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字羽井アハマド 小学生編

僕は現在イラクプレミアリーグでプレーしています。

日本に帰国の際にみんなにどうやってイラクプレミアリーグに行ったのとよく聞かれます。
自分の経歴を話するとよくビックリされます。日本では全く無名だったからです。

日本で無名の選手がどうやってアジアの中で強豪と呼ばれるイラクu23代表に声がかかったのか!

こうゆう経歴でもプロになれるチャンスがあると、是非参考にしてもらえれば嬉しいです。

(イラクプレミアリーグの情報は前の記事で書いてます)

小学校 低学年

自分が初めてボールを蹴ったのは確か4.5歳だったと思う。
近所の公園で兄と毎日のように一対一をやってボールを蹴ってた。

小学校に入学してからは兄と一緒に近所のサッカーチームに入った。
ずっと兄とボール蹴っていたからか、チームの中では割と上手い方だった。

チームの練習は基本土曜と日曜だか、平日も毎日小学校の高学年に混じってボールを蹴ってた。
テレビゲームなどはたまにやる程度で、学校の休み時間、学校終わりとにかく日が暗くなるまで毎日ボール蹴ってた。

兄や、自分より年上に混じって蹴っていたせいか、毎日自分なりにどうやったら上手くなれるのか、どうやったら自分よりフィジカル強い相手に勝てるのか、小学校低学年の頃から小学校低学年なりに考えるようになっていた。笑

そのうちに出来ないことが出来るようになり、とにかく楽しかった
俺上手くなってる。もっと上手くなりたい。サッカーが楽しいって、とにかくサッカーに夢中だったのを覚えてる。

そんな中小学4年生あたりで11ブロック選抜のセレクションに選ばれた。

結果は不合格
初めての挫折を味わった。

小学校高学年

小学校高学年になってからは、楽しさと同時に自分より上手い人を見ると負けたくないとも思えた。
試合に負けたり、自分より上手い人を見ると悔しくて、ずっと練習してたのを覚えてる。

これでもかってぐらい、リフティングやボールタッチの練習をしたのを覚えてる。

そうしてる内に少年団の中でも上手い方になり、多摩地域の選抜にも選ばれた。

嬉しかった。ただ多摩選抜の方では上手い方ではなかった。周りがみんな上手い奴ばっかりで、悔しかった思いをしたのを覚えてる

本来のポジションは攻撃的なMFだが、みんな自分より上手い人だらけだったから、サイドバックをやっていたのも覚えてる。笑

負けず嫌いだったのか、自分より上手い人を認めるのが嫌いで、毎日絶対あいつより上手くなってやるって思いながら練習していた。

その内多摩地域でも上手い少年ってことで少し有名になっていった。嬉しかった。

何よりそうやって練習して、あいつより上手くなってる、成長してるって、感じられてすごくサッカーが楽しかった。

多摩選抜のコーチ

小学生の頃に、多摩選抜のコーチとの出会いが自分にものすごく影響を与えてくれた

当時大学生のコーチで小学生の僕からしたら、とにかくめっちゃくちゃ上手かった。

また、サッカーの遊び心も教えてくれた。
相手を騙すプレー、また抜き、ずっとバスの遠征でロナウジーニョの動画を見せてくれてたのを覚えてる。笑
ジンガとか言ってブラジルのストリートサッカーを見せてもらってたのも覚えてる笑

すげー、上手い〜 これがプロか。ブラジル人こんなに上手いのか
小学生の自分からしたら、そのコーチもロナウジーニョぐらい上手いんじゃないかって錯覚してた笑

それから自分もずっとロナウジーニョをyoutubeでみてとにかく真似した

こうやって抜くのか、こうやって相手の逆を取るのか、また抜き、シャペウル、真似しては実戦で試していた

選抜の練習がない日もコーチやみんなで集まって、ずっと一対一対一から三対三まで、とにかく暗くなるまでボールを蹴った。

そこで試しては実戦でも試す そうやって自分は上手くなっていったと思う。

今でも遊び心を持ててるのは、このコーチのおかげだと思う。
このコーチとの付き合いは中学校を卒業するまで続いた。

シリアの留学

小学校6年生の頃家族の都合で一年間シリアに行くことになった。シリアでアラビア語の語学留学だ。

少しずつ自信もついていて、サッカーがものすごく楽しかった頃の留学だったからかなり寂しかったのを覚えてる。

シリアではチームに属さず、ずっとストリートサッカーをしていた。
おっさんから小学校低学年までみんなで集まってそこら辺の路上でストリートサッカーをしていた。

みんなめっちゃめっちゃ勝負にこだわってた。平気でファールしてくるし、常に真剣

汚いことをしても勝負に勝てばいい!

ここでずる賢さ、試合に勝つことの大切さを覚えたと思う笑

一年で帰国して中学校はFC多摩に入った。
小学生の頃は割と多摩地域では有名だったから自信はあったが、いざ入ったらチームで下から3番目ぐらいに下手だった笑笑

中学校の話はまた次回に書きたいと思う。

兄の存在

兄の存在も自分の中では大きかった。

小学生の頃は常に兄とボールを蹴ってた。
兄はものすごく上手かった。小学校6年生でヴェルディジュニアユースに呼ばれるくらいだ。

めっちゃくちゃ羨ましかった。

シリアに行っても、ストリートサッカー以外は兄しか一緒にボールを蹴る友達はいない。

毎日のように切磋琢磨して一緒にボールを蹴ってたのは自分にとってはすごくプラスになった。

ずっと一対一をやっては負けて、考えて、練習して、やっては負けて、考えて、練習しての繰り返し

勝てた時はめっちゃ嬉しかったし、同時にサッカーの楽しさも覚えた

よく次男の方がプロになりやすいとか言われてますが、その通りやと思う。

今となってはそう思う。笑


字羽井 アハマド
大学卒業後オーストラリア、フィリピン経由し、現在イラクプレミアリーグでプレーしている初の日本人サッカー選手

メールアドレス

alazzawijp@gmail.com

インスタ

https://instagram.com/azzawiahamad?igshid=4fze0jmgvpuc





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