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中学校編

少し間合いが空いてしまったので、改めて軽く自己紹介したいと思う。

自分は現在イラクプレミアリーグでプレーしてるアザウィ アハマド です。

少し珍しい経歴なのでどうやってプロになったのか、自分のサッカー人生を振り返りながら参考にしてもらえればと思う。

(小学生編は前の記事で書いてます)

中学校一年生

シリアから日本に帰国したのは中学一年の5月あたりだったと思う。
小学生時代に多摩地域ではそれなりに上手い方だったので、そのままFC多摩ジュニアユースに入れた。

FC多摩ジュニアユースでは多摩地域だけではなく、川崎や稲城など、いろんな地域の選手がいた。

自分も小学校の頃多摩地域ではそれなりに上手い方だったので、中学でも上手い方だろと思っていたが現実はそんなに甘くなかった。

現実はチームでは下から3番目ぐらいに下手だった

初日の練習でみんなからなんだあの下手な外人はと見られてたのを覚えてる。笑
最初はCチームでも出れなく、三人ぐらい残るチームの残りもんメンバーだった

またFC多摩の練習では練習始めにグランドの端っこから端っこまでリフティング出来なければ練習に参加できなく、二時間ずっとリフティング練習してて練習参加できなかったのも覚えてる。笑

とにかくめっちゃ恥ずかしかったし、めっちゃめっちゃ悔しかった。

こんな絶望的始まりだけど、絶対登り詰めてやる。絶対見返してやる。上手くなる。プロになってやると心に決めた。

この時からプロを意識し始めたと思う。

自主練

絶望的な始まりだったおかげで、ただただ練習しまくった。

ボールタッチ、リフティング(そもそもリフティングできなかったら練習参加できなかったからめっちゃめっちゃ練習した笑)ドリブル、フェイントなど練習しまくった

小学校の影響でとにかくロナウジーニョ、ジダンのyoutubeをたくさんみた

学校にはドリブルで登校して、学校終わりに家帰ってyoutubeでロナウジーニョやジダン見て、FC多摩の練習時間の一二時間前にみんなで公園に集まってボール蹴った。

一対一対一、パス練習、ドリブル練習などFC多摩の練習前にみんなで練習してた

最初は自主トレしてるって感覚だったけど、後の方はボールに触るのが楽しかった。
サッカー小僧だったんだと思う。笑

そんなことを続けてたら3ヶ月ぐらいでFC多摩の中学一年生の中ではスタメンで試合に出れてた。

中学時代の友達

自分は中学時代の友達にもすごく恵まれてたと思う。

中学生になれば異性と遊んだり、カラオケ行ったり、夜中で集まったり、映画みたり、いろいろ遊ぶ幅を広がると思う。

自分は本当にサッカーしかしてなかった。笑

友達に電話すれば、何する?と聞かなくても、何時に公園ねと待ち合わせしてボール持ってきてサッカーしてた。

自分周りはとにかくサッカー好きな友達が多かったからサッカーしかしてこなかった。

学校の休み時間にグランドで制服でサッカーして、学校終わりもサッカー、その後FC多摩の練習そんな日々を過ごしていた

そうやって少しずつ上手くなっていった。

中学2.3年生

中学から少しずつプロを意識していたから、プロ行くには強豪校に入る。

その為には全国に出る。逆算して全国に出るのを目標にした。

何回も繰り返すがその為にたくさん練習した。

最後らへんは学校の休み時間も自分一人でグランドで練習して、学校終わりも一人だけで練習した

それが楽しかったからずっと続けた。
そうやって迎えた中学三年生のクラブジュニアユーススタメンで試合に出させてもらった。

迎えた関東予選、後一つ勝てば全国で負けた。
結果全国には出れなかった。

高ノ宮杯も関東予選で負け。結果中学時代に全国大会は出れなかった。

メンバーに入ってる自分のチームメイトは強豪校からたくさんオファーがくる中、東京選抜など何か選抜に入ってたわけではなかったので強豪校からオファーはこなかった。

エリートコースではなかったということだ。
自分はプロになれるのか?不安だったのを覚えてる。

当時まだ強豪校ではなく無名の関東第一高校からはオファーを頂いた。
自分達の代でサッカー部に力を入れている。全国を目指してるなどを話しを聞いて、誘ってもらった。

自分も無名から地道に自主練を続けて這い上がってきた。この高校なら自分に合ってると思い、関東第一高校に進学するのを決めた

結果ものすごく自分のサッカー人生にプラスになる高校時代を過ごせた。

高校時代の話は次回に書きたいと思う。

中学時代のまとめ

自分は中学時代は、サッカーを続ける上で一番大事な時期だと思ってる

なぜなら自分のサッカーのスタイルの基盤が中学時代に作られるからだ。

自分は足が早いわけではなかったので、テクニックをたくさん磨いた。
中学時代の監督がスルーパスにこだわってたので、教えてもらい今でも体に染み付いてる。

イラクプレミアリーグでは4.5回スルーパスを通してアシストした。

ロナウジーニョやジダンのyoutubeをたくさんみてボールキープの仕方も真似した。
ジダンのボールキープの仕方、ロナウジーニョの手の使い方、今では意識しなくても体に染み付いてる

そうやって自分の基盤が中学時代で作られてった。

自分は決してエリートではないが、中学時代自分よりたくさん上手い人がいたが、今では自分がプロになってる。

それは自分の中でしっかり自分の基盤を作っていったからだと思う。

プロになってからも自分の基盤としてるものは、中学時代と変わらない。

自分なんかがアドバイスできる立場かわからないが、中学のみんなにアドバイスがあるとすれば、中学時代は焦らなくていいと思う。

しっかり自分と向き合って、自分がどんな選手になりたいのか、どの武器で勝負するのか、どうやったらプロになれるのか。

しっかり自分と向き合って欲しいと思う。

今自分より上手い人がいても高校、大学でいくらでも逆転できる

これが自分が中学時代に学んだことです。
少しでも参考になればと思います



字羽井 アハマド
大学卒業後オーストラリア、フィリピン経由し、現在イラクプレミアリーグでプレーしている初の日本人サッカー選手

メールアドレス

alazzawijp@gmail.com

インスタ

https://instagram.com/azzawiahamad?igshid=4fze0jmgvpuc






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