ソクラテス・マイマイ

毎日、心の中にある「はてな」を大切にこどもたちと過ごしています。文学フリマ広島5.6、…

ソクラテス・マイマイ

毎日、心の中にある「はてな」を大切にこどもたちと過ごしています。文学フリマ広島5.6、文学フリマ大阪11で『トリアロコひろしま』さんのブースから、ZINE『「学校」で働くということ』『「学校」という場所から対話の灯を』を置いてもらいました。

記事一覧

固定された記事

言葉にできない悲しいこと

ひさしぶりのnote. この数週間で、ショッキングな出来事が矢継ぎ早に、わたしのところに舞い込んできて、心身ともに疲れ果ててしまいました。 人間関係の儚さに、嘆き悲…

いのちと向き合う朝

「ただいま、〇〇市駅に入る踏切に置きまして、人身事故が発生致しました。そのことにより、当駅から運転を見合わせます。」 出勤予定時刻15分前。あと一駅で勤務先の最…

ピリオド

ありがとう、と長年の想いを伝えたら、いつの間にかこの物語にピリオドが打たれていた。 どんなときも、あの人は、わたしの心にいた。 こういうと、ひかれてしまうかもし…

いつのまにか、大晦日

いつの間にか、2022年の大晦日。 怒涛の12月を過ごしたことによって もうわけのわからない年末でした。 コロナに罹り、コロナ明けにも関わらず仕事では 最悪レイシスト達…

わたしの note書き初め 2022 …🐅🎍

新年、あけました。 三が日に、noteを更新したいと思っていたら、 ちょうど、#note書き初め とあったので、便乗して 2022年の目標を書き留めておきます。 2021年12月末。…

わからなさすぎる世の中について

Coronavirus 、って何だろう。 って考えざるを得ない社会の状況です。 毎日 毎日「感染、最多・最多」と言い続けられて、早1年半。 その間、不明な言葉が続々と生まれ続け…

天体とわたし

わたしの身体は、天体から影響を受ける。 どんなふうに? こんなふうに。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 月は、新月から始まり、三日月、上弦の月、満月、下…

海と空の境界線で

周囲が凄まじい勢いで動き、自分だけが止まっている この境界線で、沈んでいってしまいたい

社会のセーフティーネット

地元に、大好きな立ち飲み屋がある。 そこの立ち飲み屋では、みんな一人で飲んでいる でも、顔見知りの常連が集まると、いろいろ語り合う それぞれが背負っている荷物を…

年の瀬に想うこと

ー人間、みんな脆くて弱いー 二日前の朝日新聞にそんな記事が書かれてあった。 「コロナ禍」とよばれたこの一年で、人間は、みんな脆くて弱い存在であることに気づかされ…

ことばをさがして

ことばをさがして    ことば ことば ことばをさがしています こころのこえを だしたくて ことばにしようとしたけれど なんと いえば いいのかな ぴったり ことば…

大阪を想う

 わたしは大阪市生まれ大阪市育ち。お寺に生まれて、近所のじーちゃん、ばーちゃんに育ててもらった。  家の近くに、安くて有名な商店街がある。ここ数年で、商店街の活…

「どうせ死ぬのに、なぜ生きるのか」名越康文先生のお話を拝聴して

最近、アフターワークが充実しているお陰で、人と会うということが多くなってきた。いろいろな人と出会い、勉強できる機会が、学生時代のように、ここ数カ月で増えた。そし…

過去

先週の連休、青春時代を過ごした滋賀県へ行った。 JR琵琶湖線に乗るなんて久しぶりで、車窓からの眺めが懐かしかった。 あのときは、希望があった。たくさんの出会いを通…

ダンス・ダンス・ダンス

村上春樹の小説『ダンス・ダンス・ダンス』を読み終えて考えたこと 1.小説について 『ダンス・ダンス・ダンス』の主人公は、いくつもの奇妙な出来事に出くわし、人と出…

語りたい世の中に、音楽を。

COVID-19による変動期(わたしにとっては静寂期間)に、ウクレレにチャレンジすることができました。 去年の7月にウクレレを買ったのですが、仕事に忙殺される日々で練習を…

固定された記事

言葉にできない悲しいこと

ひさしぶりのnote. この数週間で、ショッキングな出来事が矢継ぎ早に、わたしのところに舞い込んできて、心身ともに疲れ果ててしまいました。 人間関係の儚さに、嘆き悲しみ、そして、沸々と怒りが沸いて止まりません。当事者に想いを寄せれば寄せるほど、想像しきることができなくて、言葉を失います。 ーどうして!? 人生というのは、本当に、わからない。 あまり関連性はないのですが、そんなこんなの数週間を過ごし、このnoteも改めようと思いました。 「みんなのちから」というテー

いのちと向き合う朝

「ただいま、〇〇市駅に入る踏切に置きまして、人身事故が発生致しました。そのことにより、当駅から運転を見合わせます。」 出勤予定時刻15分前。あと一駅で勤務先の最寄り駅にたどり着くというところに流れた車内アナウンス。 読書に没頭していた私は、車内からぞろぞろと降り立つ人々の動きを肌で感じて、三度目ほどのアナウンスによって、『人身事故の影響で電車が止まった』という状況に気づかされた。 本を閉じ、車内から降り立つ人の波に混じり、あと一駅歩くこととなった。 ❋❋❋ 火曜日と

ピリオド

ありがとう、と長年の想いを伝えたら、いつの間にかこの物語にピリオドが打たれていた。 どんなときも、あの人は、わたしの心にいた。 こういうと、ひかれてしまうかもしれない。 けれど、わたしは、どんなときも忘れられなかった。 付き合ってもいない パートナーでもない 何でもない ただの わたしの 片想い いや、執着だった。 7年前に想いを告げたとき呆気なくふられた。 だけど、そこから7年間 わたしに恋人がいるときも、ややこしい期間を過ごしていたときも、どんなときも、忘れられな

いつのまにか、大晦日

いつの間にか、2022年の大晦日。 怒涛の12月を過ごしたことによって もうわけのわからない年末でした。 コロナに罹り、コロナ明けにも関わらず仕事では 最悪レイシスト達の怒号を浴びせられたり、 何故か訴えられたり、 全く村上春樹の小説の中にいるみたいでした。 一生懸命にやってるはずが、 ここまでもボロボロにさせられる日々は 数年ぶりで、精神崩壊寸前、疲れまくった1年でした。 仕事に忙殺されたという言い訳で、プライベートでは 中々日記も付けれなかったので、 何時、誰と何処

わたしの note書き初め 2022 …🐅🎍

新年、あけました。 三が日に、noteを更新したいと思っていたら、 ちょうど、#note書き初め とあったので、便乗して 2022年の目標を書き留めておきます。 2021年12月末。 1月から12月までに起きた自分の気持ちの変化を、仕事とプライベートに分けてふりかえっていました。 時の流れは早く、一瞬で過ぎ去ってしまった昨年。2021年当初は、仕事で起きたことを記録したり、プライベートでは日記をつけたりすることを目標にしていたのですが、ほとんど実行できず…。 忙殺される日

わからなさすぎる世の中について

Coronavirus 、って何だろう。 って考えざるを得ない社会の状況です。 毎日 毎日「感染、最多・最多」と言い続けられて、早1年半。 その間、不明な言葉が続々と生まれ続けました。 自ら進んで(つまり主体的に)行動を慎むことを「自粛」というはずなのに、他者から「自粛」が要請されるという謎の言葉遣いが生まれ出て、さらには「人流」という謎の単語も誕生し、あたかも皆に「ホーム」があるかのように、「ステイホーム」と横文字出現、生活困窮者を陥れ。 悲しいかな、こんな状況がもう1

天体とわたし

わたしの身体は、天体から影響を受ける。 どんなふうに? こんなふうに。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 月は、新月から始まり、三日月、上弦の月、満月、下弦の月、新月と29.5日ほどの周期を繰り返す。 そのサイクルの中でも特に、満月の日には、わたしの心身は荒れてしまう。感情的になり、思考は爆発する。酒や塩辛いものを欲し、肌が荒れる。 どこかでトラブルを起こしてしまって、人間関係にヒビが入ることもある。 満月が過ぎ去り、下弦の月へと向かう1週間ほどは、落ち着

海と空の境界線で

周囲が凄まじい勢いで動き、自分だけが止まっている この境界線で、沈んでいってしまいたい

社会のセーフティーネット

地元に、大好きな立ち飲み屋がある。 そこの立ち飲み屋では、みんな一人で飲んでいる でも、顔見知りの常連が集まると、いろいろ語り合う それぞれが背負っている荷物を、とりあえず横に置いて、一息つける場所。 そこでは、性別も、年齢も、職業も何も関係なくて、 それぞれが、お互いを尊敬しあっている、と、思う。 深入りもせず、ただ聴きあうだけ。 そこにいくと、 「みんないろいろあるんやなぁ」と思わせてくれる 「人間やし、完璧じゃないんやで」って、みんなが教えてくれる 社会のセ

年の瀬に想うこと

ー人間、みんな脆くて弱いー 二日前の朝日新聞にそんな記事が書かれてあった。 「コロナ禍」とよばれたこの一年で、人間は、みんな脆くて弱い存在であることに気づかされた、と。 弱くて、脆い。他者無しには生きられない。人間とはそういう孤独な生き物だ。たしかに、間違いないことだと思う。けれど、何か物足りない。 各々が、その脆さや弱さを自覚して、誰かに助けを求めたり、声を分かち合ったり、その弱さを糧に優しい社会や世界を創り出そうとしたり・・・そんなエネルギーを、この世の中で感じるこ

ことばをさがして

ことばをさがして    ことば ことば ことばをさがしています こころのこえを だしたくて ことばにしようとしたけれど なんと いえば いいのかな ぴったり ことばが みつからなくて みつけた と おもったら どこかに きえて なくなって おこって ないて かなしくて  ことば ことば ことばをさがしています

大阪を想う

 わたしは大阪市生まれ大阪市育ち。お寺に生まれて、近所のじーちゃん、ばーちゃんに育ててもらった。  家の近くに、安くて有名な商店街がある。ここ数年で、商店街の活力が寂しくなってきて、店もどんどん変化している気がするが、おばちゃんたちが立ち話をしたり、野菜や肉や魚が市場のように売られていたり、安いコロッケ屋さんや甘味処に老若男女集い、中高生のおしゃべりの場になっていたり、立ち飲みやスナックが並んでいたりする光景は、私が幼いころから変わらない。  わたしの過去には、いろいろな

「どうせ死ぬのに、なぜ生きるのか」名越康文先生のお話を拝聴して

最近、アフターワークが充実しているお陰で、人と会うということが多くなってきた。いろいろな人と出会い、勉強できる機会が、学生時代のように、ここ数カ月で増えた。そして、いろいろな人の「力」に触れ、考えさせられている。 今回は、精神科医の名越康文先生の御講演でお教えいただいたことを、書き留めておきたい。 講座のテーマは、「どうせ死ぬのに、なぜ生きるのか」という、到底2時間で考えきることのできない深すぎるもの。そのテーマを、名越康文先生は、昨今のCOVID-19を取り巻く社会情勢

過去

先週の連休、青春時代を過ごした滋賀県へ行った。 JR琵琶湖線に乗るなんて久しぶりで、車窓からの眺めが懐かしかった。 あのときは、希望があった。たくさんの出会いを通して、考え、学び、語り、夢を描いた。 今は、どうだろうか。 琵琶湖は、変わらず、大きかった。

ダンス・ダンス・ダンス

村上春樹の小説『ダンス・ダンス・ダンス』を読み終えて考えたこと 1.小説について 『ダンス・ダンス・ダンス』の主人公は、いくつもの奇妙な出来事に出くわし、人と出会い、人と別れ、何かを失っていく。「自分の力」ではどうしようもないことに対して、主人公は、呆然とする。くたくたに疲れていく。  だが、疲弊した心身、言葉にならない出来事を幾つも経験する中で、彼は気づかされる。流れる時間の中で、何とか踊り続けるということを、ステップを踏み外さないということを、音楽の続く限り踊るというこ

語りたい世の中に、音楽を。

COVID-19による変動期(わたしにとっては静寂期間)に、ウクレレにチャレンジすることができました。 去年の7月にウクレレを買ったのですが、仕事に忙殺される日々で練習をする時間がなく、オブジェと化していたウクレレさん。 やっとこさ、ゆっくり弾ける時間ができ、4月から5月の2か月間は、毎日毎日弾いていました。 お家でいることが「正しい」とされていた期間、音楽教室には通うことができないので、とりあえずYouTubeで「ウクレレ・初心者」と検索。そしたら、とてもおもしろいウク