの華麗なる覚醒』の考察は面白い。優等生のままでも良かったんじゃないかとか女性キャラにはカワイイ武器しかないとか(p.72)。

>ここで全面的に「女性は男性に暴力では敵わない」と思っている意味では全くない(p.73)
といいつつ、その直後で小学校時代の思い出で挑発してきた男性に殴り返していたけどある日身長が伸びなくなって体格の差が出始めてからケンカに勝てなくなったエピソードが語られる。
>もう私は、あいつらと対等な暴力の土俵に上がれないということではないか(p.76)
ここで明らかに身体差について悔しい思いをしてきたんだろうことがうかがえるのに、“全面的に「女性は男性に暴力では敵わない」と思っている意味では全くない”のはどういうことだろう。
ほとんどの女性は暴力では男性に負けるのでは……?

第3章 ルッキズムを否定する

この章は全体的に「そうだね!その通り!わかる~!」と思った。

見た目に対する評価は必ず社会関係の中で生じていて、本質的な「美醜」というものは決して存在しない。自認であろうと他認であろうと、「美醜」は構築されたルールに沿って作り出されたゲームであって、ゲームであるならばゲーム盤を破壊する余地がある。(p.96)

ここら辺はいわゆる「脱コルセット」にも通じると思う。

骨相学と骨格診断の関連付けの視点がユニークだったが、章末の関連書籍紹介で骨相学の本に対してのコメントで

結局「客観性」信仰が生み出したものは骨相学であり、優生思想であり、踏み込んで言えばトランス差別でもあったわけで、われらは常に「客観性」への警戒を怠るべきではない。(p.112)

とあるのは、科学を否定しているようでいただけない。
てか「トランス差別」って客観性信仰が生み出したの?
身体に関する科学的事実であり現実だと思っていた。

著者が用いがちな例の人称を使わせてもらうと「われらは身体から離れては生きていけないし、われらは常に自身の身体と共にある」。
身体はどうあがいても無視できない。

著者が以前このようなツイートをしていた背景も考慮すると、たしかに客観的とされる「科学」が優生学や差別に使われた歴史もあるが、主観と客観のバランス感覚が重要なのだと思う。

第4章 布団の中から蜂起せよ――新自由主義と通俗道徳

章末でおすすめされている『生きづらい明治社会』はわたしも読んで良かった~と思った本。
P.118で、「奨学金の返済免除には業績が必要」とか研究支援環境に関する
「書類手続きが多すぎる」っていうくだりは確かにそうで、大学は学費無料で大学院は給料出すくらいでいいと思ってるけど、「何もできない人」に対して門戸を開くのは難しいんじゃないかな……いくら本人がやりたくても向き不向きがあるだろうし。

第5章 動けない夜のために――メンタルヘルスと優生学

「一種の生活スケッチ」のような、内面描写多めのエッセイ。「大崩落の前に――患者になるためのハウ・トゥ」はメンタルヘルスに不調をもつ人へのアドバイスで、著者自らが経験したことも踏まえての優しさが込められているのだろう。

第6章 秩序を穿つ――ナショナリズム/天皇制に抗する

「天皇制」についてはわたし自身まとまって何か書けるほどまだ考えを深めていないのでここでは言及しない。
一部気になった所を引用する。

今一番警戒すべきなのは、この「ゆるい合意でがんがん拡大するあやふやな概念」なのではないかと感じている。先に挙げた「愛」や「文化」などはその筆頭であろう。これらの響きは、よい。「漠然としたfeeling good」がある。さらになんとなく重厚な雰囲気と、いかようにも解釈できる曖昧さを持っている。どんな人間でも何がしかの形で自分の気持ちや営みを委ねることができてしまうのである。(p.174)

「ゆるい合意でがんがん拡大するあやふやな概念」、同時進行で読んでいる『傷つきやすいアメリカの大学生たち』に「コンセプト・クリープ」という言葉が出てきたので、わたしはそのことかと思った。

オーバリン大学が「安全」という語をどういう意味合いで使ったのかを理解するために、オーストラリアの心理学者ニック・ハスラムが2016年に発表した論文「Concept Creep:Psychology's Expanding Concepts of Harm and Pathology(コンセプト・クリープ:心理学における危険と病状の拡大する概念)」を紐解いてみたい。ハスラムは臨床心理学や社会心理学において鍵となるさまざまな概念――虐待・いじめ・トラウマ・偏見など――を取り上げ、それらの用いられ方が80年代以降にどう変化してきたかを考察した。すると、これらの概念の意味する範囲が、2つの方向に拡大していることを発見した。すなわち、それほど深刻でない状況にも徐々に適用されるようになる「下向き」への広がりと、概念的に関連する新しい現象をも包含するようになる「外向き」の広がりだ。(中略)
ハスラムが調査したほとんどの概念に、トラウマと同様、主観的基準への移行という重要な変化が起きていた。何がトラウマやいじめ、虐待にあたるのかを判断するのは他の誰かではない。当事者がそう感じるなら、その感情を信じればよいのだと。

『傷つきやすいアメリカの大学生たち』p.45~p.47

「漠然としたfeeling good」「なんとなく重厚な雰囲気」「いかようにも解釈できる曖昧さ」??あれ?何か見覚えがあるような……?
もしかして「トランス女性は女性です」「トランス差別に反対します」の決まり文句/スローガン/定型文のことなのでは?

そしてこれに続いて、

何が問題なのだと思われるのかもしれないが、社会一人一人が違う気持ちでいること以上に、たくさんの人間が抽象的で大きな気持ちをひとつ共有していることを優先するのだとしたら、大量の人間を思うがままに支配したい人間にとって、こんなに都合のいいものはないだろう。その共有されたひとつの気分を口にしてやれば、それだけで大量の人間の感情が喜んで動くのだから。(p.174)

「トランス女性」の定義や、どんなことが「トランス差別」に該当するのか言及したり明らかにしないまま、これらの決まり文句をハッシュタグでツイートして、高揚感とともに連帯している風景をわたしは何度も観察してきたのだが……?Huuummmm????(怪訝なプーさんface)

p.180では、「監獄は、日常に根深くかつ広範に食い込んだ暴力装置である」と監獄なき世界について言及しているところはアナーキーすぎて正直よく分からなかった。
じんぶん大賞2023第4位『トランスジェンダー問題』にも著者が刑務所廃止を主張しているところがあるらしいので、なにか関連があるのだろうか。

第7章 儀礼から遠く離れて

酌をする、誕生日をハッピーバースデーの歌で祝われる、きょうだいの配偶者〈の〉妹とみなされる、これらの「儀礼」を著者は拒否する。
特に「女性が酌を注ぐ表象になりたくない」という気持ちは痛いほど分かったし、そういう空気に逆らいたいと思いつつ、どうしてもその場で権力を持っている人というのは概して年配男性なので、それに逆らって我を通すのはなかなか難しい。断固として酌を拒否した著者は勇気があるのだと思うと同時に「全額ベット」の姿勢には、どこか危うさも感じた。

つまるところ私は、あらゆるものに対して「それ本気思ってんの?」と感じているのだと思う。本気じゃないものが嫌いなのだ。(中略)雑な気持ちで臨みたくない。全額ベット、これに尽きる。(p.195)

第8章 死者たちについて

第1章で「アナキストたちに蓄積された合意形成の理論」is 何?って謎に思っていた答えがこの章に書いてあった。なんだ~早く言ってよォ~

・合意形成とは、文字通り他者との間に合意を形成するための働きかけを言う
・アナキストは極めて直接的でラディカルな民主主義を支持し、出来うる限り全員が合意できる妥協点を求めて、絶え間ないすり合わせをし続ける
・立場の上下はなく、常に水平性を保つための最大限の配慮のもとで対話は進められる
・人数の多さゆえに水平に語らうことが困難な状況に陥ったなら、権力の発生を抑止するためにも集団は細かく分散し、合意形成が可能な小集団にまで適当にバラけるべきだ

なるほど……要は話が通じる同じ価値観の人たちだけで内輪向きのサークルを作っていくということなのかな?
デヴィッド・グレーバーによる合意形成の原則も紹介され、著者はこうまとめている。

この方法は、必ずしも容易ではない。少なくとも時間がかかる。(中略)これは一度に何十時間も議論せよという意味では全くなく、合意に至るまでの期間が長期にわたる可能性を受け入れるべきである、という意味である。(p.234)

「トランス排除的ラディカルフェミニスト」とレッテルを貼られている人たちの意見もきいて欲しいと思ったが、「合意形成が可能な小集団」から排除されているため、難しそうだ。

終わりに

第1章で著者自らが「これは一種のアジビラだ。そして宣言でもある。」(p.30)と断言していたし、「終わりに」でも

私が書いてきた文章は少なからず人を煽る性質を備えている。少なくともそのように書いているつもりである。(p.241)

とはっきりアジテーションであることを認めているし、読んだわたしも「確固たるスタンスで同志に呼びかける決意表明」だと感じた。
わたしは人文分野には疎いし研究者でもないので全くの素人なのだが、「じんぶん大賞」と銘打つからには、もうちょっと学問的で硬派な内容が選ばれるのかと思ったので意外だった。

わたしはラディカルフェミニストを名乗っていないし、他称TERF側の意見のひとは別にラディカルフェミニストとは限らないのに、性自認に懐疑的な意見をいうとなぜか「トランス排除的ラディカルフェミニスト(TERF)」といわれる。

この本で著者は「あなた」「われら」と読者に話しかけ、共に生きよう、生存は抵抗だ、と呼びかけているが「トランス排除的ラディカルフェミニスト(TERF)」だけは別らしい。
なんだか招かれざる魔女にでもなった気分だ。

『反トランス差別ZINE』

豪華な執筆陣によるこの本はずっと気になっていて、電子書籍化とともにkindle unlimited対象になったのでありがたく読ませてもらった。

(贅沢をいわせてもらえば、固定レイアウト式だったのでpaper white端末で読むのはキツく、ハイライトもできなかったので、リフロー型にしてもらったほうが良かったです)

>このZINEが掲げる「トランス」は、アンブレラ・タームに集い得るあらゆる人を指している
>SNSを中心に、日本語圏でもこの四年間ほどトランス差別言説が拡大してしまっている
>それも日本語圏だけの問題ではなく、世界的なバックラッシュが猛威を振るっている
と、水上文による「まえがき」から熱い。
アンブレラ・タームってことは以下の図の定義、すなわちトランスジェンダーにオートガイネフィリアとトランスヴェスタイトが含まれるってことね、了解了解。

アンブレラターム

このまえがきを読んだだけでも「これは他称TERF側の意見をもつ人にとっては批判的に読んで考え方が鍛えられそう」と期待が高まった。

特に疑問に思ったところ

  • アンブレラタームといいつつ、クロスドレッサーやオートガイネフィリアの存在を明言していない

  • >教えてくださいよ、○○○○大先生。「性別は一生変えられない」というのなら、私は○ぬしかないのですか?私の存在が「犯罪的なイデオロギー」なのですか?(p.32)
    とGIDでオペ済の人が自○をほのめかしていた。

    →TGismはセルフIDを推進しているのにこういう時にオペ済GIDの人を矢面に立たせるのは違うと思う。
    双方の意見のすり合わせが必要なのに、明らかに議論が必要なことを自○をちらつかせて相手を黙らせて自分の意見を通そうするのは感情的脅迫(=心理的恐喝/Emotional Blackmail)であり、モラル・ハラスメントではないか?
    ここで引用するにあたって、○○に書かれている個人名を伏せたが、実際は他称TERF側の意見をもつ論者の名前が名指しされていた。
    他称TERF側だって女性や子どもにとっての権利との衝突があるし、安全や最悪の場合は命の危険があるから発言している。

  • >戸籍の性別を変えるための法律は極めて差別的な厳しい要件を課しており、全ての人が要件を満たせる訳では全くない。法改正の目処も立っていない。(p.27 水上文)
    →特例法の性別変更要件を緩和するように求めていると思われる。
    2003年に成立した「性同一性障害者の性別の取り扱いの特例に関する法律」(通称・性同一性障害特例法)には、性別を変更するためには
    ①年齢要件 二十歳以上であること(成年年齢の引き下げとともない、2022年4月1日から18歳以上になった)
    ②非婚要件 現に結婚をしていないこと
    ③子なし要件 現に未成年の子がいないこと
    ④手術要件(生殖不能要件) 生殖腺がないこと又は生殖腺の機能を永続的に欠く状態にあること
    ⑤外観要件 その身体について他の性別に係る身体の性器に係る部分に近似する外観を備えていること
    を満たすことを条件にしている。
    そもそもこの特例法というのは「性別適合手術を行った性同一性障害者」が日常生活になじめるようにと設けられた法律だと認識しているが、この条件を緩和するということは、法制度がつくられた前提条件が覆されて法の意味自体が変わってしまうし、「性自認」のみで戸籍が変更できるようになる(いわゆるセルフID制度)。文字通り「男性器がついたまま戸籍上女性」が存在することになり、女性スペースや医療や統計などのさまざまな場面で影響を及ぼすことになることをわたしは懸念する。

  • >違和の有無ではなく、まさしく特権性を名指すカテゴリーこそがシスジェンダーなのだ(p.28 水上文)
    いわゆる「シス」特権について

    →「シス」は「トランスではない人」という意味で使っていて、わたしはトランスではないしシスでもないので勝手に「シス」呼ばわりしないでほしい。
    だいたい「シス特権」という言葉は、男性をスルーして女性に対してわきまえろという文脈で発せられる方が多いし、わたしは「シス特権」という言葉は女性抑圧の新たな形だと思っている。

  • 他称TERFをプロテスタント右派と中核とする保守のバックラッシュと同じ扱い(p.36 ゲンヤ)
    →他称TERFに対する典型的なレッテル。もう100万回みた。
    他にも「アンチフェミ/家父長制に加担/統一教会/Qアノン/極右/トランプ支持者/オルトライト」とかいろいろ言われてるけど、違います。
    自認がどうであれ身体男性が女性のスペースに入らないでほしい(女子スポーツに参入とかも含む)って言ってるだけです。
    このように女性スペースを使う当事者でもない男性が、抗議する女性たちに向かってレッテルを貼って「女性スペースは身体男性を受け入れろ」といってくるのはよく見る。
    自分がどれほど無責任で横暴なことをしているか、それこそ「男性特権」を自覚してほしい。

  • 「その声には応答しない」とno debateを歴史修正主義をひいて正当化(p.40 高島鈴)
    →権利の衝突に関する議論をこうやって何年もno debateというスタンスで逃げ続けてきたようですが、世間にも「トランスジェンダー」や「トランス女性」の定義がだんだんと知られるようになってきていて、そのスタンスでいるのもいい加減苦しくなってきているのではないでしょうか。

  • 「ラディフェミの分離主義は袋小路」(p.63 清水晶子)
    →わたしはアカデミア事情には疎いのですが、清水晶子先生の専門はジェンダー学ではないんですよね?ジェンダー学専門の先生のお話も伺ってみたいです。

『反トランス差別ZINE』は、Twitterでもう何年も繰り返されてるTRA側の「言説」ばかりで、正直何年もこの話題を追っている人にとっては食傷気味かもしれないが、最近この話題を知ったひとはTRA側がどんな主張をしているのか知ることができるだろう一冊だった。
他称TERF的な考えの人にとっても、TRA側の意見を知ることができるという点において、ツッコミいれたくなるところが多いだろうしイライラするかもしれないけれども、自分の考えを整理するのにもよいだろう。

そして『TERFと呼ばれる私達』

『TERFと呼ばれる私達』は2023年3月17日にkindleで出版された。

この本は、2022年7月30日に出版するためのクラウドファンディングがされ、開始した当日のうちに、しかも6時間経たずに目標金額を達成した。
しかしながらトランス活動家たちからの問い合わせが多く寄せられたせいか、出版プロジェクトが中止されることになったという、複雑な経緯を経た一冊だ。
(『TERFと呼ばれる私達』出版の記録 参照)

橋本愛さんの件やLGBT法案、女性トイレ・女湯など「トランスジェンダー」をめぐる話題に関心が高まってきている今こそまさに広く読まれるべきタイミングだと思う。

この話題に少しでも興味がある人は『布団の中から蜂起せよ』『反トランス差別ZINE』と共に『TERFと呼ばれる私達』も読み、双方の主張を自分の目で確かめて欲しい。
いま必要なのは対話と議論だ。

いただいたサポートはアウトプットという形で還元できるよう活かしたいと思います💪🏻