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知識の監理考5 責任と義務の違い

ある人の講演で、ある「説明責任」に対し、それは説明責任ではなく説明義務である、と義務であることを強調する話を聞いた。責任と義務はしばしば同じような意味で使われているが、義務の方がその必然性が強いらしい。辞書を引くと、確かに義務の方が強いニュアンスが読み取れる。

責任転嫁という言葉や「責任の所在」などという表現があるが、義務については転嫁や所在という語は用いられない。動かしがたい必然性、議論の余地のないほど強烈な言葉ということだろうか。責任という言葉は使い古されてしまった用語で、もはや何の感傷も付随しないが、責任と義務という語を適切に区別し、両者を使い分けて使うことで、「説明義務」を果たさせることはできないか。
権利の対義語は義務であるが、国民の知る権利に対して国が負っているのは応える責任ではなく応える義務であろう。逆に、義務を責任と言い換えることは、責任転嫁の第一歩とも考えられる。

ユダヤ人の信じる旧約聖書の神は、怒りの神で、常に民を監視する存在であるという。それゆえにユダヤ人は常に監視されていることを意識して、自らを厳しく律するという。神に対する説明義務と言えるだろうか。

卑近な実務の例を考えると、業務には自主チェックや点検項目チェックリストなどが存在することがあるが、業務プロセスを精緻に定義することは、常に一定の意義はあるものと思う。自分で自分を監査する、具体的な手順になり得る。義務を果たすためのガイドラインとも言えるかもしれないが、他人に指摘されるより自律的にできた方が気分は良い。

責任にしても義務にしても、相手に対するものという方向性がある。しばしば超然とした態度の答弁に接するが、その人は単に自分に対して自分の無謬性を言い聞かせているのかもしれない。裸の王様という童話は、現代性がある。


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